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哲学いろいろ

#62

もくじ→2006-12-23 - caguirofie061223

Ville Romaine( Samarie )

rode le Grand rebâtit la ville et la nomma d'après l'empereur (le nom d'Auguste en grec est Sébaste). Six cents colonnes longeaient une rue de la moitié d'un kilomètre de la Sébaste Hérodienne (photo à droite). Le forum romain était une large place où les gens s'assemblaient pour commercer et pour assister aux activités du gouvernement. A l'angle du forum les archéologues excavèrent une basilique romaine. Avant d'être adoptée par les Chrétiens comme édifices d'églises, les bâtiments de type basilique servaient de centres économiques judiciaires. Hérode bâtit aussi un large stadium sur le pente nord de la ville.

第三部 ヤシロロジとしてのインタスサノヲイスム

第三十四章b 日本なら日本という土壌の確認

――アウグスティヌスパウロ――


内村鑑三について 《彼は愛国者なり。当時の彼は聖書とシェーキスピアと太平記を愛読せり。・・・》と述べた山路愛山の観察をつづけます。

彼は太平記を愛し勤皇の精に焚(も)ゆることに於いて醇乎として醇乎なる日本人なり。保守党なり。されど彼は不思議にも保守的反動の犠牲となれり。
彼は第一高等学校の教師として翌年の天長節に於いて賢きあたりの御尊像を宗教的の意義に於いて拝む(オールシップ)することに躊躇したるが為めに世間より不敬なる漢子(をとこ)なりとせられ 教育界に対しては全く流竄者(りうざんしゃ)に均(ひと)しき悲境に投げられたり。久しく基督教徒の態度に対して猜疑しつつありし世間は氏の一挙に依りて基督教徒に加ふるに不臣 非愛国の悪名を以ってして之を罵言するに至れり。・・・
山路愛山現代日本教会史論――保守的反動(二)――)

愛山の言うところは――。
スーパーアマテラシスムの《幻影とその魅惑》に対して同じ水準で・すなわち《くにとしてのやしろ》の水準と段階で 《聖書》によって スーパースサノヲイスムを説くやり方がある。これによって 自他ともに称する《愛国者》が スーパースサノヲイスムに拠るばあいは 《愛国》でなくなった。すなわち 《共同観念ナシオナリスムの幻影と魅惑》に 寄留するのではなく この幻影をわざわざ現実と見なすことによって 寄留しないこととし 別の幻影の王国へ移り去ることになった。アマテラス圏次元で 現行のスーパーアマテラシスムと対抗スーパースサノヲイスムとの《両種のA圏資本主義的行動の対立》という談合が――ひそかに そして公然と《事件》として――おこなわれることによって インタスサノヲイストらの《寄留〔しつつ 〈政府をして 自己の趣好に適せしむるの能力を有すること この権>〕》を 今は亡きものにしたのだ。《是れ日本人民の歴史を侮辱する者なり》と。
結果的にしろ 本質的にそうなると言うのである。だれが 譲歩する弱きスサノヲ者が 愛国者でないと言うであろうか。ヨーロッパ人のハーンでさえ 日本の国を愛する者ではなかったであろうか。
けれども ハーンも愛山も この《神国〔なるやしろ〕》のなかで インタスサノヲイスト・共同主観者らの歴史的系譜を また自己を 思うのである。かれらは すでに《聖書の研究》を済ませた地点に立っている。むろん愛山山路弥吉も キリスト者であったが かれらが 《聖書》についてのA語精神主義的な学をうちたてているかどうか ここでそれが問われていると見なければならないほど 《聖書の研究》が――つまり《研究》が――理論として 必要であるだろうか。インタスサノヲイストの――また日本では初発のシントウの――井戸端会議の中にすでに 弁神論(神義論)は宿っていたのではなかったのか。


ヴェーバーマルクス》というテーマについての問題関心は最近とくにわが国において高まって来ている。これは ヴェーバー研究の側からマルクス主義への関心の高まりや マルクス主義思想圏からのヴェーバー思想圏への接近のためでもあり また一般知識層の両者への同時的関心のためでもある。
その深い根拠は二つ考えられる。第一の理由は 日本の明治以降の資本主義文化の形成をめぐる特殊な文化諸状勢に密接に関係していると考えられる。
(内田芳明:ヴェーバーマルクス 序論・1・1)

というのは だから うそである。つづけて

すなわちそれは あとから日本に導入されたマルクス主義の現実的運動が また社会科学的方法としてのその形成が すでに権力を掌握していた日本資本(くにやしろとしての愛)主義の重圧の下で屈折を強いられたという特殊の運命と関係している。
(承前)

というのは だから ほんとうである。
《マルクシスム》は すくなくとも日本では だから 内村鑑三の《〔非または対抗〕愛国者》とはならずに 一般に あの《転向(つまり死)》を余儀なくされそう譲歩した。このインタスサノヲイスムの《日本人民の歴史を侮辱》してはならないのである。
《転向》しないのが 内村・ウェーバー流の――あの《談合》の――やり方であり 弱さを誇ってのように 転向するのが 《幻影と魅惑》に それと知りながらだが 寄留する方法であった。
この寄留が インタスサノヲイストの健康な滞留である。(寄留・滞留というのは 広い通念として言えば お遍路さんが巡礼しつづけるように 生きることである。そして そこには 前史と後史とがあった)。かれらは A圏と《談合》することなく 〔第一の〕死をえらんだのである。アマテラス予備軍となる談合を 日本を愛するがゆえに 恥ぢた。

  • 第一のというのは その死が死ぬようになるからである。つまり やはり 前史と後史とである。第一の死が死なないようになることは 第二の死であり 永遠の死である。

これは マルクス・ボーイならずとも 一般に A圏もしくは軍部というアマテラス予備軍の要請した戦争に 不本意にも――あるいは 《今後何千年かさきに実現する》であろうインタスサノヲイスム(生活)としてのシントウをあるいは信じつつ 本心から―― 参加することに従った人びとの道である。かれらは 戦後 《神国》なる日本というやしろのだけではなく インタナシオナルなヤシロロジの確立の要をさとり その戦後になって その確立を 見たかに思った。あるいは また 俟ったのである。
だから 問題を 《マルクスヴェーバーというテーマ》に運び去っていくことは 内村事件の前後の歴史を いまひとつ別の歴史的文脈において再演しようとするあらたなアマテラス予備軍の胎動であり そのやり口であると わたしたちは 経験的にさえ知っていたのである。
新しいヤシロロジの確立は この欠陥を取り除くことによってではなく――それは 神(やしろ資本推進力)が なしたまう―― この欠陥を徹底的に憎み(愛によってでなければ人は 何ものをも憎めない) この欠陥が癒される新しい栄光(共同主観)に立ってであると考えられた。

しかしながら この前期の内村における思想的統合の立場

  • 日露戦争当時の非戦論の思想》 あるいは 《人類史の根底に支配する楽天史観の法則への信仰(これは ゾロアストリスム・マニケイスムから離れているとは言えない)

を 根底から掘り崩すものが もはやのっぴきならぬ形で内村の前面に立ちはだかってきた。
それこそほかならぬ戦争であり その罪悪であり そして当然にその帰結として信ぜられた(信ぜられた!!??――引用者)日本の しかしやがては第一次世界大戦の経験を経て人類の 滅亡の問題であった。
(内田芳明:内村鑑三集 解説・6)

のは けれども 《すでに受け取っているのに まだ受け取っていないと自己を誇る 〔また〕 わたしたちを抜きにして 勝手に王さまになっている》(コリント前書4:7−8)スーパースサノヲイスムによるやり口だと考えられることも ほんとうであるに違いない。《キリストの再臨》は――やしろ資本推進力が 肉となる・一個の人間としてふたたび現われるというこの再臨は―― すでに信仰を与えられ信仰が生起して始まっているその人たちに示される観想に属することである。わたしたちは これを告白してもよいが ヤシロロジにおいて説くことはしないのである。また マルクスのように あるいは ハーンのように ヤシロロジをとおして 時に語ったりもするかも知れない。
ところが 核戦争による人類滅亡の危機に際して――むろんこれが《信ぜられる》というのではなく 人びとがこううわさするのであるが―― これらA者予備軍の人びとは 〔核〕軍備論のスーパーアマテラシスムに対して スーパースサノヲイスムの断乎反対論を展開するか それとも そのような《両種のA圏資本主義的行動の対立》 の結果 ひそかに談合を開始して この反対論者たちが たとえば《キリスト再臨の信仰》を さも巧みなアマテラス語弁論術に乗せて かつ すでに十分にゆたかになっている人間的な科学理論を駆使して 説くに至るであろう。

再臨信仰への飛躍は 他面から見れば 内村の内的世界における世界観をめぐる長い間の苦闘の果てに到達した事柄だったのであり 徐々に進行していた思想的変化の帰結として生じたものであった。それは 一日にして突如として起こったことではなかった。
(内田芳明:前掲書)

ゆえ 現実であると説くであろう。
《信仰》と《再臨信仰》とが 別個のことなのではない。《信仰》において すでに 《かれ(人)は顔と顔を合わせて見るであろう。・・・そのときには わたし(パウロつまり各人)がいま知られているように知るであろう》(パウロ:コリント前書13:12)と言われていたことである。これは 日から日へ変えられる信仰の動態(そしてついに信仰はなくなる。その記憶のみがわづかに残る)ではあっても 《思想的変化》なのではない。《信仰》から《再臨信仰への飛躍》など あっては たまらない。

  • わたしたちは ラフカディオ・ハーンの捉えた日本の第一次のシントウ つまりS圏日常生活次元でのその《思想》〔と言うならそれ〕に 《再臨信仰》が存在しなかったとは言えない。

《長い間の苦闘の果てに 〈やっと〉到達した》その《事柄》を スーパースサノヲイスムとして 説いて見せるのである。愛山には そんなことは あほらしい わかりきったことであったと言っても わたしたちは 愛山を不当にもちあげ 鑑三を不当に貶めることにもなるまい。井戸端会議とウェーバー学との《しばしば間髪の差しかない境界線》のゆえんである。
《光と闇との回避すべからざる闘争は ついに光の勝利によって終わるのだ》と この《愛国者》たち・すなわちエートスの王国の熱心な信徒たちは 甘く切ない調べにのせて 説ききたる。これは――わたしたちも 同じように《愛国者》となって言うのであるが―― 《日本人民の――つまり他の国ぐにの人びとは それぞれのくにびとの――歴史をもっとも侮辱する者なり》とこたえるのだ。
《内村――内なるエートスの村――》は 《矢内原》を突き刺され かれを経てすでに《大塚》を築き 《内田》におさまると言うのは かれが 忠雄と久雄と芳明との《鑑三》であったと見るからである。その織り元は 《ウェーバー(織匠)》である。
(つづく→2007-02-24 - caguirofie070224)