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哲学いろいろ

輪廻

輪廻とは ばかは死んでも直らないという判断を言いなおしたものです。

いつかは 何度か生まれ変われば ばかを・つまりたとえば殺し合いをしなくなるであろうという願いを込めて言った表現です。

輪廻の主体といったものは ありません。表現のなかにだけあります。

人がブッダになればたしかに その状態を涅槃(つまり ゼロ)と表現しますから この所謂る輪廻転生が止まると言ってもいいのですがわかりやすく言えば こうです。 

つまりこれ(涅槃)は 単に消極的に(ゼロですから言わばマイナスの形で)表現しているだけであって 実際には 永遠の生命を表わしていると――多少 強引にでも――解していいはずです。あるいはむしろそう解すべきでしょう。このブッダとしての存在・主体は わたしです。

つまりこの場合も 表現は 消極的に《無我》と言っています。無我は わたしだと解していいはずです。


要するに 自己還帰が問題になっていると思います。

わたしは 自分=自己=《無我》である。――わたしがわたしである。――わたしがわたしする。この《わたし》を無限に自乗していきます。わたしが 一なら 《一》の無限の自乗は 《一》です。・・・ゼロ(涅槃)と表現はしていますが。・・・永遠・無限は 主観(つまり わたし)の問題です。