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哲学いろいろ

構造主義

 (今村仁司構造主義 『現代思想を読む辞典』1988)
 人間の社会や文化を考える場合に 近代の人文・社会科学の主流的見解は 人間《主体》中心の立ち場を採用してきたが 構造主義はこの《主体中心主義》をのりこえ 《主体》を包みこみ 《主体》の思想と行動を決定づけ軌道づける《構造》の概念をもって文化と社会の理解を一変させた。
 社会は個人の算術的合計ではなく それ独自の《構造》を持つ。文化は単なる個々人の制作物ではなくひとつの首尾一貫した構造を持つ。
 この観点から 未開社会の親族組織や神話の精密な構造が解明され(レヰ゛-ストロース) フロイトが着手した《無意識》の世界も 《構造》をもつことが明らかになった(ラカン)。マルクスは誰よりも《構造》や《関係》を多用した学者であったが 新しい構造主義の角度からもういちど再解釈されることになった(アルチュセール)。文化史も単なる観念や作品の歴史ではなく 無自覚的ではあれ明解な《構造》をもつこと(フーコー) 個々の哲学者の仕事も著者の意図を超える構造をもつこと(ゲルー)などが明らかになった。
 このように構造主義は 積極的な認識の方法として活用され これまで未知の領域を開拓し 多くの成果を挙げた。したがって 構造主義は思想の一タイプである以前に 《科学の方法》として理解すべきである。

 ところが 六〇年代に実存主義構造主義の白熱した論争が開始して以降(とくにレヰ゛-ストロースとサルトルの対決) 構造主義は科学的認識の立ち場からひとつの思想の立ち場へと転換しはじめる。どのような意味で 構造主義は《思想》たりうるのか。実存主義は近代の《主体(主観)》中心の思想の最後の代表であるが この伝統的思考類型を拒否する構造主義は必然的に新たな《構造の哲学》へと移行せざるをえない。人間的主体(または主観性)が世界の中心でも世界の能動的形成者でもなく 逆に人間的《主体》は構造の中の一要素であり 構造が作る諸関係の結節点とみなされる。つまり 構造主義(または関係主義)は 人間観・社会観の大転換の口火を切ったのである。構造主義によって実存主義が打倒されるとともに 実存主義を含む近代思想の大建築物が解体しはじめたのである。
 ここに構造主義という科学運動が哲学的・思想的レベルでもつ決定的な意義がある。構造主義者たちは 好むと好まざるとにかかわらず 自己を一個の哲学者・思想家へと訓練せざるをえない。レヰ゛-ストロースは社会科学方法論を ラカンは言語=数学的構造の認識論的研究を フーコーは理性と権力との社会哲学的分析を アルチュセールは新たな因果性概念の構築を バルトは構造化と脱構造化とのせめぎあいの現実態を というように 各人が各様に科学的知を基にして広義の哲学的思索に踏み出す。


 構造主義は 二〇世紀が経験したひとつの《科学革命》であると同時に 可能的には人間存在の新たな思索を用意するものでもあった。ここに 構造主義が 味方の中でも反対者の中でも 多大の論議をまきおこした理由があるし おそらくは思想史上の画期的な事件として長く記憶にとどめられるに値することであろう。

 構造主義の《構造》概念に関する認識論的諸問題 さらに構造主義が秘かに想定している存在観の諸問題を吟味することが残されている。構造主義の科学は完了しているのではなく 今後も批判と討議を経て発展すべき未来に開かれた学問である。構造主義に反対することは 認識論的にみて反動的である。したがって 構造主義の認識上の成果を踏まえつつ 同時に認識論上と存在論上の批判的検討を条件として私たちは前へと一歩進まねばならない。