caguirofie

哲学いろいろ

#12

もくじ:2010-09-17 - caguirofie100917
2010-10-08 - caguirofie101008よりのつづき)

 すなわち 片やこの《酔いどれ船》は こう述べたのち


   ああ わが竜骨よ 砕け散れ
   おれは
   海へ往くのだ


と叫んでいるが 片や《彼女の薫る肉体》に出会っても 《私》は 《彼女》のあの答のすぐあと


   ――なんという大気の鋭角だ! なんという天啓の旅だ! 
    激烈な抱擁だ!


と《夢中になって叫んでいた》のみであり 《そのとき 私のまわりには大勢の人間が集まって にやにやと笑いながら私を見つめていた》と すすんで《私》を取り巻く周囲の情況を伝えることを忘れていない。また そう伝えるのみである。さらにまた その《 Post Scriptum として》 《女は広場に催眠術をかけた》とうたいつがれる恰好である。
 これは 大きく 《西欧》と《日本》とのやはり両義性として現われてくる問題である。


  (つづく→2010-10-10 - caguirofie101010)