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哲学いろいろ

#89

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Système des Eaux de l'Age de Fer ( Meguiddo )

Ayant besoin d'un accès sécurisé vers ses sources d'eau, Meguiddo utilisa plusieurs systèmes des eaux différents au cours de son histoire.

Au cours du IXe siècle av. JC, Achab construisit un système volumineux avec un axe central de 30 m de profondeur et un tunnel de 70 m de long. Ce système fut utilisé jusqu'à la fin de l'âge de fer.

第四部 ヤシロロジとしてのインタスサノヲイストの形成

第五十章a やしろ資本論は 意志の科学である

――告白4・16・30――


自由学芸と呼ばれる学芸のすべての書物を その当時 悪い情欲のもっとも邪悪な奴隷だった私は独力で読み 読みえたものはことごとく理解しましたが それが何の役に立ったでしょうか。
私はそれらの書物を読んでよろこんでいましたが そのうちに含まれている真実で確実なものがすべて どこから由来するかを知りませんでした。私は光に背をむけ 照らされるもの(アマテラス概念)のほうに面(おもて)をむけていたのです。ですから私は 照らされたものを面で見ながら 面そのものは照らされませんでした。
(告白4・16・30)


    ***


君たちはどう生きるか (岩波文庫)

君たちはどう生きるか (岩波文庫)

を 吉野源三郎は 一九三七年に書きました。例によって この本の《まえがき》を全部 ここに収録したいと思います。

コペル君は 中学二年生です。
ほんとうの名は本田潤一 コペル君というのはあだ名です。年(数え)は十五ですが 十五にしては小さい方で 実はコペル君も かなりそれを気にしています。
毎学期のはじめ 体操の先生が全級を整列させて 帽子を取らせ 背の高さを見て整列の順を変えるとき コペル君はそっと砂利の上に靴のかかとを乗せたり 出来るだけ首をのばしたりして なんとか順序を繰り上がろうと苦心するのですが 成功したためしがありません。《ガッチン》というあだ名のある北見君と いつも二位 三位を争って お互いに抜いたり抜かれたりしています。むろん ビリからです。
ところが 成績の方からいうとその逆で たいてい一番か二番か 三番と落ちたことはめったにありません。この方は もちろん ほんとうの成績順で数えてです。といって コペル君は点取虫の勉強家というわけではなく どうして 遊ぶことは人一倍好きな方です。ちっちゃなコペル君が大きなグローヴをはめて 二塁を守っているのは なかなか愛嬌があります。何しろ体が小さいので 打撃の方は強打者ではありませんけれど でもバントが得意で おかげでいつも二番打者に据えられています。
成績が一番か二番というのに コペル君は いまだかつて級長になったことがありません。それは みんなの人望がないからというよりも 少々コペル君のいたづらが過ぎるからです。修身の時間に 先生にかくれて 糸でつないだ二匹の甲虫に綱引きをさせて喜んでいるようでは コペル君を級長にするわけにはいかないじゃありませんか。父兄会のたびに 受け持ちの先生がコペル君のお母さんにいわれる言葉は いつもきまっています。

――学業の方は なにも申しあげることはありません。非常に優秀な成績で こんども首席を占めておられるようなわけです。ただ・・・

この《ただ・・・》が出ると お母さんは またかと思います。このあとにつづくのは いつだって コペル君がどうもいたづら好きでこまるというお話だからです。
もっとも コペル君のいたづらがやまないのは ひとつはお母さんの責任かも知れません。お母さんは 父兄会から帰って来ると 《また先生の御注意を受けましたよ》といって コペル君によく言いきかせるのですが それがどうもきびしくないのです。実をいうと お母さんには こういうことできびしい小言(こごと)をいうことが出来ないのです。
なぜかというと 大体 コペル君のいたづらというのが 人をこまらせたりいやがらせたるするような ひねくれたものではなくて ただ人を笑わせて喜ぶ いたって無邪気なものだからですが そのほかに もう一つ大きな理由があるのです。それは コペル君にお父さんがないということです。
コペル君のお父さんは 二年ばかり前になくなりました。大きな銀行の重役だったお父さんがなくなったのち コペル君の一家は それまで住んでいた旧市内の邸宅から 郊外の小ぢんまりした家に引越しました。召使いの数もへらして お母さんとコペル君の外には ばあやと女中が一人 すべてで四人の暮らしになりました。お父さんの生きていた頃とちがって 訪ねて来る人も少なく うちの中が急にさびしくなってしまいました。そうなってから お母さんの一番の心配は このためにコペル君が快活でなくなったりしては ということでした。それで お母さんは コペル君のいたづらを あまりきびしく叱ることが出来ないです。
郊外に越してからは 近所に住んでいる叔父さんが ちょくちょくたづねて来ます。その叔父さんは お母さんの本当の弟で 大学を出てからまだ間もない法学士です。コペル君も よく叔父さんのうちに遊びにゆきます。二人はたいへん仲よしなのです。人並み以上背の高い叔父さんと 小さなコペル君と 二人並んで散歩しているところを 近所の人はよく見かけます。原っぱで二人がキャッチボールをしていることもあります。
もともとコペル君というあだ名は この叔父さんが製造したものです。そして ある日曜日 学校友だちの水谷君がうちに遊びに来たとき ちょうど叔父さんも来ていて しきりに《コペル君》《コペル君》と コペル君をふりまわしたものですから それ以来 この名が学校にも伝わってしまいました。
――本田はね うちじゃ コペル君て呼ばれてるんだよ。
と水谷君が学校に来ておしゃべりしたため 学校の連中までコペル君と呼ぶようになったのです。今では お母さんまで ときどき《コペルさん》などと呼びかけます。
しかし なぜ《コペル君》というのか。そのわけを知っている者は 友だちには一人もありません。みんな わけは知らないで ただ面白がってこう呼んでいるのです。当のコペル君に
――なぜ 君のことをコペル君というの。
と たづねても コペル君は笑うだけで その説明は決してしません。でも こうたづねられるとき コペル君の顔つきは なんだかうれしそうに見えます。それで 友だちは なお一層 わけを知りたくなるのでした。
みなさんだって この点では コペル君の友だちと同感にちがいありません。そこで まづ コペル君の名の起こりから 話しはじめることにしましょう。それから 順々に コペル君の頭の中に起こった奇妙な出来事を みなさんに報告してゆくことにしましょう。なんのために そんな報告をするのか それは読んでゆくうちにわかります。
吉野源三郎君たちはどう生きるか (岩波文庫) 〈まえがき〉全)


わたしは この作品への讃辞を――つまり ヤシロロジにとってのインタスサノヲイスムの一つの作品に対して―― 次の一点についての批判をもって為したいと考えます。

子供のうちは どんな人でも 地動説ではなく 天動説のような考え方をしている。・・・
それが 大人になると 多かれ少なかれ 地動説のような考え方になって来る。
吉野源三郎:同書 〈へんな経験――ものの見方について(おじさんのノート)――〉)

《このコペルニクス風の考え方》には 疑義がある。
そうではなく

子どものうちは 周囲のおとなたちが 天動説のように 動きまわってくれるので 子どもは 自分にかんしては地動説でいいと考えている。それがおとなになると 《アマテラス語共同観念(これは 母斑)》という《天》が動くとする説に傾いて おおやけ=アマテラス語側面においては この蔽いをほうかぶりして わたくし=スサノヲ語側面では 子どもの頃からの地動説でいこうというような考え方になって来る。

のだ。
つまり 人間の自然本性なる存在(それは 《記憶‐知解‐意志》の三行為能力の一体なる動態)の中の《アマテラス者(公民)性とスサノヲ者(市民)性》との二重性 言いかえると 母斑の世界の中の昼と夜との二つ これら二項構成が 二元論へとみちびかれ 基調としての《S者地動説》が 仮象《A者天動説》の共同観念蔽いの中で 使い分けられるようになる。使い分けできるのが 賢いおとなだと 観念共同化される。社会心理として その観念が―― 一旦そのように納得すると あとは ほとんど全く 意識せずにというほどに―― 浸透してくるようなのです。この世の中は 欲するところの意識を観念的な心理として表出し 時には・人によっては排泄するように発射し これらの心理を情感かつ幻想のごとき現象として 流通させ さらにはあたかもそれらを互いに交換し合うかのような共同情感の(あるいは幻想の)運河が 張り巡らされているようです。
このA語客観共同の中で おおやけに わたくし=地動説を主張することは なにか不道徳であり罪であるとさえ観念化される。これが 観念の資本体制としてのやしろ資本の諸関係であり諸連関。
もう一度くりかえすと 《地動説》が科学的真実であるなら 世の中のくにやしろ資本の《天動説》もヤシロロジにとっての真実なのだと――そのもとに ささやかなわたしたちの地動説生活がいとなまれるのだが―― あの二元論のような考えになってくる。
問題は 地動説(主観の運動)が その《わたし》が死なしめられてのように 共同主観としての地動説になることだ。また ここにヤシロロジにかかわる天動説が 真実として存在するなら それは 《やしろ資本の推進力》という《天》が 動くのではなく 動かすのだということになる。
これは 従来の(あるいは 現代の)考え方では あまりにも神秘的だとするなら 《天》は アマテラス語共同観念もしくはアマテラス社会科学主体圏にあるのではなく 市民社会スサノヲ圏〔のやしろ資本連関〕に基本的にあると言いかえることができる ということであった。
《やしろ資本推進力》が 何かデーモン(守護霊)のようになって わたしたちを突き動かすと言おうとするのではありません(§37)。共同主観が愛をとおしてはたらくのです。共同主観とは やしろ資本推進力の信仰です。しかしそれは 理性的に知解されA語理論的にはたらくというのも然ることながら S語地動説として 身体の運動として 可感的にです。また これを 預言する・つまり解釈し説明するというものです。
そうでなければ 吉野のこの本にわたしたちが感動することはないでしょう。これは 天動説といってもよい。(天が動くのではなく 天が動かすのですが。)地動説(主観の運動)が 共同主観において この天動説を分有するのです。けれども 言葉として《天動説を主観が分有する》というのは くにやしろ(ナシオナリスム)資本主義(キャピタリスム)においても A語客観・観念仮象として すでに持たれていて 現実といえば現実なのです。人びとは 無理なく容易に 何でも 右へならえします。右へならえすることをいさぎよしとしないのは あの高野山にたてついた戸谷新右衛門くらいでしょう。
いま述べていることが 経験科学としてのヤシロロジである以外にない。このヤシロロジとしてのインタスサノヲイスムは 引力の法則=共同観念=母斑の世界=必然の王国の中にあって そこから出て しかもそれによって 生まれたのではない。天動説によって――わたしたちの言う逆向きの天動説によって―― 認識されうる資本形成過程の一環としての表現行為でしかない。それじたいは地動説であり だから可変的でもあります。
ヤシロロジストとしてのインタスサノヲイストは この逆向きの天動説に立って 一人ひとりは地動説として――多種多様対立のもとに――生きつつ われわれがそれによって生き動き存在するこの天を 誇るべきです。

  • この神を 神学において・あるいは哲学において 《それ自体は動かずして もろもろのものを動かす第一原因》として認識し示すことは出来るけれど それは この天をアマテラス語において捉えたものであって またそれがそのまま共同観念されるなら そのようなものとしてもう一つの宗教であり まだ《わたし》の主観・その動態を示してはいない。
  • わたしたちは この天を一人ひとりが分有すると言ったのである。このことを言わないよりは 言ったほうがよい。また《神は死んだ》という認識の中に 隠れた源流のように生きていると捉えないよりは 捉えたほうがよい。なぜなら 《神は死んだ》というとき この認識・この言葉じたいが――もし共同観念とならず つまり神に代わる科学が その認識によって もう一つの神にならず―― 各主観のうちに捉えられているなら この認識を生んだ人間の源が考えられなければならないから。そうでなければ・つまり そんなことをわざわざ ほじくり出そうとする必要はないというなら 《神は死んだ》と言われる以前と以後とのそれぞれ人間は 明らかに別の種類の人間であることになる。それは成り立たないではないかと言おうとしているのではなく もしそうなら人間は あたかも蝶のようなこの人間の歴史的な変態を 証明して見せる必要がある。しかし 立証責任は このいわゆる《無神論》者のがわにある。
  • 《神は死んだ》とはよく言ったが そのことばだけでは まだ 前史の母斑の世界にとどまっている。

したがって人間という類はまだ変化せず ヤシロロジスト(社会人)の面で その自己了解に変化が生じたのだ そしてこの自己認識もしくは自己還帰は その源たる第一原因にあづけられていると 言わないより言ったほうがよく もしそうなら この天を誇るべきです。それとも そうではなく 人は 自分がその原動力となったと自己を誇り 誇りうるほどに 正直に 自己を世界を 変革し得ただろうか。
(つづく→2007-03-23 - caguirofie070323)