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哲学いろいろ

えびす語源考

たとえば 蝦夷・毛人と書いて えみし(愛瀰詩)・えびす(恵比寿)・えぞ(外国人の文献で yezo )と言いますが この語源を推測したことがあります。


アイヌからというのが 結論です。

アイヌは アイヌ語で《人》を意味する語ですが その発音は アイノとも聞こえます。《神》は 日本語で カム(加牟)ともカモ(加茂)とも表わせるし発音できる《 kamö 》*1だったと思われ これを受け容れたアイヌは カムイというかたちで用いたようです。


恐らく末尾のイは むしろ日本語で 《事》を意味する《イ》 つまり《或る・イ・は》のイで これを 《神》の語にもつけたのではないかと考えられます。そのカムイ・カモイは やがて カミ( kamï )となった。《 kö (コ・ク=木)》が やはりいまのイをつけて kö-i → kï (キ=木)となるようにです。


とすると アイヌという語にも このイをつけて日本人は アイヌイ・アイノイと言っていたかと疑われます。これは 発音上 経済性の法則で →アイニへ そしてさらに →エニとなったと推測します。


簡略につづけますが 漢語の《文》が 《フミ(文)》に 《簡》が 《カミ(紙)》になったように アイノイからのエニが エミとなった可能性が考えられます。/ n /→ / m /。


ところで 沖縄では 本土の日本人を 大和人(やまとひと→)=ヤマトンチュウと言うようです。エミと名づけたアイヌ人のことを エミ‐人(ひと)と呼んだと まず思われます。そうするとこれが エミンチュと転じたのではないかというところまで たどりつきます。沖縄で 海‐人→ウミンチュというようですし 日本語でも 秋‐人(あきひと)→アキンド(商人) あるいは 狩り人→カリウドという類いです。

恵比寿の寿(ジュ)が スに転じたように けっきょく エミンチュが エミンスと成りえたと考えます。《寂》を サミシイとも サビシイともいうように このエミンスが エビンスにも転じるのは たやすいことです。《ン》は 消えうると考えます。そうすると ここから さらに 例のイを付け加えて*2 エビス‐イから エビシ あるいは エミシという発音に落ち着いたと推測するものです。

*1:母音の/ ö /=/オ・ウ /という二通りの発音になる例:önö =オノ(己・各)レ・ウヌ(己)ボレ(自惚れ);    nögöhu=ヌグフ・ノゴフ(拭)

*2:イの重複については 重複という点で 次の例が参照されます。   いか(厳)し→〔現代語=〕いかい→ ど‐いかい=でかい→ど‐でかい