caguirofie

哲学いろいろ

#8

もくじ→2007-04-16 - caguirofie070416

第二章a スサノヲのミコトの物語

スサノヲは アマテラスの世界から追放され イヅモのくにに来て スガの地に宮をきづいたのでした。

吾(あ)れ 此地(ここ)に来て 我(あ)が御心すがすがし。(古事記 (ワイド版 岩波文庫)

このスガの宮――つまり 形態的なスサノヲ共同体ではなく 死からの再生が成るという内なる神殿(やしろ)の受け取り――これが 神の国であるというわけでした。形態的な国・市民社会としての《スガの宮》ももちろんあるわけです。
 スサノヲの子孫であるオホクニヌシのミコトも 八十神(やそがみ)なる兄弟たちに迫害され 死から復活して さらに新しい国づくりに向かうところを 古事記などは語っています。詳しいことは 原典や解説書にゆづるとしたいのですが ただし 神の国の歴史的な進展にかんするそれぞれの画期的な基軸については われわれはここで それらの新しい解釈をほどこさなければならないのです。

 スサノヲは 復活する前に アマテラスの世界で あの疑いによって悩まされていた。かれは 理屈で弁明するよりは 非行・愚行を繰り返すという破廉恥な抵抗によって 自己の知恵の同一にとどまろうと欲したのです。その一つに。

 アマテラスオホミカミが 忌服屋(いみはたや)(清浄な機屋)に坐(ま)して 神御衣(かむみそ)を織らしめたまひし時 〔スサノヲが〕その服屋の頂(むね)を穿ち 天の斑馬(ふちうま)を逆剥(さかは)ぎに剥ぎて堕(おと)し入るる時に 天の服織女(はたおりめ)は見驚きて 梭(ひ)に陰上(ほと)を衝きて死にき。

天つ神の世界 (古事記をよむ)

天つ神の世界 (古事記をよむ)

とさえ記されています。
 もちろんスサノヲは 殺そうと思ってそうしたのではないでしょう。ですが あえてこのような事をも辞さなかったのでした。
 そこで これらの天つ罪と呼ばれる非行のあと 罰を受けて追放されたのでしたが そしてなおかつ スガの宮の復活を受け取ったのでしたが こうなると つまり 神の国が生起して復活し つまり少なくとも 復活の約束が与えられて 前史から後史へ入ったとしますと この神の国は 過去へとさかのぼり 後史が前史をも覆う つまり前史を完成させるということが 生起するのです。それは このようなことです。すなわち この世にあっては 神の国は地上の国と混同して互いに入り組んでいると見出してのように 地上の経験的な人間の愛が ちょうどその向きを変えられ回転せしめられてのように あの神なる愛につらなるという〔観想的な〕事態のことです。なぜなら 《その皮を剥いだ馬を機屋の天頂から落とし入れて その結果 服織り女たちは驚いてしまい ひとりは 梭(=杼=shuttle)にほとを衝いて死んでしまった》という経験の中のスサノヲの前史の心を すでに その後史の心がおおうと見られるからです。ちょうど

王はその宮からわたしの声を聞かれ
王に叫ぶわたしの叫びがその耳に達しました。(旧約聖書 詩篇 (岩波文庫 青 802-1)18・6)

と すでに言ってのように 前史の愛のなかに後史(または 王の本史)の愛が たしかに はたらいていたと見出されるのです。

〔神の愛は〕処女の胎から あたかも閨(ねや)から出てきた花婿のように 道をかける巨人のように躍り出た。
旧約聖書 詩篇 (岩波文庫 青 802-1)19・5;アウグスティヌス告白 上 (岩波文庫 青 805-1)4・12〔19〕)

というのが 事の真相であると のちのスガの宮にあっては 見出されました。これによって機織り女が驚いたのでないなら それは 何故でしょう。もっと言うならば このように・そのように キリストが躍り出たのです。機織り女も 肉の眼によってではなく 心の内なる眼で かれ(神の愛)を見たのです。
 この事件のあと 《ゆえにここにアマテラスオホミカミは見畏(かしこ)みて 天の石屋戸(いはやと)を開きて さし籠もりましき。》・つまり その身を隠したのです。
 もしこの一例が あまりにも神秘的だと考えられるなら 次の例が人を納得させると言うべきでしょうか。
 スサノヲは アマテラスの疑惑を疑い返し やはり自己の知恵の同一にとどまろうとして この上の事件の前に 次のような愚行をおこなったと記されています。

アマテラスオホミカミの営田(つくだ)の畔を離ち(境界を取り除き) その溝を埋め また その大嘗(おほにへ)を聞こしめす殿(アマテラスの神聖な御殿)に尿(くそ)まり散らしき。
古事記 新潮日本古典集成 第27回

 これは いわゆる反体制の運動なのですが そのあと

 しかすれども アマテラスオホミカミは 咎めずて告りたまひしく
 ――尿(くそ)なすは 酔(ゑ)ひて吐き散らすとこそ 我(あ)が汝弟(なせ)のミコト(=スサノヲ)は かく為(し)つらめ。また田の畔を離ち 溝を埋むるは 地(ところ)を惜(あたら)し(=土地が惜しい)とこそ 我が汝弟のミコトは かく為つらめ。
と詔(の)り直したまへ〔ども なほその悪しき態(わざ)は止まずて転(うたて)ありき〕。
古事記 新潮日本古典集成 第27回承前)

要するに アマテラスは ほんとうにこう思っていたかどうかを別として なお疑惑を解かなかった。《疑うなら つまりそう考えるなら 我れあり。》と考えていました。つまり 開かれた自己の知恵の同一にではなく 前史たる呪術の園を捉えるその見方の同一(つまり これを固定的に・停滞*1安定的に見る自己の知恵の同一)にとどまることを欲した。つまりもっと具体的に言うなら 前史たる呪術の園の栄光を統治する者としてその地位の同一にとどまることを欲していました。
(つづく→2007-04-24 - caguirofie070424)

*1:停滞安定といっても 高度成長はあったと考えられる。→おほきみは神にしませば水鳥のすだく水沼を皇都となしつ万葉集 全訳注原文付(一) (講談社文庫)巻十九・4261番 大君は神にしませば荒駒の腹這う田井を都となしつ   おほきみは神にしませば真木の立つ荒山中に海をなすかも 三・241