caguirofie

哲学いろいろ

落ちよ

人間は 本質的に 堕落しうる動物である。
けれども堕落したままでも 人間でしかない動物である。

人間は 本質的に堕落しうる存在である。
けれども完全に堕落したときでも
かれは 結局のところ 人間でしかない存在である。

人間は 本質的に堕落しうる存在であるとしても かれは 堕落したときにおいても けっきょく 人間でしかない動物である。
そして かれは そのことを知っている。


    ***


《おちよ 落ちよ 堕ちよ》と低くうなった。
何ものかに祈るようでもあり 闇の中へ駆けていって
そこから みづからを突き動かそうと企んでいるようでもあった。


生まれてきたからには 堕ちるところまで落ちなければ
生きる甲斐がないと信じていた。


エウセビアは 女であった。やさしかった。
しかし 他方 気の強さでは 百人力であった。
テオドリックは むしろ本能的に かのじょをえらんだ。
かのじょのほかに考えられなかったのである。