caguirofie

哲学いろいろ

対話

natural 2010/12/31 20:01

ぶらじゅろーぬさん。こんばんわ。
今年はお世話になりっぱなしでしたね。
本当にありがとうございました。


自分と同じように、ですか。


わたしは小さな差異を
どこまでも大切にしたまま
共生するための○○を目指しています。


○○は「一瞬自分を超えて」でしょうか。
差異から対立が生まれて
対立から対話が生まれて
差異について分かるところまで分かって、
その上で差異を持った状態に戻る、
そんな感じです。
そんな感じ、としか言えませんが。
理想ですが。夢のまた夢ですが。
ぶらじゅろーぬさんの言葉では
「ゆづりあい」でしたか。


利害関係を適当なところに適当にポイっと置いて
「人そのもの」で交わる時間を
数秒でも長く作ることができたら、


盾も矛も適当なところに適当にポイっと置いて
「わたし」と「わたし以外の人」が交わる時間を
少し長くすることができるのぢゃないかと。
理想ですが。夢のまた夢ですが。


相変わらずわたしは
無駄な盾と無駄な矛を常に持ち歩いていますが
ああ重苦しいやと文句を言いながら
ナメクジの速度でおベンキョーをして行きます。


2011年もよろしくお願いします。
たまに虻の鳴くような声で
何かボソッとつぶやくぐらいしかできませんが。


良いお年を。

なるほどですね。つまり――ナチュラルさん こんばんは。お声をかけてくだっさってありがとうございます。そう言えば 泣いても笑っても年の暮れですね。――つまり


  わたしは小さな差異を
  どこまでも大切にしたまま
  共生するための○○を目指しています。


 の《差異を大切にする》というところです。たしかにどんな小さなものでも 差異を見つけ――すなわち 同感の部分よりも 異感の現われについてすばやく見つけ――これを処理しておく。といったひとつの思想の傾向としてです。


   ○○は「一瞬自分を超えて」でしょうか。


 これも分かるような気がします。その見つけた差異について 相手と自分とを総合するようなかたちで・そしてそのためには 一瞬自分を超えた自分になったかたちで 対話を図る。分かるような気がします。


 分かった分かったと言っているだけでは能がないようですから わたくしもわたしの手法について述べます。
 じつはわたくしは 同感の部分にまづ先に注目します。たいていは その見解の同じ部分について確認することから始めます。言いかえると そのあと差異を取り上げ取り扱います。そのときには もはや徹底的にです。


 えぇっ これぢゃ《ゆづりあっ》ていませんね。それにまたさらに


   利害関係を適当なところに適当にポイっと置いて
   「人そのもの」で交わる時間を
   数秒でも長く作ることができたら、


 というようなけなげなことは たぶんしません。この《利害関係》についても まづ初めに《共有する部分》を確認し そのあと《ちがい・対立》の部分について話し合いをすすめます。
 そう言えば まるで《ゆづりあわ》ないですね。どうしましょう。

 たぶん 差異についての話し合いでは ゆづるものと思います。ゆづります。たぶん これだけはどうしてもゆづれないというものを除いて。

    虻の鳴くような声

 って ぶうぅーーんというような声でしたか? 差異を埋める もしくは相手と自分との差異を総合して一段高いところで新たな交通関係を築く というときの素早さと張りのある声は 隠せませんよ。

 それでは あたらしい年へすすみましょう。