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哲学いろいろ

ゆいぶつろん

図式的な早わかりです。

 唯物論あるいは唯心論というのは 究極のものを物質あるいは精神(心)だと想定して唱えるヨーロッパ人の持った世界観です。
 鍵語は つぎのごとくです。
 ○ 形式と内容 / 形相と質料 / 精神(第一形相)と物質(第一質料)


 1. わたしの顔が丸いとすると その《丸い》が 《形 式( eidos / form )》 で 顔の素材が 《質 料( hyre / matter )》 です。このときには ひとの顔ですから 《形式と質料》は一体となっています。形式と一体となった質料は 《内 容( content )》とも呼びます。
 2. 家の場合 その骨格が形式で 建築材が質料です。この場合も 両者は一体ですが 設計図と建築材料とを分けて捉えることができます。
 3. そこで そのように分けて捉えたところの形式を 《形 相(エイドス / フォルム )》 と呼び 質料は そのまま《質料(ヒュレー / マター)》と呼びます。


 4. 一般に世界観は 《質料‐形相》の理論ないし体系として表現されます。
 5. かれらは この《質料‐形相》から成る世界を その根源にまで突き詰めて行こうとしましたし じっさいその究極の原理を仮説として明らかにしました。
 6. すべてを端折って言うならば ここで二つの仮説理論に分かれます。
 7. ひとつは 質料を持たぬ形相 言いかえれば《第 一 形 相》 すなわちその意味での精神ないし《世 界 精 神》 これが 宇宙の根源であるとする説で いわゆる《唯 心 論( spiritualism; idealism )》です。
 8. もうひとつは その対極で 形相を持たぬ質料 言いかえると 第一質料 つまりはその意味での《物 質( matter )》 これを根源だと想定する立ち場が 《唯 物 論( materialism )》です。


 9. したがって 唯物論における《物質》は げんみつには質料ではないわけです。モノではありません。言ってみれば 質料のお化け つまりモノのケです。
 10. つまり 或る種の仕方で唯物論も 観念論なのです。きわめてのかたちで形而上学として出発しています。私的所有の廃止だとか拝金主義の排斥だとかそういう主張とは 直截にはつながりません。
 ただしその立脚点は 系譜として質料というモノないしその観点になりますから 一般にモノとしてもその平等を訴えます。


 11. それに対して 唯心論は どうでしょう? だいたい精神のあり方のほうを第一にとうとぶということのようですが お任せすることにしましょう。


 12. ここでは 究極のものを 世界精神とするにしろ物質とするにしろ それでは これらと所謂《神》とはどう違うのか? という主題も持ち上がるはずです。
 13. 物質根源論にしても もしそれが精神による観念論であることに甘んじることを嫌うのならば けっきょくその《物質》というものは 《神》と同等のなぞだと捉えてよいと考えられます。
 14. 唯心論の《第一形相》も 想像の産物としてのイデア(観念)であるのではないと言うのならば 同じく《神》のことなのです。
 15. つまり 唯心論と唯物論とは かたちや表現を替えた有神論と無神論とだと言ってもいいのではないでしょうか? しかも 無神論は もし悪しき唯物(ただもの)論でないならば 有神論と同じ非思考つまり信仰の形態であるとなります。