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哲学いろいろ

#45

もくじ→2006-12-23 - caguirofie061223

Capernaüm
Aussi connue sous le nom de Tell Hum, Khirbet Karazeh, Bethsaida, Capharnaum, Chorazin, Kefar Nahum, Kafarnaum, Kefar Tanhum, Talhum, Tanhum

En existence entre le IIe siècle av. JC et le VIIe siècle, Capernaüm fut construit le long du rivage de la mer de Galilée et eut jusqu'à 1500 habitants.

Aujourd'hui deux églises se partagent les ruines: les Franciscains contrôlent la partie ouest comprenant la synagogue et les Grecs Orthodoxes possèdent l'église blanche aux dômes rouges.

第二部 ヤシロロジ(社会科学)におけるインタスサノヲイスム

第二十五章b ヤシロロジにとっての神義論(井戸端会議にも見出されるところの)

――《〈わたし〉の力尽き果てる》ところで 強くなる――



《この世の無常な事象や行為と 永遠の秩序のあくまで静寂な存在との 二元論》には 耐えることが出来る。そして 《あらゆる事象を 光明と暗黒とに――明澄かつ清浄な精神と 暗くかつ汚れた質料とに――分ける・精神主義的二元論》なるマニケイスムは すでに滅び去ったのである。少なくともヨーロッパでは。けれども 《基督教問答》や《恋愛の自由に就いて》が あらたな精神主義的二元論に立たなかったと誰かおろかにも言うであろうか。

内村鑑三においても アウグスティヌスやルターやカルヴァンたちと同じように 宗教の根本問題 すなわち現世における《悪》や《罪》の問題が中心にあった。
(内田芳明:内村鑑三集 1975〈解説〉3)

この解説者すなわち内田芳明は 井戸端会議のスサノヲ者市民に 《〈悪〉や〈罪〉の問題が中心に》ないと言うのであろうか。あるいは 無神論をかかげる人びとに そのように唯物論をとなえるゆえに 悪や罪の問題が中心にはなかったと見るのであろうか。それは 《宗教》の根本問題ではなく 生活の根本問題ではないのか。これを わざわざ《宗教》にひっぱりあげるのが アマガケリ者としての自己を聖別するかのような学のやり方であろう。
《基督教問答》で問いを発している一人のスサノヲ者が 生活の根本問題から無縁であったと言うのは 《存在論的二元論》といわれようとも 輪廻や業の思想として井戸端会議を一つの弁神論にまで展開した人びとの歴史を 無視することに等しい。(また この弁神論が仮りに《神に対して倫理的要求をなしえなかった》(ウェーバー)とするのなら 無視したままにしておけばよいではないか。その無視する根拠をいちど表明しなければならなかったとしても これを《宗教社会学》などといった作業にまでもって行く必要はないではないか。
要するに かれらの拠って立つ位置は その《無限に大きなもの》は どこにも存在しないのである。また あるとすれば それはただ 学問行為という神なのである。)。
同じく この一つのインタスサノヲイスムに対して 《弁神論のもっともラディカルな解決なのだが まさにそれ故に 神に対して倫理的要求をなしえなかったのである》(ウェーバー前掲書)と裁断するのは 《それを無視しない(こうして取り上げている)という純粋の見せかけによって 無視している(無関心でいる)》ことに同じい。とわたしは裁断してもよい。要するに これらの人びとは 暗示的にしろ明示的にしろ――神の語をも用いつつ――実際には《無限に大きなもの》を規定・表現して 〔事足れりとさらに実際にはしていると思うが〕 その《学問に生きている》ということだ。
むろんわたしたちは かれらのこのような自由を奪おうとするつもりはない。またその理論を論駁しようという方向のつもりもない。ただ このエートスの主体が やしろ連関の中で わたしたちと絶対的に関係していると見出したのだった。また この価値自由のエートスが すでに現代のやしろ情況の中で モラトリアム人間類型あるいは偽りの甘えの類型などというように その意味で王者となっているとも認識しなければならなかった。この罠が砕かれ棄てられること すなわち わたしたちが内的にこの誤謬を棄てることを 一つの課題とした。
内田芳明の《解説》は 上の引用文につづいて こう述べる。

そしてこれに対する内村じしんの信仰的思想的苦闘と彼なりの突破があった。その場合に内村における宗教思想の形成が 西洋の巨峰と比較して神学的思想的展開の密度や深さ幅において落差があるとすれば その根拠の一つは 西洋的世界が古代ギリシャに発する哲学的合理的思惟の伝統をもち キリスト教の神学的形成の側面が この伝統に立脚することによって可能となったのに 日本にはその背景が全く存在しなかったという点にある。
(内田芳明:前掲書 解説)

しかし アウグスティヌスの神学が 《哲学的合理的思惟の伝統》=《知恵の愛》をむなしいものだと宣言していたことを わたしたちは 忘れていない。また ウェーバーが同じ箇所で

輪廻信仰は 死者の精霊が自然物に乗り移るという・・・アニミズム的観念と結びついている。輪廻信仰はそれを合理化し その結果 宇宙を純粋に倫理的な諸原理に即して合理化した。
ウェーバー:宗教社会学 《経済と社会》2・5・8・4)

と言っていることを見逃していない。それなりに《合理的思惟》が見出されるのかも知れない。 あるいは 大塚久雄が 

マックス・ウェーバーは 儒教について それは一つの身分的倫理 Standesethik  それも書籍的教養が高く 独自な合理主義的生活態度をもつ官僚層の身分的倫理だ と説明しております。
大塚久雄社会科学の方法―ヴェーバーとマルクス (岩波新書) 3・3)

と述べていること等々を わたしたちは見逃すことは出来ない。《合理的》あるいは《倫理的》であることの質がちがっていたとしても そのように呼ばれる本質は存在し形成されてきたのであり――このようなことは当然のことだが―― たとい明文化されていなくとも その《背景》は明らかに存在した。(わたしたちは こう言うことによって 《知恵の愛(フィロソフィア)》を貶めたことには あるいはまた 《輪廻信仰(ヒンドゥーイスム→ブッディスム)》や《コンフュシアニスム(儒教)》やを 不当に持ち上げたことには なるまい)。
わたしたちは 要するに あの後史に入って これらを前史だと見ることができるようになった。かつ その前史の井戸端会議の中に 後史へ至る弁神論がそなえられていたと見出すことになったとだけ 言おうとしている。ウェーバーやその学派の人びとは むしろ マルクスの言った《前史から本史へ》の預言を 単純にかつ忠実に実行した結果 この世ですでに・従って ありもしない所に《本史》を見つけたと言ってそこに立ち これら前史を 傲慢にも 裁断することになったと わたしたちは裁断する。
また あの回心後のわたしたちの後史の中で 本史である神の愛がはたらきたまうのは あくまで 神がなしたまうということだ。かれらは たしかに《前史から本史へ》アマガケリした あるいは すでに初めに かれらにとって《前史》などなかったのかも知れない。アウグスティヌスのように 《前史》の告白をすることなど 一切なかった偉大なる存在でありつづけたか もしくは とても恥ずかしくて告白など出来ないのか いづれかであろう。
けれども 後者であろうというのは だから ありもしない所に(つまり その語の十全な意味で《精神》において) 《本史=神》を見出した これが真理であってくれと言って ここから 《学問》にいそしむようになったと捉えられるからである。
内村の《余はいかにして基督教徒となりしか》は 《基督信徒になったこと》の告白=讃美であって また 萌芽としてにしろ この告白=讃美を一つの学として研究しうると見出したということの告白=讃美であり キリストの御名はどこにも見当たらない。はじめから後史であった(つまり はじめから わたしには 前史などなかった)と言っているか あるいは――つまり実際には――わたしは はじめから 精神の知力 その徳と美とが わたしの本史であったと告白しているかである。
この偽りの本史から 基督教問答をあらわし 恋愛の自由に就いて説教するのである。
わたしたちは 《栄光から栄光へ》(つまり《前史》も――人間の自然本性がそのまま善であるならば――《栄光》である)と言われたのであって 《前史から本史へ》でも《世俗から学問へ》でもない。
しかしわたしたちは たしかにこの方法を《神(本史)から人間の中へ到来し 人間に近づく》(三位一体論17・7)という仕方だと見ると言った。たしかにわたしたちは もし後史に立つなら 《栄光から栄光へ》変えられつつあるなら わたしたちも この《本史》すなわち神を見たということを 隠す必要はないし そう述べることを恥ぢてはならない。けれども 《余の耐えられぬ事》という弁に対して わたしたちが 耐え難きを耐え忍び難きを忍んでいられるのは それは実際 《神の恩恵(恩恵とは 無償つまり只(値段が只)ということだ)に由りて》であるというのは ほんとうであるに違いない。それは たしかに つねにスサノヲ者でありつつ このスサノヲ者としての《わたしの力つきはてる》ことをとおしてであるに違いない。
この生・この生活が《学》であると知ったのだ。なぜなら あのすでにアマガケリしてスーパースサノヲイスムとなって学を形成するアマテラス予備軍に対して もしわたしたちが ただ無関心となって 耐えることができるとしたならば それは ほかならぬこの学問至上主義の世俗への無関心なる罠に陥っていたことになるからである。恋愛の自由は 世俗のことがらであり 同時にインタスサノヲイスムである。その形成そのものであり またその形成の場である。それは 前史であり 同時に後史であろう。また そのように第一次的に 井戸端会議(うわさ)することがらである。
これを《恋愛の自由に就いて》論議し表明し学として形成することは インタスサノヲイスムの上塗りとしてのスーパースサノヲイスムである。もしこれが 上塗りでなく 第一次的なうわさであるのだとしたなら それは 世俗の中に少なくとも寄留しているはずであるが 言いかえると この前史への寄留が つねに動態であるはずだが 内村の方法は この動態を生きない。人が人を 恋愛の自由において 自分の宗教(勝手な考え)に引き入れようとすることは 《余の耐えられぬ事》だと規定してしまったのである。動態に対してこのようにピリオドを打ってしまうのである。
ここから無関心が始まる。うわさの動態がすでに後史の始まりであるのに このうわさにも そのような学を表明することによって結着をつけてしまい 逆にその世俗への無関心を――A語客観観念によるものとしては関心を持ち S語人間真実をとおしてはもはや無関心となることを――正当化する。これは やはり初めのインタスサノヲイスムの上塗り(あるいは 上澄み)であり 人びとはこの上塗りを 学として・学的命令として 共同観念となして はじめの動態を停滞させる罠におちこむ。かくして やしろ関係は 容易に無関心の法則(観念的な一物一価)の支配するところとなる。《つう》の評価が 通り一遍のものとなる。
生活(井戸端会議・うわさ)が学であるのに このうわさを――高度に洗練させることによって――停滞させた学とその学の傘の中に入ることが 生活であると考えられている。
(つづく→2007-02-07 - caguirofie070207)