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哲学いろいろ

風薫る夜( la nuit balsamique )


  床に就いて一日の疲れを休めるようにぐったりと横たわると 開け放した窓から夏の夜の乾いた風に乗って線香の匂いがぷんと一閃した。ふとその一瞬の光明の中に(線香の匂いが 光明だったのだ) 或る通夜の晩が彷彿とよみがえって見えた。
  六・七人の弔いの人びとが黄土色の畳の部屋に坐して酒をちびちびやりながら しかも飲んでいるでなし 乾燥した時間を過ごしている光景が浮かんで見えた。やはり夏の夜のことのようで その光景は外のアングルで雨戸が閉められておらず 畳の黄土色をさらに浮き立たせるような薄い褐色の光を電灯が放つその部屋がただ一枚の竹の簾を通してのぞかれる。
  話しが交わされているでもなく さりとて沈黙を続けていては気が滅入るという様子で 何か口ごもっている。皆 力を落としてうなだれている。さりとて逝った者に対して悼む心で満たされ涙を手向けている者とて よく見ると いない。結局そこに集まった人びとは うんざりした形で故人と一晩を共にしている。故人を惜しむでもなく やっかい払いにちょっぴり喜ぶでもなく。ただ一人の人間がその生涯を閉じその葬儀を執り行なうのだという ただそれだけの至極当然で しかも最も奇怪な理由でそこに人びとは集まっている。
  弔う人びとは一人の縁者の死よりもそれぞれ自分自身の生にもっとくたびれうんざりしている。仲間の一人ひとりは互いに無関係という態度をはっきりと表わしていた。いくら文明が進化し個人主義が進んだといっても これは人類にとって最も奇怪な人びとの群れであろう。親子兄弟 義兄 伯母そして友だち 皆 白けきっていた。それも張りつめた白けようとはほど遠く全身全霊 気力がだらりと垂れ下がったけだるく物憂い褐色のそれであった。
  私はこの通夜の場にかつていた気がした。その簾を通して外からかいま見られる黄土色の畳の部屋は はっきりと私の知っている家の造りと一致している。だがしかし私は実際にはこれまで葬儀に連なっても 通夜を経験したことはないのだから やはりそれはただの想像にすぎないのであろう。
  そこで目の前に映じた一瞬のうちの光景はひょっとして私の死を弔うその現場ではないかというひらめきが脳裡をかすった。嫌な気持ちが胸を走った。冗談ではない。
  ただあのけだるさは私自身のものではないかという問いかけが今度は聞こえる。ある夏の青い夜 一瞬光った幻覚がさらに尾を引く形になった。真夜中の心理 暗い外の静けさが さらにその幻覚に拍車をかけるのか。私は徐々に底無し沼の中へ引っ張られていく形で その観念と格闘することになっていた暑い夏の風薫る夜のお話し。(完)