caguirofie

哲学いろいろ

#41

もくじ→2006-12-23 - caguirofie061223

הערבה והרי אדום     Edom

第二部 ヤシロロジ(社会科学)におけるインタスサノヲイスム

第二十三章b アマテラス予備軍批判は インタスサノヲイストの《井戸端会議》によって 基本的に達せられる

――アウグスティヌスの《唯物論》――


ここで あえて言うならば アウグスティヌスが 《唯物論》を言っていないと誰が厚かましくも反駁するでしょう。
ただ このような《唯物論》であるとか あるいは逆に《恩》の心を想像する《唯心論》であるとかは その対象に即して言っていることであり――行為過程の形 または 観念普遍化されたものごとに即して言っていることであり―― わたしたちはむしろ その行為の主体に即して これを対自化しつつ――唯物史観とか唯心史観とかとは言わず――インタスサノヲイスムもしくはキリスト史観または単に生活と言います。
また キリストとは 人間キリスト・イエスであり わたしたちと同じ一個のスサノヲ者(ちいさい者)であり かれを当時のユダヤ人(そのA者)たちが 大きな者と思い為し恐れたなら そこに 神の子キリストが 存在するのであり

  • つまり ウェーバー学派も言うように そのようにして やしろ資本形成が 向きを変えられて推進されるようになったのでありということ。
  • もっとも これは エートスが この資本過程の軌道を変えたのではなく もともとのやしろ資本推進力=《なぞ》が 問い求められ予感されていてのように 軌道修正がおこなわれていくこととなった。エートスは その以前からもあったし またその後あたらしいそれが築かれていくことともなった。この新しいエートスが わたしたちの言うインタスサノヲイスム・共同主観・キリスト史観そのものであったかどうか 一概には判断できない。いわゆる原始キリスト教について まさに弟子たちは キリスト史観者そのものであったのだから 別としても 一般にはその後 国教となるにつれて いわゆるキリスト宗教つまりA語客観共同ともなったと考えられる。

 そうしてかれキリストは 父なる神に 十字架上に連れ行かれるまで 従順であった。ここには 《人間の諸動機の法則性》などはなく わづかに 史観というほどに 第一の死(譲歩)→復活(アマアガリ)という動態としての内なる人の秘蹟と 同じく行為者としての外なる人の模範とがあったと わたしたちは告白(讃美)する。この死が 人間としては《涙しながら》も みづから欲した死であることは それは神のみこころであったと言う。これに人びとが驚いたり絶望したりしないように 弟子たちふつうの人間にも 殉教の行為が命じられた。かれらもこれを――時代の問題の中に――受け容れた。《エートス》もへちまも ない。信じたから生きた これだけである。《精神の徳》を見てくれなどと 血迷ったことなど言わない。《おかねっていう世界に染まらないで》と悠長なことなど言っていない。譲歩し 滞留し 生きる。
マルクスが このインタスサノヲイストでなかったとは思えない。かれの生と表現行為が もし唯物論また唯物史観的であるとするなら それは 第一次のそれらであり これを第二次的にアマテラス語抽象普遍的に理論体系化することは それらと別である。ウェーバーは このインタスサノヲイスムまたはキリスト史観そのものを 価値自由において・つまり この方法そのものを第二次的な理論へと連れ行かずに第一次的にだが しかも方法から時に派生するエートス=人間類型として第二次的に 捉えようとしその把握したものを理論として説くまでに到った。一面で 第二次的な理論体系としてのマルクシスムを止揚しつつ 反面で マルクスその人の・あるいはウェーバー本人のインタスサノヲイストとしての生を 即自的にではなく対自的にのみ捉える。ここで 《対自的に》というのは 《ありもしない無限に大きなもの》へ自己を連れ去ってということである*1。ここから繰り出されるヤシロロジの地図は もはや何の値打ちもないしろものなのである。(わかってしまうと ほんとうにくだらないと思われる。その方法がである。)
つうは 恩返しを実際にしたのだが するしないを別として その前にこの恩返しの考え(精神)を むしろこの無限に大きなありもしない地点に立って 編んだのである。だから あの恩返しは この自己の愛への純然たる所産なのである。これは 精神の強さを照明するものとは考えられなかった。ただ 必然の王国としての現実を――その中には 第一次的な恩または恩返しの考えは 存在する―― ただ なぞってこれを撮影したのである。撮影した地図にのっとって 言いかえるとそのA語客観共同のかごの中に入って 行動したのである。これが 他の人にとっては 関与不可能なのであり 従来考えられてきたアマテラス語理論によるヤシロロジが――ヤシロロジ自体は インタスサノヲイスムにとって 必要であるが―― このかごを隔てて インタスサノヲイスムと対峙しており それら両者の統合か否かが論議されてきたのである。だから かれらとかかわりを持つわれらには あの滞留としての溜息は 動態として 必要なのである。
ふつうの従軍記者やカメラマンは 有益な仕事をするが 膨大な第二次的な井戸端会議は――つまり 《第一次的な井戸端会議》の撮影と学的理論づけは―― 地図であって 地図ではない。わづかに 井戸端会議を――恩・恩返し そしてその初めは 与ひょうやサマリア人のむしろ身体的な運動としての思いやりといった歴史行為事実を―― 科学的に価値自由において展開し 価値判断のための前提的な認識〔としての明晰と責任感〕を与えるといって その理論において 権威づけたのである。だから 内容は そのような〔百科事典のような〕ものであり その方法は もしそれが 方法=生活であるならば まったくの幻影なのである。アウグスティヌスが 《〔このようなマニ教徒たちの供する食台の上のものを〕食べさせられ じつは食べさせられていなかった》というのが 《人生の真相》である。
したがってわたしたちは マルクスの提案した理論そのものを実践するよりも かれと同じ方法を 滞留するのである。地図の作成は むろん必要であるが その作業も A圏の打倒のためではなく アマテラス予備軍の解放のための実践の一環として これを行なうと言ったほうが ただしい。あえて 自虐的にさえ述べるとすれば 古いA圏の打倒のための地図作成とその実践は 一般に《A者》の存続をねらうA者予備軍らの作成した地図の作戦にまんまと乗せられてそうすることがしばしばの あの《守護神デーモン》にただ付き従うだけのしろものなのだからである。その地図というのは 井戸端会議を先取りしたエートス的見取り図というべきものである。
A者予備軍は 現在のA者当事者が打倒されても 一向にかまわない。そのような作戦の《とりもち》から わたしたちは 自己を解放していなければならない。仮りに旧いA圏が打倒されても その後にも かれらは 不死鳥のごとく――なぜなら かれらの生は その死が死なない(空中の霊)――甘えを寄せて来て 同じ二元論の新しい趣向によってその罠を敷くことになるであろう。《ありもしない無限に大きなもの》に魅せられているから 新しい趣向は どれだけでも 出てくる。
身体の運動(つうの矢を抜いてやった)にかんする想像としての井戸端会議は まだ いい。これは 唯物論としても 存在すると思われる。つまり 唯物論として理論づけることじたい 井戸端会議なる想像である。身体や自然界の反映・翻訳である。また これらは つねにS圏にあってS語〔をどこまでも基体〕として 表現される。ところが ヤシロロジのためのヤシロロジは そのA語客観によってこの井戸端会議を 一方で洗練させ もう一方で上塗りしている。このエートス論議の客観A語化されたものが 人類の知的な遺産であり これを継承してゆくのだと言い張るほどに かれらは 旧いA圏の打倒の後にも するりと体をかわして その新しい事実関係にも 容易に順応し 新しい《とりもち》を用意するであろうから。
われわれは これに いま 絶対関与不可能な精神を それはそれとして 見なければならず かつかれらに対して ただ 愛をもって 嘲ってあげればよい。与ひょうは つうに対して これを為し得なかったか または 無自覚的におこなっていた。つうがアマガケリして去って行ったあと その天に向かって かのじょの織った布を抱きしめて立ちつくしていたのは つうの愛に打ちのめされ(ありもしない無限に大きなもの・そしてそのとりもちに打ちのめされ) 感動したからでは必ずしもなく またその類いのことが心に引っかかっていたからでもなく むしろ 嘲ってあげていたならよかったなぁという――そうすれば ひとりの人の命が頑なな精神の思いこみによって死んでしまうということも防げたかも知れないという――その過去の自己が無自覚だったという思念に 焼きつくされ 焼き尽くされきりたいと思ったからである。
われわれは きざな言い方をするのであるが 神の国の歴史的な進展はここにあると見ている。この与ひょうの心の折れ返し(反省)にあると思う。これを ただインタスサノヲイスム(日常生活の井戸端会議)においてのみではなく ヤシロロジとして 理論しつつ やしろシステムとしての土壌をも整備する。いつから本史になるのか ではなく つねに本史としての資本形成に従い 個人個人において かつやしろ全体として その前史から後史へ(《栄光から栄光へ》(コリント後書3:18))推移するのを 見守る。見守るというのは ここでは 方法の滞留を基調として――《小説アウグスティヌス》として――言っているからである。実践を怠ってよいのではなく すでに実践しているがゆえに そう言える。
《栄光から栄光へ〔変えられる〕》の一節で パウロは 《わたしたちは皆 顔の蔽いを取り除いて》(同上3:18)と言っている。この《顔蔽い》が A者予備軍のあのとりもちの美のしんきろうである。だから取り除こう。また 《男は神の似像であり 栄光であるから 頭を蔽ってはならない》(コリント前書11:7)と 同じく使徒は言っている。《栄光( doxa =憶測)》が 共同主観である。憶測が 愛の第一次的な井戸端会議なのである。《共同主観(常識)から共同主観へ》わたしたちが変えられる。あるいは アウグスティヌス自身は これについて 

かたちからかたちへ 暗いかたちから明るいかたちへ 醜いかたちから美しいかたちへ 創造の栄光(自然本性)から義認の栄光(自覚的な自然本性)へ 信仰の栄光から直視の栄光へ また 私たちを神の子らとならしめる共同主観者から 私たちをかれに似させるであろう共同主観者へ――私たちは神の真の御姿を見るであろうから(ヨハネ第一書3:2)〔いまは 《部分的にしか あるいは理性的に予感としてしか 見ていない》〕――と知解され得る。
(三位一体論15・8・14)

と言っている。すなわち信仰は――わたしたちはいま部分的に見ている(コリント前書13:12)また 神の背面(うしろの正面)を見ている(出エジプト記33:23)その信仰は―― 直視( visio )の栄光にひきゆかれるとき もはや言わば跡形もなくなると言われている(三位一体論14・2・4)。

信仰によって神の直視へ導かれる・・・ときは(――わたしたちはいまは この神のやしろ資本推進力を 霊的な共同主観において分有している――) もはや見えないものを信じる信仰は存在せず 信じたものを見る直視が存在するであろうから。したがって かの〔アマアガリの〕時には 私たちはこの可死的な生の移り去ったことを記憶し そして見なかったものをかつては信じたということを記憶によって思い出すであろう。しかもこの信仰は過ぎ去り 完成されたものと見なされるのであって 現在的な 常に留まっているものと見なされないであろう。
かくして 今 現在し滞留している同じ信仰の記憶と直視(知解)とより成るこの三一性(三つの能力行為の一体性としての人間存在とその生)も かのときには完成され 過ぎ去ったものであり 常住するものではないと見出されるのである。・・・
(三位一体論14・2・4)

けれども あるいは逆に 従って ここに立って いま現在の滞留を方法する 方法を滞留するのである。それには ヤシロロジの視点は 欠かせないと考えられる。そのためにはヤシロロジ(旧いそれ)からインタスサノヲイスムに移るのではなく その逆の順序で新しいヤシロロジの形成であると考えられた。アマテラス予備軍は このインタスサノヲイスムに なおも甘えてくるであろうことを わたしたちは警戒していなくてはならない。なぜなら かれらは 上にアウグスティヌスの文章に見られたようなアマアガリの《かの時》を いまこの現在において 精神の知力によってまたは精神において アマガケリしてこれに到達したと言ってのように この地点を《ありもしない無限に大きなもの》とすでに捉えたことを前提として すべてを・つまり世界のあらゆるものごとを 写真撮影して先取りし自己の理論の中におさめるからである。(少なくとも それが 写真というぐらいだから 認識として 妥当であるならば まだよいのだが。微妙に はずれていると 解きほぐしは 困難をきわめる)。
わたしたちは 《これからどうなるのかは わからない》(ヨハネ第一書3:2) つまり かのときの真正のアマアガリのすがたをまだ見ていない。見ていないがゆえに 前史と後史とを言うことができるのであり このことは アマテラス予備軍のアマガケリ者が出ることによって より一層 顕著に示されるし また ただ沈黙しないでそう言うことができると思われる。 
(つづく→2007-02-03 - caguirofie070203)

*1:《ありもしない無限に大きなもの》:むろん ウェーバーらにとっては 神のことである。そうはっきり言っていたなら 議論は まだるっこくなくなり もっと早かったかも知れない。