caguirofie

哲学いろいろ

#10

もくじ:2010-09-17 - caguirofie100917
2010-10-06 - caguirofie101006よりのつづき)

 これに対して――わたしとしては この《青春》の初形をただちに棄てるというわけではないが つまりそこには それが 主観語をよく留めることにおいて この初形のほうをむしろ採りたい気持ちが残るのだが―― こうして広く象徴主義という点では 赤彦とともに立った地点から 赤彦と別れた(B)の段階そのものを示すものは すでに 《彼女の薫る肉体》であると指摘した。
 この作品は 長編の散文詩であり 一部を引用して例示することはむつかしいが 次の文章を抄録することにする。それは 《私》が《彼女》に出会って その《彼女》に 《あなたは気違いだ。狂女だ。魔女だ!》と叫びかけたときの《彼女》の答であった。


   ――かわいそうに。ときどきわたしに本気で恋してしまう若者がいる。わた
    しに抱かれて 空を翔んでいるような幻覚をいだく男がいる。わたしには
    すべてを見通す力が与えられているけれど こういう男をどうしてやる力
    もない。わたしと真実床を共にしたら かれらは本当の狂人になってしま
    うのだから。


  * なお 《狂気》は 時代とともに遷るのであって それを固定的にとらえ
  る必要のないことは 言うまでもない。


 この言葉・この言葉の世界は 詩人みづからが その世界に帰同(こういう言葉を用いよう)していながら しかも同時に 主客を互いに疎外させている(つまり ふつうに 表現し外化している)ことを 物語っている。



  (つづく→2010-10-08 - caguirofie101008)