caguirofie

哲学いろいろ

愛とは

《愛する》というとき わたしの場合は 《自分と同じように》という条件をつけています。

これは 一方で 意識の上では そうするということでもあるし また他方では それ以上の内容をもって他人を愛することは出来ないと考えていることを意味してもいます。

抽象的ですが この原則で おおむね足りると思っています。

その愛の中味はと訊かれるなら たとえば《相手が その持てる力を十二分に発揮できるように もし何かこちらに出来ることがあると思った場合に そう提案しつつ お力添えをしてみる》ことです。

さらに別様に 抽象的な定義が じつはあります。

愛とは 愛することではなく 愛させることである。人に普遍的なちからであると思われる生命(存在・存続)を愛するように 話を持ってゆくことです。

乱暴に言っていますが それ以上に おわかりのように まぼろしであるかも知れません。主観の問題だという意味です。

人と人とのかかわり つまり 人間関係 これを 愛として おおきくは定義するとよいでしょう。

そこには 好意・愛情もあれば 嫌悪・憎悪をも含みます。
関係を断つこと つまり切れる・しかと(と言うんでしょうか) あるいは 無関心 これは 愛の範疇から外れることで 死を意味します。(精神=身体の死です。いつ滅びるかは わたしたちが分かるようには 決まっていません)。

特に 理性にあたう限りのことで重要だと考えられることは 関係に衝突が起こり 亀裂が走ったとき どこまでもどこまでも 話し合いで これの解決を図ることです。民主主義とも呼ばれます。とことん それこそ無限に 話し合いを敢行します。死んでも話し合いです。特には これが 大枠の愛の中で 中核の愛だと思われます。

禁断の木の実

光が曲がった。

曲がるのかな 曲がるのかも 曲がりうるかも知れないと 想像してみたら 面白そうだと思い そのわたしの考えで曲げてみた。

アダムもそれに同意して こころみた。

以来 わたしたちの頭の中は 《直線‐曲線》の入り組んだ仕組みになっています。

《アダムよ きみは どこにいるのか》という声を その面白かったあと 聞いたというのなら 直線のほうが 人間にとっては基調であるというのが 公理になっているのだと思います。

アダムとエワは 禁断の木の実を食べたあと いちじくの葉で腰を覆わなければならなかったのは なぜか。

善悪を知る木 / 知恵の木ですので 一般に《自我》の問題であるということでいいと思うのですが。

採集生活は ほとんど生産という行為を人間みづからがしておりません。農耕になって それとして 労働行為として 生産が始まります。そして その前に 狩猟・漁労でも 採集生活よりは 人間のはたらきが 現われています。

土地を耕すともなれば 生産物という観点からは 人間がはたらいた分 あるいはそして 自分がはたらいた分といった見方が出てくるものと思われます。とうぜん《わたし》の問題であると思われます。

ですから すでに初めから 何らかのかたちで《わたし》はあったのでしょうが 生活上のおこないや しごとと関連して それは 出てきたように思われます。

だとすれば 自然の恵みの部分も然ることながら 人間が手を加えた部分についてその認識と意識が芽生え さらには 誰が手を加えたかも意識にのぼらせるようになったでしょう。

こうなれば 自我の問題は現われて来ます。共同生活の中で 協働作業の中で わたしの仕事・わたしの仕事の成果という考えが 現われます。やがては 分配あるいは配分の問題が起こります。共同自治という問題が それとして はっきりと課題となります。課題となりつづけます。

それと同じように 性行為も はじめは 人と人 言ってみれば 人格の全体と人格の全体との交わりの中に行なわれていた。そしてつまりは そのときにも それとして 本能のごとくの欲求(したがってそれとしての意志)もあったと思われます。

ここへ 《わたし》が現われました。両性の人格どうしの交わりにおいて 性行為が行なわれるかたちから 相手とは いくらかでも 分けられたそれぞれわたしがおこなうかたちへ たとえば 移ってしまった。あるいは さらには ふたりの人生の交わりであるかたちから 性行為そのものとしての交わりに意識が細分化された。

あるいは もっと露骨に 性行為じたいへの意識と欲求――というより欲望――によってというかたちも 現われた。

この段階では すでに 禁断の木の実を食べてしまっていると考えられます。自我が生じてきていると。このわたしの単独分立のような出来事について アダムらは 恥づかしいと思ったのだと思われます。ゆえに 腰に葉をあてて覆った。

葉っぱで覆う前と後とは 性欲の生じる前と後とという見方と少しちがうかなと思い ここにつづっておこうと思いました。