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哲学いろいろ

#35

もくじ→2007-04-16 - caguirofie070416

第十三章a ふたたび 国家の問題

縄文遺跡や弥生遺跡では 各種の堅果類 つまり木の実が出土し 自然遺物として重視されている。トチ・クルミ・クリなどと 俗にドングリと総称するものである。このほか海藻や野草などの遺体も出土し・・・――と考古学者・森浩一は書いてゆく。
堅果類のうちドングリをさらに検討しよう――と言ってさらに森浩一は―― ドングリと俗によばれているものには カシ・シイ・マテバシイなど照葉性のものと落葉性のコナラの実を総称していて 縄文時代以来 東日本は落葉性 西日本は照葉性の堅果の地域におおむね分かれる。これらのうちには そのままでも食用にできるシイやイチイガシを除き 食用とするには水さらしやアク抜きを必要とするものが多く 今日なお山間地帯では水さらしやアク抜きの技術が伝わっている。――と概観して次に その生活にとっての《余剰》性について触れて こう言っている。いくらか文章を端折りつつ引用するとすれば――。
ドングリ類は遺跡の遺物包含層から大量に発掘されるだけでなく 人工的に彫られた穴(ピット)に人為的に一括して貯蔵した実例が増加している。・・・
最近の発掘によって これらのドングリ・ピットは稲作が本格化した弥生時代になっても盛んにのこされていることが分かってきた。・・・
国史学者の喜田貞吉が 昭和四年四月二四日付の《学窓日誌》で次のような秋田県下の光景を記録している。

横川目所々橡(とち)の実を夥しく捨てゝあるのを見る。渋くてまづいが 粉にして灰の汁で渋味を去り 餅にして喰ふのぢゃさうで 凶年の用意に昔は毎戸之を貯へたものだとの事。古くなれば捨てゝ又新しいのと取りかへる。今日ではあまり必要なく いらなくなって捨てゝあるのだといふ。

弥生のドングリ・ピットでも 唐子(からこ)遺跡の例にみられるように ドングリが充満した状態で発掘されることがあり また遺跡内で大量にかたまっていることがあって それらは結果的には食用としては利用されていないのである。だが喜田貞吉の見聞と記録を参考にすると どんぐりにせよトチにせよ未利用で廃棄した あるいは廃棄できたということは 十分その使命を果たしたことになるのである。このような縄文時代以来の堅果類の利用は 弥生時代になって稲作が本格化するにつれて 衰退するどころか 逆に盛んになり 喜田見聞のように二〇世紀にまで続いている。なおこのように考えると 貯蔵ピットとよんでいるものに 廃棄用のピットが含まれていることになる。
(森浩一:稲と鉄の渡来をめぐって 稲と鉄 さまざまな王権の基盤 (日本民俗文化大系) 《日本民俗文化体系・3》1983年2月

現代日本人――戦後の数十年の間――の貯蓄性向のいちじるしく高いという生活原理を あるいは示唆するかも知れないということでも 長く引用してみた。
こうして まづ 自給自足的な縄文人の生活にも 生活資糧の余剰が見られたであろうと同時に それは 要らなくなれば廃棄されるというような貯えなのであって そのような自給自足経済だということができるであろう。つまり 何らかの資糧のどれだけかの量の交換(ないし互いへの贈与)をおこなって 厳密に自給自足でなく たとえばムラ・ムラの間で相互依存的であったとしても そこではまだ 交換という概念は登場していなかった。人間的なムラとムラとの交通のなかで 贈与などがおこなわれ 季節的な変化〔の自覚〕はあっても 時間の流れや《わたし》の自覚の意味での《歴史》は 始まらなかった。
もしくは 歴史の自覚の萌芽として 贈与関係における交換の等価性が 時間的に 先回・今回・次回とつづいて 持続し それなりにつらぬかれていったものであるかも知れない。総じていえば 贈与をおこないつつも 互いに自給自足であり そうであることが 生活原理のすべてであると信じて疑わなかった。生活原理の選択肢はなかったであろうと思われ したがって 無自覚のうちにそうおこなう生活原理であった。つまり問題は 余剰物が独立した価値と見なされたかどうかにあり 歴史蓄積的(あるいは直線的)に自覚したかたちではそう見なされなかったであろう。
《余剰》は 将来の不慮の事態――つまり 生活資糧の不足――のための貯えであることが 一般であり それは この貯えたる余剰が 要らなくなれば廃棄されたであろうと捉えられる点に明らかである。このような側面を基調とした生活原理の原初的形態を 想定しておくことができるであろう。くどいように繰り返すなら この意味で 《余剰》はその概念すらなかった。無自覚的な――それは 人間の時間過程とか 社会的な関係の過程とかに 無自覚的な――したがって 自然と一体なる呪術的であって しかも これが呪術的だとさえ把握されないような 自給自足生活を生きるといった一つの類型を 考えておく。
ここから 余剰を余剰として認識する知性が出現したのである。《わたし》を自覚した。わたしの時間を わたしの行為を そのわたしの所有ということ その余剰を そしてそれらの社会的な関係と過程とを。この歴史的な知性は――農耕の始まりとその生産物の相対的な豊かさと関連して―― 余剰の廃棄を つまり無自覚的な自然一体の生活(時に原始心性というべきもの)を 疑い始めた。
うんと生産性の高い稲作農耕が始められるようになると この新しい考えが もはや少数意見にとどまらず 人びとの常識になっていった。
佐々木高明(〈稲作以前の生業と生活〉稲と鉄 さまざまな王権の基盤 (日本民俗文化大系))によると 縄文人は 自給自足主体のままで いちど《成熟したゆたかな採集・漁撈の社会》に達したと また 稗(ひえ)・粟(あは)・蕎麦(そば)等の《原初的農耕》を持つに至ったと それぞれ いわれ このような段階を介して 歴史的知性が開花に向かうということである。

いづれにせよ 豊かな自然を背景にしてきわめて多彩な採集・狩猟・漁労活動によって食糧の供給が安定し そのたま著しく定着的な生活が営まれ 初期的な農耕を営む人たちのそれに較べても より一層高い文化や社会の統合度を示すような生活文化の類型が存するわけである。
(佐々木高明:(〈稲作以前の生業と生活〉稲と鉄 さまざまな王権の基盤 (日本民俗文化大系)

われわれは こうして この《余剰》の認識と 認識する知性によるその活用とをつうじて 自然的・呪術的な生活原理がその意味で崩壊に向かい 世は交換経済の社会に入ったと むしろ簡単・単純に言おう。
そして 交換価値としての余剰 その所有 それらの人びとの間における関係(つまりその多い少ないの差異から始まった差異)から 貸し借り関係ないし支配・統治が生じたと 同じく単純に。さらにそして この統治関係が 国家つまり 社会的なイエという仮象・想像上のまとまりに揚げて捉えられ そこでの共同自治を前提とするもう一つの生活原理が作り出されたのであると。
なぜなら 余剰の貸し借り関係は 必需品のそれを抱き込み 交換価値のみをとおした経済じょうの人間関係にとどまらず 政治じょうの支配的な関係――その中には 支配欲という愛と 借金棒引きという愛とが考えられる――へ進展する可能性をわれわれは見出すから。支配欲という欲求も 交換の対象となるモノの価値の等位性 またその時間的な一貫性(時間が経ったら 過去は無条件に消滅するというわけのものではないこと)の視点にもとづいて 歴史知性が自己の同一にとどまろうとするやはり愛に由来すると考えて不都合はないであろう。
その背景には 勤勉(=産業。ないし 生産性・生産力の向上への)〔だから怠惰〕 あるいは自然情況等の好悪・運不運の諸条件が 介在しているであろう。しかも いま言えることは この交換経済社会が 国家形態にまで揚げられていくというその初めに 支配欲ですら そのことを前提していたと見るべきように 交換主体でありつつ人間が互いに等位交通するという新しい生活原理が 見出され 歴史的に いちど 樹立されたと見るべきであろうということだ。そうでない場合の支配欲の充足 それによるやがて国家のもとにおける社会関係の樹立は すべてまったくの無効であったと言わなければならないから。債権・債務の関係の恒常化による人間の拘束(奴隷化)を――必ずしも日本ないしアジア社会では ヨーロッパ的な意味では――考えないとしたら(考えても つまり人間も交換価値の一種と見なされることがあったと考えても かまわないわけであるが) おそらく大債権者による土地の領有・独占が 国家形態への移行にあたって 作用したであろう。等々。
いまは このように概観しておいて 国家の問題を捉えようと思う。


ここでは 余論のようなかたちになるかも知れないが このことを 自然科学的な観点をまじえて 試論してみようと考える。この国家の下にある共同自治という新しい生活様式について それを 社会的な力学といった観点のもとに 試考してみようと思う。別の言葉でいいかえると 自然科学の世界観とわれわれのこれまでの世界観との対照・吟味をおこなうことによって 議論を発展させたいと考えてみた。
それは 一九八三年六月一日 欧州合同原子核研究機関(CERN)が 素粒子ウィークボソンの最後の一つであるZゼロを発見したと発表され これによって 自然界に働く力はすべて統一的に理解されることが いよいよ確実になってきたそうだからである。やや先走って言うならば 人間の社会的な力も 同じように統一的に理解されるのではないか それには国家の問題が大いに関与している つまり国家による共同自治の中ではたらく人間の力を知ることによって 人間の自己認識および自己還帰の道が開けるであろうといういま大それた考えを持つからである。
これがいま単なる思い付きでないことを 次に証明してみなければならない。――愛の推進力が 資本の推進力であって 資本の推進力というときも これもまだ 目に見えない抽象的な《生産力 / 生産関係の根源》といった意味だが したがって これら推進力そのものを見せて示すことは出来ない その場合 われわれは 経験的な歴史をとおして この推進力に言い及んだのであったが それが いま自然科学の認識する力とも 別のものではないということを 示さなければならない。もっとも 自然科学でいう力とは もともと目に見えない作用ではあるのだが。


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(つづく→2007-04-16 - caguirofie070416)