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哲学いろいろ

#69

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Mont Guilboa

Mont Guilboa se situe sur le côté oriental de la vallée de Jizreel. Le Roi Saül fut forcé de se suicider sur ces pentes, faisant face à une défaite aux Philistins. Suite aux morts de Saül et de Jonathan, David maudit la montagne: "Montagnes de Guilboa! Qu'il n'y ait sur vous ni rosée de pluie, ni champs qui donnent des prémices pour les offrandes!" (2 Sam 1:21).

第三部 ヤシロロジとしてのインタスサノヲイスム

第三十八章a 山路愛山に対して堺利彦のばあい

――《欺かれるならば我れ存在す》――


資本家制度は日本に入り来たれり 従って社会主義は日本に入り来たれり 日本の国家は資本家制度の上に立てり 日本の平民は社会主義運動を起こさざるを得ず 而して日本政府と社会党との衝突は起これり
堺利彦:《国家社会主義梗概》を読む――《平民新聞》準備版としての《光》第一巻第三号 1905・12・20)

と始めて 堺利彦は 《〈国家社会主義梗概〉を読む》なる論説をもって 《梗概》の著者・山路愛山について語っています。
共同主観者としての愛山・そのインタスサノヲイスムと そのヤシロロジ理論とは 別である もしくは 当時の社会事情に即してその理論はあった――このことは 後に見るように ソシアリス堺利彦にしても同じようにそうである―― この点をこの章ではいくらか触れておくべきかと思います。

或る者は謂(おも)へらく 社会主義は国家の大患なり 然れども多少其の要求を容れざれば之を鎮圧すること難しと 
或る者は謂へらく 社会主義の主張は真にして且(か)つ美なり 然れども姑(しばら)くは大いに譲歩するに非ざれば之を行なふ可(べか)らずと
此こに於いて大学教授連の社会政策学会は起これり 某々政治家の国家的慈善事業論は起これり
而して又安部〔磯雄〕 木下〔尚江〕 石川〔三四郎〕 諸氏の基督教社会主義は起これり 山路愛山君等の国家社会主義は起これり。

  • 愛山の《ヤシロ》は まだ くにやしろを大前提としているとまづ わたしたちは知ることができる。

然るに 国家的慈善事業論の如き 社会政策学会の如き 未だ一個の運動として目するに足らず 基督教社会主義も亦た今だ其の旗幟(きし)を鮮明にせざるが故に之を批評するに由(よし)なし 只だ彼の国家社会主義は近来大いに活動の気あり 殊に《独立評論》(明治三十八年)第九号に於いて山路君の《国家社会主義梗概》は最も明白に 最も詳細に其の主張を公表せり。

  • 次に愛山の文章について一般的に評価し(文体の評価) その後《以下原文の章を追ひ其の要点を摘記して之を評す》と堺は論じてゆく。

(一〔:第一章〕)《日本国民の総体は一家族なり 家人父子の関係を以って国体の本義とす》
(二)《国家既に一家にして皇室既に民の父母たらば 君民は喜憂哀楽を共にせざるべからず》 《皇室の尊厳と安民の徳とは離るべからず》
(三)《共同生活は日本王道の根本義なること》 《元来国家なるものは共同生活を目的として起こりしものなり》
山路愛山の《国家社会主義梗概》を堺利彦が《摘記》したもの)

以上三章は綾(あや)にして畏(かしこ)し 我が輩之を評するを好まず。只々 《国家》の意義明瞭ならざるを注意し置けば足れり。・・・前の用法に依れば 国家とは《日本国民の総体》を意味する筈(はづ)なれども 後段の用法に依れば 或る時は《政府》を意味するが如く 或る時は《天皇》を意味するが如し。変通の妙想うべし。
堺利彦:前掲論説)

以下 《十九章》までの各《要点を摘記して評》してゆくのだが ここでわたしたちが問題としたいのは これら《三つの章》をまとめて第一点とするなら 一方で 愛山のこのような要点がひとえに時代に即してのみ説かれたものであること 他方で 愛山の各要点に対する堺利彦(枯川〔こせん〕)の批評が 上の第一点へのそれの基調とみな同じようなものであることより 次の問題である。
利彦の批評にかんして おそらくこの第一点と同じようにその後の要点についても的を射たものであることは争われないことと思われるのであるが 実は今度は――次のことを問題としたいのであり それは―― 一方で 愛山がこのように その共同主観(ある意味で純粋理論)そのものとは別個に(つまり より正確には 一つの共同主観の中で或る一つの立ち場を採って) 時代に即した(あるいは日本というやしろ情況に即して)・だから可変的に理論しつつ ヤシロロジの一案としているのに対し 他方で 利彦は むしろこれらを評するにあたって なお共同主観そのものの位置に留まっている。
いま微妙な問題点なのだが。言いかえると――マルクスが 《ドイツ労働者党の綱領を批判》(ゴータ綱領批判)したときと あたかも同じように―― むしろこの点では ソシアリスト堺は 共同主観の滞留をおこなっている。ヤシロロジ理論たるソシアリストの具体的な綱領がないというのではない。けれども ソシアリストないしこの意味でのコミュニストは 現在地点とむしろ未来社会とのあいだの時間において 方法の滞留をおこなってのように 現在の可能なまた可変的な理論に対しては ヤシロロジに立つのではなく あたかも《労働者の団結》というインタスサノヲイスムの共同主観化(もっと言うならば その福音宣教)の実践をもってそれに代えているかのようなのである。
この点は いくらかわれわれの議論としても旧聞に属するかも知れないが いま一度問題としたい。共同主観の方法における滞留と 現実のヤシロロジとしての実践(経済政治的な活動)とのあいだの問題だと思われる。
インタスサノヲイストとしての自己の確立(アマアガリ) これは 前史と後史とがあって かつこれのみである。たしかにわたしたちが前章から述べ始めたもろもろの原則的な《内面の固有な方程式》が見出されたとしてもそれは 前史から後史への移行たる内なる人の秘蹟としては これ一本でしかない。しかし かれ(インタスサノヲイスト)のヤシロロジにかんする理論・政策は 絶対的に多様であって 社会や時代の事情に即して主張されるものである以外にない。後者は 可変的また 諸理論・諸主張のあいだで相互対立的である以外にない。この点も むしろ原則的な命題であると考えられるのである。――わたしたちは 詭弁を用いたであろうか。すでに矢内原忠雄の視点として少し触れた(§26)。とまれ

(十二〔:十二章〕)《今や自由競争は名のみにして 富豪の兼併(けんぺい)は愈(いよい)よ甚だしからんとす》 然れども 《吾人は富豪を敵とするに非ず》 《去て共同生活の理想を実現すべき時期に数歩を進めたるものなると信ず》 《大富豪 若し其の位置を維持せんと欲せば 礼を厚うして天下の人才を招致し 人情を基礎として其の社員 労働者を待たざるを得ず》 《されど・・・大富豪既に天下の富を壟断(ろうだん)する時は 其の勢力を濫用して横暴を逞しうすることなきを期せず》 《事是れに至る 共同生活を理想とする国家たるもの・・・応(まさ)に須(すべか)らく手を下して彼れ是れの間を和らげ 国家の赤子たる平民の為めに其の蘇息(そそく)の道を計るべきなり》

大富豪の現出(即ち資本の集中)が 社会進化の上に於ける自然の道行なることは 社会主義者も亦た之を認め居れり 又 大富豪が其の位置を維持せんが為めに謂(い)はゆる《天下の人才》(実は 高等奴隷)を招致し 及び謂はゆる《人情を基礎として》(例へば鐘淵紡績会社の職工幸福増進法の如き)極めて些細な救済(現代では 小さからざる救済だが)を為すことは 社会主義者も亦た之を知らざるに非ず。然れども 彼の資本家が《横暴を逞しうする時》 《国家》と称する者が 果たして何の手を下して其の《赤子たる平民》を蘇息せしむべきかを知らざるなり。大富豪の権力以外に立ちて 大富豪を《駕御(がぎょ)》し得べき《国家》なるもの 果たして何処に在りや。
堺利彦:前掲稿)

これで 一つの要点とその批評の全部である。
問題点の原則的な議論はすでに終えたと思うが この今ではすでに幼稚とも見えつつ決して幼稚ではないと思われる論議とのかんけいで もう少し具体的に展開することができる。事は 可変的な領域に――つまり対立をおおいに許容しうる主張に――かかわってくるが 次のような派生的な問題点がうかがわれる。
ここで堺利彦は あのロシア革命のいまだ起こらない時点にあってこう述べているのであるが このともかく一個の未来社会について それと現地点との方法の滞留にかんして その共同主観の滞留の根拠を 最後の一文で語っている。すなわち《大富豪の権力以外に立ちて 大富豪を〈駕御〉し得べき〈国家〉なるもの 果たして何処に在りや》という視点に求めて言っていることである。
はじめの第一の要点を評して 《〈国家〉の意義 明瞭ならざる》といった論拠を このような視点に置いている。
わたしは 逆に この未来社会とのあいだの時間的な隔たりをもって 方法の滞留とすることは ほんとうには滞留ではなく 一面でむしろ あの《聖書の研究》にしりぞいだ内村鑑三と同じように なお共同主観そのもの・そのインタスサノヲイスムの観想に〔のみ〕道を求めていることだと思う。
内村のばあいはこれを スーパースサノヲイスムというほどに 自己はA圏の住民なりというほどの《誇り》を持ってやった。堺にこの欠陥は無用だが スサノヲイスムを労働者プロレタリアのあいだに問い求めようとしていたとするなら これは むしろ福音宣教の実践にひとしい。ヤシロロジをすべて 未来に棚上げしたのである。これは 方法の滞留ではなく―― 一面ではまだ 方法が 現実には確立されていなかったとは言え(また いまも されていないのだが)―― 文字どおり《愚かな手段》(コリント前書 1:21)だと言わなければならない。(そのように自重していなければならない。《愚かな手段》というのは パウロがみづからの宣教という方策について言っていることばである)。
これによって わたしは 愛山のヤシロロジ政策が正しいというのではない。スサノヲイストが インタスサノヲイストとして 相互対立的にさえ ヤシロロジにおいては 実践してゆくべきだと言っている。
おそらく ここで ヤシロロジとしてのインタスサノヲイスムは 多種対立的なインタスサノヲイストの実践となってあらわれるはづである。ここで照れるのは 日本人の特徴である。アマテラス者のあいだに《両種の資本主義的な行動の対立とその談合》があるから――またそれが S者間のそのような思想の先取り・ないしA語化であるとしたなら―― いづれにしろ 照れなければならない。A者たちのあいだの問題点を 繰り返しているだけではないかと見られるとき むしろすすんで照れればよい。
しかしながら 方法の滞留は この地上の国への寄留を意味した。インタスサノヲイストであることを 滞留のうちに確立させてゆくとしても しかしそれは ヤシロロジにおいて その時代ごとにその都度 発言を保留することを意味しない。保留することも一つの実践でありうるが 滞留は ただ沈黙していることとは ちがうはづである。しかしながら このただ沈黙しない実践は 未来社会とのあいだでの《時間》間的滞留(つまり 福音伝道)に立って ヤシロロジ政策をすべて批判する道を意味しない。(《ゴータ綱領批判》にはそのような欠点がある)。したがって 意味させてはならないであろう。
(つづく→2007-03-03 - caguirofie070303)