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哲学いろいろ

まつり

 《まつり(祀り・祭り)》とは 土地の神々に 特にはその年の初穂を 差し上げることです。捧げた上で 神々と共に 村の人びとは 感謝をもって 共食します。

 たぶん 人びとは 《共生》が その人生の真骨頂だったでしょう。

 

 そのあと 賢い人びとが この《まつり》を 概念として まつりあげました。われ考えるなら われありと言わんばかりに その思考・その理性こそが 神々の現われであり その思想を体現した人間も 神々であると 唱え始めました。

 したがって このように 村々の共生である《まつり》を 一段と高いところから 束ねるようにして 統治することは 《まつりごと》というわけです。たぶん どうしても大将にして欲しいと だだをこねたのでしょうね。人びとは これには ゆづらざるを得なかったようです。(《国ゆづり》)。

 したがって 村々の人びとが 共食するまつりは 二階への税金を払って そのあとの残りで 共同自治し共生するかたちを採りました。これは 《まつらふ》と呼ばれ やがて 《まつろう=服する》という意味の言葉となっていきました。

 《神道》には いくつかの段階が あります。初めの《まつり》を 村の神社を中心として おこなう段階のあとと前とで 違いがあるでしょうし この村々の神社が 中央集権の下に 格式を与えられ序列化された情況において 神道として捉えられた場合などです。

 そもそもは それほどの思想というものも なかったのではないでしょうか。ただし 生命のとうとさは 知っていたようです。

 人は死ぬと自覚してからの古代日本人は 死の神から 一日に千人死ぬようにしようと言われれば ぢゃあ われらは 千五百人生むんだと言い返したと言いますから われらが祖先は 素朴で明るい人びとだったのではないでしょうか。

 米や作物が育たず 食べるものがないときには 間引きというようなことも おこなっていたようですが 品種改良にも 励んで来ています。社会全体としての分配や再分配が うまく行っていなければ 生命存在を大事にするのが シントウイスムの真骨頂だと思いますが 昨今は うまく行きませんかねぇ。学費が払えずに 高校をやめていく生徒が 増えているようですね。

 七歳というふうに 歳を区切ることもないと思います。もともとの共生の生活態度としての思想に そんな限定は 要らなかったと思われますから。