caguirofie

哲学いろいろ

#53

全体のもくじ→2004-12-07 - caguirofie041207

第二部 踏み出しの地点

§11−9(つづき)

だから 《周縁性の歴史学に向かって》(第九章)旅立つことも ないと思われる。もちろん――わたしが勝手に解釈すれば―― 山口昌男は このことによって 思想を歴史学と言おうとしているだけなのであり 周縁性を重視するのは 踏み出し地点をそれとして捉えているのだと考えられる。必要かつ十分な条件を満たす思想――《歴史学》――は 《周縁性・境界》の地点から 踏み出されるものだと言おうとしている。ここでも われわれの考え方とからみあう。
もっとも さらにひるがえって 周縁性とか境界にいる異人とかは トリックスターや道化の《行動基準》のことにほからず その意味では すでにわれわれの主観するところではなく 少なくともその説明が 古い供犠文化の社会構造に浸って 言い出されたものだと考えられる。《異人》は ガリ勉の異感人状態のことではないが そして言うとすれば 同感人を志向しているのだが 総じて 中心ないし中央の異感人に対する対抗姿勢を持った対抗勢力である。対抗するという意味では 異感状態を無効だとは思っていないところがあり はげしく異感状態に接し 周縁にいながら むしろ異感状態に浸っているところがある。
われわれは 周縁性を 《周縁性の歴史学に向かって》すすみその歴史学たる思想の実践によって ゆくゆくは 取り除こうというのではなく そうではなく すでに現在の思想(生活態度)において その踏み出し地点で なくしていると主張したい。対抗勢力だとか道化だとかの行動基準を生み出すところの周縁性などといった概念またその或る種の独自の空間 これは われわれの考え方の基本に 入っていない。中心と周縁 正常人と異人 聖なるものと暴力といった二元性ないし多元性は われわれの踏み出し地点では 無用と考える。出発点原点では いうまでもなく 無用である。もちろんわれわれが踏み出すとき そういった諸概念を使う人びとの思想があるということには 留意する。
なるほど 道化の生活態度は 宇宙誌のかたちにして 聖と俗との二つの要素を かれひとりの内に すぐれて供犠文化を超えたかたちで 合わせ持つ。すなわち 逆に 聖と俗との供犠構造からすでに自由である(つまり 合わせ持ちつつ もはや いづれからも自由である)といった思想実践であると われわれは 受け取って 言わなければならない。このあたり やっかいなのであるが ただ もしそうであるのなら わざわざわれわれは 道化になる必要はないであろう。昔 道化やトリックスターは すでに同感人出発点に立っていた / 今わたしたちは 道化にならなくとも ふつうの生活態度(ないし立ち場)で そうしていられるというのと 同じだ。いまも依然として道化は必要だと言うのだろうか。そういった偶像(アイドル)が。しかしながら 道化には人はなかなか成ることは出来ないという場合には この道化のあり方こそが 思想の一元的な踏み出し地点〔の形態的な現われ方〕だというのであろうが そうするとわれわれは 永遠に 踏み出すことも かなわないようになる。そう言ったことになる。片方で 道化の行き方によってしか自分が自分であることはできないとし もう一方でこの道化に成ることは並み大抵のことではなれないとしたとするならばである。
過去の道化を 歴史把握の必要条件なる知識として持ってくることはよいが それを 十分条件現代思想として語ることは 少なからぬ飛躍があると思われる。
われわれの考え方からすれば この道化を明らかにして 明らかにした上で もう現代思想としては 持ち出さなければよいとも 考えられるが そこに立つまでには 思想の立て方の上から見て やはり少なからぬ溝がひろがっているのではないだろうか。(ただし ひとこと但し書きを添えうるなら わたしとしては 道化は一般に 奴隷の自由だと考えている。スサノヲを基本的にトリックスターだとは考えていない)。すなわち われわれのいう 出発点→踏み出しの地点→そして踏み出し というときの順序が はじめに 逆になっているとすれば そうではないか。(過去と現代との間に溝があるではないか)。すなわち 山口昌男の議論を読んだあと その意見がどんなものであったかと われわれが考えてみるとき それは すでに初めに 現在の社会過程の中に近づき その現在の踏み出し関係の中から 逆に 基本出発点を 探し出し うきぼりにしてくるという理論の立て方であるように思われる。あるいは 周縁性が基本出発点のことだとすれば これを うきぼりにして そのあと あらためて 《周縁性の歴史学〔の構築〕に向かって》すすんで行こうという主張の性格であるように。われわれは この循環を断ち切りたい。というか もう 持っていない。
そうとう失礼な議論のしかたになってきているかも分からないが 重要な論点である。
少し不案内だが 次のような議論のくだりを 引き合いに出すことができる。

スサノヲは 喜劇的要素を欠落させているとはいえ トリックスター神の条件をほぼ備えている。・・・もう一つ見落としてはならない点がある。それは スサノヲ神が 日本的文脈の中で 他の様々な現象よりもいっそう徹底した形で 《他者》(=異人)の性格を具現しているという事実である。・・・この他者性は 根の国の支配者としても既に秩序を踏み外しているスサノヲが統治も忘れ幼児のように今は亡き母を慕って泣くという異常性に現われている。つまり彼は 本来 日常生活を規定するどのような秩序とも相容れない存在なのである。・・・
祝祭とは 人が日常生活の空間を出て他者の空間に身を投ずる機会である。天皇制は すでにスサノヲを介することで他者性を己れのものとしているという点で心にくいほど神話論的に完備した政治機構であるし これまで本気で過去という歴史空間の中に他者性を探求して来なかった歴史学は 天皇制によって決定的に水をあけられているといわれても仕方がないところがある。・・・今日の歴史学が与えられている難しい課題は いかにしてスマートに ダイナミックに 歴史的思考(* これが 供犠文化の構造のことらしい)という知の形態に引導を渡すか という点にかかわっていると思わざるを得ない。
(第九章)

スサノヲについては すでに少し触れた。かれが 《根の国の支配者としても既に秩序を踏み外している》ことが われわれの 踏み出し地点だと考える。ただし 《日常生活を規定するどのような〈異感人有力の文化構造〉とも 相い容れない存在であったとしても その〈文化〉なる秩序には たとえ反抗しても むしろ従うのである》。これを前提にしてである。――うるさく細かいことを言うならば スサノヲは 根の国の支配者になったのは おそらく 死後の神話の中でである。つまりそうだとすれば スサノヲ自身の与かり知らないところである。生前というか 初めにたとえば海原の支配者となるということ これじたいを拒んで だとするならば秩序を踏み外したのであって 支配者となって秩序を踏み外したのではない。言いかえると スサノヲは 自分が海原の統治者となることが 全体社会のなかの秩序構造の一環であるということ この全体を嫌ったのである。踏み外したのかも知れ無い。
異感人の供犠文化も――つまりいわゆる世の中は―― 同感人潜在もしくは同感人顕在のわづかに観念化(習慣化)から 成り立っているのであるから その秩序には それとして 従う。これも 重要であったろう。そのほかでは 当時では 他の土地があったから アマテラスの土地を追放されたなら すなわちアマテラスらの異感人有力を放っておいかざるを得ないとスサノヲが考えて そこを去ったときには 他の土地に向かった。こういったことや 反抗の形態などには 時代の制約がある。
《私とは他者である。 Je est un autre. 》といったのは A.ランボーであるが もし乱暴に言ってしまうなら 他者性とか異人とかは アマテラスたち異感人ものである。噂や疑い あるいは病いの問題として この異感人たちの他者性――自己が他者であるという統合失調の出発点=スキゾ・シャーマニスム――を スサノヲやわれわれも 交通に際して 感性をとおしてだけでも 引き受けることがある。引き受けることはあるが それは 自分も人もゆくゆくは同感人であるだろうという判断からなのではなく すでにこのいま このわれわれが 同感人だからである。
スサノヲのたどりついたよその土地が 一つの国家の形態の中にやがて統治されたときには――国ゆづり―― その意味で 《天皇制は すでにスサノヲを介することで 他者性を――つまり じつは 同感人出発点がそれになっているのかも知れない この同感人性を――己れのものと しおお(為果)した》。つまり スサノヲも一つの聖なるものとして まつりあげ これを あらためて(つまり なぜなら 生前のスサノヲには 見捨てられた) 全体の供犠文化の構造の中に 取り入れたのである。根の国とは もともとは 根子――オホタタネコ(根子)ら一般市民――の国である。つまりスサノヲ市民圏(スサノヲシャフト)のことである。だが どうしても 死者の国あるいは《周縁性 / 境界》へ押し遣ってときたいようだ。
だが 現在 この天皇制は なくなったのである。新しくあたためて同感人出発点に 憲法としてというほどに生活態度として立ったからである。昔の社会では スサノヲの他者性を――つまりこの場合は 同感人出発点が 遊離したものかも知れないそれを―― おのれのものとして 具体的にはその社会の頂点にいる天皇ひとりが 自由な同感人であったかも知れない。人びともわづかに この自由な同感人を模範にして 自己の出発点の実現を 模索したかも知れない。一般に王制では王ひとりが自由であったかも。(この論点は 一面的な見方であり 言おうとしているのは 異感状態にある人が 自己の――それでも失い得ない――同感人出発点を 遊離させたり また取り返してみせたり まるで ゆうれいのようなしわざを巧みに駆使する思想を 持っていたということである)。
だが このことも 過去のできごとである。《本気で過去という歴史空間の中に他者性を――つまりこれは 異感人性を――探求》する必要は ないようになっている。それが(つまり すでに過去の異感人)が 生き残りとして どこか外からやってくれば そのとき 相い対すればよい。まづ 用件を聞かなければいけないであろう。他者性を――この場合は 自分が失くした同感人出発点を――返して欲しいと そのゆうれいは言うだろうか。だが もうわれわれは 死者を葬ることに かかずらわっていられないだろう。わざわざ 周縁へ出向くことはない。もしくは どこへでも出向いていけばよい。周縁などを基軸とした概念構成 これは 死んだと告げるのみである。
感情的にいえば 天皇氏は 過去も今も そうとう得をしたと言えるのかも知れない。スサノヲは けっこう損をした。そして損をしてでも そのあとでも 他者性・じつはアマテラスが失くしたその魂を かえしてやった。これを道化という人は 言うがよい。
いきおいの然らしむるところである部分には 恥ぢつつも 失礼をかえりみず そうとう《スマートに ダイナミックに 山口の知の形態の欠陥の部分には 引導を渡した》つもりである。はじめに 降りていってしまうからである。もしくは降りていくのは善いけれども降りたままの一性格 つまり 降りたままで 上なる基本出発点を なお《他者性》として・つまりは 自分でないものとして あおぎ見ようとする一性格が あるからである。これも ひとるの供犠文化の構造だし その構造の中で循環するような理論 言いかえると たしかにそこには進展があるだろうけれど 何か尺取り虫のように 伸びては縮み 伸びては縮むかたちの踏み出し進行だと思われる。すなわち 踏み出し地点が――それが道化たる異人であって しかもこれを自己そのものとしているとする場合には その踏み出し地点が―― 一定の間隔をもって 現われてくるような思想実践であるように思われるのである。尺取り虫である。来週までさようなら 次回をお楽しみにといった 思想の打ち出し方である。
(つづく→2008-02-09 - caguirofie080209)