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哲学いろいろ

スサノヲの思わざる失敗

一人のスサノヲが 精神・知性を耕す。その精神は 特には アマテラス能力である。

一般にアマテラス能力が優れていると 指導者の地位に推される。指導者とそのほかの人たちとのあいだで 一種の《アマテラス(A)‐スサノヲ(S)》連関がつくられるのは 社会的な自然である。精神(A)と身体(S)との関係であると言って おおきな間違いではない。

ただし 社会が スサノヲ市民の社会(スサノヲシャフト)として成り立っているところへ その上に 単独分立してのように 第二階を築き上げるのは どういう事態か。


おそらく スサノヲの中から アマテラス能力に秀でた者たちが もっぱらのアマテラス人となって 単独分立したことの結果であるだろう。


いや 優秀なスサノヲが 指導者になることは 普通のことである。おそらく そうではなく その優秀な指導者の子孫や係累が 必ずしも優秀でなくとも 同じように指導者の地位になりあがった結果であると考えられる。


アマテラス能力に秀でたというのではないのに 指導者の地位に上がったのは おそらく アマテラス語弁論術に秀でていたのであろう。妖術・呪術宗教あるいは手品・詭弁・奥の手等々 さまざまな手口が使われたのであろう。


かれらは その後 自分たちの指導者の地位と圏域を 必死で保守するようになる。


かくて 社会は スサノヲ圏とそしてアマテラス圏との二階建てとなった。