caguirofie

哲学いろいろ

#47

もくじ→2007-04-16 - caguirofie070416

第十五章d 神学と 歴史ないし社会力学

この章として もう一段落つづけます。

はじめに神は天と地とを創造された。

  • ビッグ・バンの中に 原始の光と原始の粒子とがあった。

地は形なく むなしく 闇が淵のおもてにあり

  • 膨張しつつ 切り立った淵へ落ち込んでいくというかのように 粒子の力と運動が 闇としてあり

神の霊が水のおもてをおおっていた。
神は《光あれ》と言われた。すると光があった。

  • やがて 宇宙は 膨張しつつ 晴れ上がり 光が見えるようになった。

神はその光を見て 良しとされた。
(創世記)

神が この宇宙の原理であり ここで《その光を見て 良しとされた》というのは すでに のちに神が《われらに似せてかたどる》というところの人間の 理性の光が この原理を認識し受け取ることを 予表させている。すなわち ただ科学的な知識としての原理なのではなく 《良しとしたまう》原理を受け取るそれとして つまり言いかえると 闇がそのおもてにあった淵のその水のおもてに 神の霊があったというこの霊が(つまり真理の霊が)人間に与えられるべきこと これが 予表されている。と考える。
あたりまえのようであるが 二十世紀になって人間は この原理というか宇宙創成を知るようになったかどうかを別にしても この原理の霊を人間はすでに与えられるべき存在であるとして――なぜなら この創成の初期に むろん人類も生物も存在していなかったのであるが ことばによる知識として いま知るのは いま存在している人間がであるから―― 全体としてそのように宇宙が創成されたことを言っている。或る意味で このような解釈をすることは あの無限判断(勝手な臆測)であるが その時からの光と粒子は・つまり要するに物質ないし素材は これに人間は取り囲まれているし これによって人間も出来ている。
もっと卑近な言い方をすると そこで《闇がそのおもてにあったところの淵の水のおもてに 神の霊があった》というのは 上のような観想の内容として 人間は自己を 肯定する・その存在を愛する わたしがわたしを きみがきみを わたしがきみを きみがわたしを愛する という存在(存在関係=つまり 重力の場)として わたしたちは存在する。つまり わたしたちは その身体の情欲の重みに耐えかねて 淵から落ちるがごとく その暦して的な知性は むしろ疑いの根を張りめぐらし 膨張して行きがちであると同時に 《光あれ》と言われ光があったとき この光を見て 良しとされたというのは この高ぶりの膨張をいやす光の原理が 確実に存在したということでなければならない。
ヘーゲルのように《理性的なものは現実的であり 現実的なものは理性的である》と言って 同じく科学的な知解を敢行するのではなく この理性の光の原理を受け取って 良しとされるのでなければならない。それには 生活原理の理論的な内容として宇宙創成の時のことにも 及ぶと考えられる。
じっさいそこで

神はその光と闇とを分けられた。神は光を昼と名づけ 闇を夜と名づけられた。夕となり また朝となった。第一日。

なのであると考えられる。神はその光と闇とを分けられたあと 《良しとされた》とは書いてない。じっさい 四日目には 

神は二つの大きな光を造り 大きい光に昼をつかさどらせ 小さい光に夜をつかさどらせ また星を造られた。神はこれらを天のおおぞらに置いて地を照らさせ 昼と夜とをつかさどらせ 光と闇とを分けさせられた。神は見て 良しとされた。
(創世記1:15−18)

と書いてあるが 光の配分・配置を見て 良しとされたのであって(そこに 光と闇との区分はあるが そして 日・月・星の単純なことであるが) 光と闇との区分を良しとされたのではなく その区分の固定・停滞を解放しようとして 霊がそのために与えられている。だから 《夕となり また朝となった》のであって 人は 夜を通過するも その光を曲げて回避してのように 翌る朝へ牽き行かれることが 明らかにされたのである。この現実的なものは理性的であり 理性的なものは現実的である。
第四日も同じように 《夕となり また朝となった》と書いてある。どこにも 《夜となった》とは書いてない。しかし 《地(原始の粒子・物質的身体・情欲の重さの運動)は 形なく むなしく 闇が淵のおもてにあった》。この《闇は夜と名づけられた》。また したがって われわれの後史はむしろ 夜から始められるのである。(夕から 夜へは渡されずに 朝を迎えるというくだりは アウグスティヌスである)。
われわれの理性の光が この上なき《昼》の光なる原理であるとは思い違わないようにと ヨハネは あたかも新しい契約書としてのごとく 《はじめに言葉があった。・・・この言葉に生命があった。そしてこの生命は人の光であった。光は闇の中に輝いている。そして 闇はこれに勝たなかった》と 再度――なぜなら じっさい キリスト・イエスの出現によって この原理たる言葉が 肉となった・つまり歴史知性の時間的存在なる姿となったと信じられたから―― 語ったのである。
《律法(歴史知性の倫理規範)はモーセをとおして与えられ めぐみとまこととは イエス・キリストをとおして来たのである》(ヨハネ1:17)から。呪術からの解放は 歴史知性をとおして与えられたが その新しい解放社会は 人によって(たとえば スサノヲらによって)形成された。もしくは その芽生えがあった。この人にとっての光が 宇宙の原理であると考えられる。この原理の霊は すでに初めに 存在し 与えられるべき存在であり じっさいモーセに・あるいは縄文人の潜在する歴史知性に与えられたのであるが この歴史知性ないしその倫理規範たる律法(またそれによる精神的な自律)そのものが 根源的な光であると思い違わないようにと 霊が 人間キリスト・イエスとなって出現するという歴史が与えられた。(律法は 聖であり霊であるが それとの人間のかかわりにおいては たとえば自律が 成就するとは考えられない)。《それは 父のひとり子としての栄光であって めぐみとまこととに満ちていた》(ヨハネ1:14)。父と子と霊という三位一体として 原理を語るのは それゆえである。
この宇宙の歴史は われわれが無償で与えられためぐみであるから――そこに まことが見まつられるから―― 

主の霊のあるところに 自由がある。
(コリント後書3:17)

と科学的・理性的に観想して 現実に歴史することができる。これは 交換経済社会の中で言われたのである。時代としては。そこにも 膨張する闇と 晴れ上がる光があるかも知れない。無償で与えられた宇宙と生の知識を使って ふくれあがりなお深い闇に陥ることのないようにと そのまま無償であることが示されたのである。
このゆえに 人間キリスト・イエスは 死ななければならなかった。《神の霊が水のおもてをおおっていた》その宇宙の 原理を 人間となって 肉の存在として死ぬことによって 告知することほど ふさわしい手段はなかったろうと思われる。おそらくその権能によって 別の手段で闇に打ち勝つことはお出来になったであろうが 人間として死んで復活するという方法にまさって 原理つまり人間にとって原理の受容を 告知する手段はなかったと考えられる。ここで宇宙は――人間にとって霊的に普遍的に――晴れ上がった。
この本史によって われわれは 淵の中にあった前史から 無償で 自由の後史に入ることが出来る。これは この上ないめぐみであり まことの道である。わづかに この世にあっては なお光の曲がりうる世界つまり前史にわれわれは位置し寄留している。前史の母斑を身につけている。しかし これは すでに あのスサノヲが思い描いていた新しい歴史の地平である。そのような重力の場であろう。交換経済社会が そのように総体としても向き変えられる。われわれ人間も キリスト・イエスにあやかって わが神わが神なにゆえ我れを見捨てたまうたかと発してのごとく 十字架じょうに死に 後史に向き変えられ復活するという宇宙である。
これは 一般相対論の歴史的な実践に属している。時間が経過しない 年を取らない世界がすでに 理論的に明らかにされているというのに。(もっとも 理論が生活するわけではないから われわれは 天上の国のことについて詮索することはないわけだが)。
夢から夢へ変えられると表現しなければならないかも知れないが この夢また雲は すでに現実である。すでに晴れ上がっているゆえに雲が発生するのであり――時間的存在として 不安にされるのであり―― 一度も晴れ上がったことのないのに 夢を見るという気遣いはありえない。
このように神の国は歴史的に進展していく。この原理はこれを 鏡をとおしておぼろげにしか今は見ていないから 《夢》とか また マイナス概念でもあるその同じ言葉《雲》とかと表現するのだと思われる。

(つづく→2007-06-02 - caguirofie070602)