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哲学いろいろ

#1

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はじめに(その二)

人麻呂・相聞歌

人麻呂歌集について

まず万葉集において 人麻呂に関係する相聞歌は おおむね 《柿本朝臣人麻呂歌集》の歌として掲げられているものです。そこで はじめに この人麻呂歌集の性格について つまり言われているように その作歌主体が 人麻呂であったのかどうか この点について一言触れておくべきかお思われます。次のように考えました。
人麻呂歌集の歌は そのすべてが 人麻呂の作品でないとしても 当然のことながら 人麻呂その人が編集したものであろうということ 従って ここで重要なことは すべて人麻呂の手を通って歌集として・すなわち 全体として観念の資本またはその共同主観の内容とされたものだということ これです。
さらに付け加えるならば 人麻呂による人麻呂歌集としての編集と それをさらに大きく万葉集としてその中に編集することとは その観念の資本の編集の方針と質が ちがうであろうとは思われること。言いかえるなら万葉集としての編集は いわば古代市民社会形態の各株主の発言をあつめた議事録であると考えられるのに対して――その中で 巻ごとに 歌の配列等によっていわば全体で詩編となったそれぞれ一つの物語が形作られたのではないかという問題はこれも 排除しないのですが まずは 議事録であると考えられるのに対して―― 人麻呂歌集は 人麻呂の歌集として全体を構成している〔であろう〕ということ。言いかえれば 後者では――のちにも見るように―― 編者・人麻呂による詞華集という色彩よりもさらに強く かれの手になる全体が一つの作品として だから いわゆる民謡等の収集であっても それらを他の人のうたとしてというよりは 一たんあらためて人麻呂によって詞が取捨選択されつつ 成立したであろうということ。また 少なくとも それらをかれは 人麻呂歌集というひとつの作品の中に 一つのストーリの配列の要請から 引用句としてさえ または 再度の歌い継ぎとしてさえ 載せたものではないかということ このように考えられます。
だから 一言で人麻呂歌集は 人麻呂その人の主観つまりうたを 全体として構造的に 表現していると取ってよいと思われます。仮りに これが 人麻呂でなく誰か他の一人であっても 共同主観の問題としては 一向に構わないという見方です。
まだまだ言いかえれば 人麻呂の相聞歌群は 全体として一つの観念の資本をなしていると考えます。この仮説的な視点は 以下 一つひとつの歌を取り上げる中に検証していきます。全体として スサノヲイスムなる観念の資本または スサノヲイストその人の像を 現代市民との兼ね合いから 取り上げ考察していきたい。言うまでもなく これは 《方法》のそれ自体の内における滞留の問題および それの現代市民としての享受の問題となり この小論の一つの結論部分であると考えます。それは 第七命題でもあります。

旋頭歌群

それでは すでに別のところで取り上げた歌との重複を避けようとするなら 人麻呂の相聞歌つまり かれの対関係形式のうたの内容は 次のような歌群から取り上げることができる。すなわち 巻七の二つの歌群であり 一つは 旋頭歌形式の雑歌二十三首(1272−1294)一編 一つは譬喩歌十五首1296−1310)の一編 これらです。
それらは 雑歌・譬喩歌の分類ではあるけれど ここに相聞の方法をたづねて見ることができ またそうしたいと考えます。ただちにこの議論に入ります。

1272 剣太刀 鞘ゆ納野(いりの)に葛引く吾妹(わぎも) / 真袖もち着せてむとかも 夏草刈るも
釼 従鞘納野迩 葛引吾妹 / 真袖以 着点等鴨 夏草苅母

旋頭歌群の第一歌です。葛の蔓は強いので葛布をつくるという。そこで 《入り野で葛を引いて(採って)いる吾妹よ。私に着せようとして夏草を刈っているのかしらん。》(日本古典文学大系〈第6〉萬葉集3 (1960年) 頭注の大意)という。いま 歌の評釈は のちに延ばそう。さらに二・三種を見てみよう。

1273 住吉の波豆麻(はづま)の君が馬乗り衣 / さひづらふ漢女(あやめ)をすゑて縫へる衣ぞ
住吉 波豆麻公之 馬乗衣 / 雑豆臈 漢女乎座而 縫衣叙
すみのえのハヅマの君の馬乗りの衣。ぺらぺら外国語をしゃべる漢人の女を置いて縫った衣です。(大系)
1274 住吉の出見の浜の柴な刈りそね / 未通女らが赤裳の裾の濡れてゆく見む
住吉 出見浜 柴莫苅曽尼 / 未通女等 赤裳下 閏将徃身
住吉の出見の浜の柴を どうか刈らないで下さい。少女たちが 赤裳の裾をぬらして行くのを見たいから。(体系)
1275 住吉の小田を刈らす子 奴かも無き。奴あれど 妹が御為と私田刈る
住吉 小田苅為子 賎鴨無 / 奴雖在 妹御為 私田苅
住吉の田を刈っておいでの人。あなたは奴婢を持っていないのですか。いや 奴婢を持ってはいますが 恋人のために私田を刈っています。(大系)

はじめの一首をここに加えて 以上の四首は すべて 他愛の無い歌に見えます。また 事実そうです。ただ これらをも またこれらこそ 《ひかり‐やみ》連関を原点とするスサノヲイスムのうたの内容 その滞留するかたちであると ここで強弁するのは 次の理由からです。
これらの歌は 《もっとも〈わたくし〉なる領域》を つまり言いかえれば S者性 in-amatérasité を うたっている。まずこう言うことはゆるされるかと思います。他愛なさとは その謂いであるでしょう。問題は これが うたとして表現されたということ いや現代でも 一般に歌謡曲となって このような《わたくし》なる非アマテラシテは おおやけになって共有される情況にある。したがって この当時ではA圏主導のかたち(つまり 万葉集が勅選であるといった情況のことですが)ではあっても これらの歌は 社会形態の全般にわたって 一つの――ひとつの――うたの構図とされたということ。そしてさらに言いかえれば 現代では歌謡曲となって一つのうたの構造となっているものが 当時では《ヤシロとスーパーヤシロ》の領域全体にわたるべく はじめて――歴史的に初めて(それは 当然だ)――共有されようとしたということ。したがってもっと言いかえなければならないと思うことには その事の善し悪しをいま別としても このような《もっともわたくしなるイン‐アマテラシテ》に一つの焦点をあてた歌が 一方ではナシオナリスムの形成の一要因として 他方では古代市民的なキャピタリスム形成へとみちびかれる要因と相即的な要因として したがって両者によって全体として一つのデモクラシの一要因として(なぜなら S者性=イン・アマテラシテが A圏‐S圏連関形態への摂取また参画である) 全体として観念の資本の形成に むしろ重大な役割を担うことになったであろうと推察されること。現代では おおむね なおこの観念の資本の形態を継承しているにすぎないこと。同時に現代での一般に歌謡曲に見られるその継承のあり方は その国家という類型的なA‐S連関形態の継承はこれをそのままにして 一方で 一般に歌謡曲による観念の資本の継承のあり方と 他方で そうでない言わば非アマテラシテ=S者性を不問に付す・またはそれとかかわり合いのないところで うた(学問・芸術)が歌われるというかたちの両者が 観念の資本(このばあい共同主観)の古代市民とは別様の継承のあり方といった・互いに分離されたような共存の情況の中にあるということ。これらの点に照らして これら旋頭歌形式による雑歌(相聞でも挽歌でもないもの)の中に見られる市民の対関係つまり相聞のうたの形式は 重要な考察の対象とならざるを得ないと考えられるからです。

  • 中西進万葉集原論 (1976年)》が参照される。例えば中西は このような他愛の無い相聞歌類としての作者未詳の歌群に 万葉集の原点があると捉えているように思われる。

これらを重要なものとして取り上げるということのうちには おそらく現代において 時代が変わりつつあるという事柄があると考えられもします。また この議論はそのように主観(また ひとつの実感)でしかないと言わねばならないのですが しかし要は 一般的に言って アマテラス行為というもの(それは 広く学問・芸術もしくは政治行為として S者性を基盤とする共同観念に対する主導因性であるもの)が 《ひかり‐やみ》連関として 実際に このような主観(またそれらの共同)の中にしかありえないというその社会科学的(A者行為的)本質 このことの確認にあると考えられることです。
もし 万葉の時代には 一方での 《剣・太刀 鞘ゆ入り野に葛引く吾妹 真袖持ち着せてむとかも夏草刈るも》といった《他愛ない》S圏のうたと 他方での《ささなみの滋賀の辛崎 幸くあれど 大宮人の船待ちかねつ》といった《おほやけ》のA圏〔へ〕のうたとが A‐S連関形態の全体として 本質的に通底していると見られるとし しかしこれに対して 現代では 一方のうた(他愛ない・かつおほやけの歌謡曲)と他方のうた(一般に学問ないし芸術)とが 分離されていると仮りにするならば ここには その両時代の国家形態のその基本となるヤシロ‐スーパーヤシロ連関が ともに歴史的な通底性を持っていると考えられることに照らし合わせても 一般に 精神の滞留性として またはその滞留の中から新しいうたの新しい形によってその滞留性を開くという問題として 重要な視点が孕まれていると考えられるようだからである。
ここで 《知恵ある者を責めよ》という言葉が重要な意味を持ってくるように思われます。《自己(その歌)を知らないことと それを思わないこととは 別である》という認識が生きる。
《住吉のはづまの君が馬乗り衣 さひづらひ漢女をすゑて縫へる衣ぞ》という言わば絶対的S者性のうたが――これはこのように 表現されて 一度は おほやけとなり一つのA者性を持ったが―― 現代の広く《うた》の中に どのように 《ひかり‐やみ》連関として 活かされているか この問題が浮かび上がると言いかえることができると思われます。
このたあいない日常のS者性のうたは たしかにその《君》と作者とのあいだの私的な二項関係(つまり対関係)の中にしか そこにむしろ閉ざされたかたちでしか存在しないのは 確かである。しかし 万葉集の社会形態形成への所謂る株主総会ないし観念上の国会における発言(うた)としては この私的二項関係のうたが 公的二項関係といった市民関係の中に 当然のごとく 善かれ悪しかれ 底流となって生きている。もしくは《一人称複数(S)‐三人称〔集団・階層として単数〕(A)関係》といった市民相互の関係の中に収められている。スサノヲイスムは この視点の継承と新しい歌い継ぎの中にしか存在しないのではないかとは 考えられる。方法の第七命題は このような問題にかかわっているように思われる。

譬喩歌

旋頭歌二十三首の一群から 次に 譬喩歌十五首の一群に移って これをとらえよう。他の旋頭歌を類型的に同じようだと見て端折ります。次の一群は短歌である。まず初めの三首。

  • 衣に寄る〔譬喩歌〕
1296 今つくる斑の衣 面影にわれに思ほゆ いまだ着ねども
今造 斑衣服 面影 吾尓所念 未服友
1297 紅に 衣染めまく欲しけども 着て匂はばか 人の知るべき
紅 衣染 雖欲 着丹穂哉 人可知
1298 かくかくに人はいふとも 織り継がむ わが機物の白麻衣
千各 人雖云 織次 我廿物 白麻衣

《衣(ころも)の出来映えがよく 紅に染めようと思うが そのはでやかさは人の知るところとなるだろうか いや どう言われようと これを織って行こう》というその《衣》は いまの恋であります。
先に見た旋頭歌の私的二項関係が 《主体》的にうたわれたと言いえます。スサノヲイスムは これをはずしてはないと言うべきではないでしょうか。まずその観点に触れておいても まちがいではないでしょう。つまり そう言わず確認しないことによって 《もっともわたくしなる領域》を わたくしの密教的に保持し おほやけ顕教的には 艶歌なる歌謡曲によって 言わば公的な共同相聞歌なるものを歌い合うということは 万葉の歌以上に他愛なく(――というよりも まぼろしの時間であり――) 万葉の歌以上により隠微にしてエロチシスムなるやみ(――ひかりは ここから出る――)を 滞留し停滞させるようにして 幻想共有してはいないであろうか。
相聞歌が 幻想的な共同(社会共同の心理的な)相聞歌になったときには 相聞歌ではなくなる。万葉の相聞歌は その撰集において 共同性を獲得するとき いま形成されようとするA‐S連関(つまり 或る日とつぜん観念の第二階が社会に出現するのである)ないしだからその観念の資本が その一社会形態全体に共有されようとするのであって スサノヲ語の相聞歌が 歌じたいが もっぱらのアマテラス語において再生産されることとは わけが違う。初めっから〔裃を穿いた〕アマテラス語によって世の中に歌われる心理共同の相聞歌となることとは 違うはずです。
その私的二項関係は むしろそれ自体 閉ざされた絶対的な主観(またその対関係)の世界にある。ここにあっては うたは A圏へ・またはA‐S連関の全体へ その主観性を保持しながら拡がる。現代にあっては うたは A圏をとおして言わば暗黙のアマテラス語の認可を得たものが S圏へ・または滞留するかのごとくA‐S連関の全体へ拡がる。
アマテラス語のうたは 〔観念の〕貨幣であるしかない。この滞留は およそ不健康である。この不健康は 《剣太刀 鞘ゆ入野に》《馬乗り衣》《未通女等が赤裳の裾の濡れてゆく見む》の語を 密教圏にしりぞけ タブーとするだろう。または その圏において 密教公的な一人称(市民)‐三人称(芸術家公民)関係としてのみ 滞留させ享受することになるだろう。
もっとも ここで これらを その禁忌を破って そのまま顕教公的な場へ連れ戻そうと言うのではありません。(と言っても 二十一世紀に入って 日本も そんなことは禁忌でもなくなってきたかも知れません。)主観の健康を打ちたてよと言うにすぎないことです。
これは しかし 一人の市民の努力でその心の持ち方としてのみによっては 共同観念は動かないと言わざるを得ません。そこで《知恵ある者を責めよ》が生きてくる。そもそも はじめにおいて S者性がその言葉による表現を公的場への一般化によって 社会(ヤシロ‐スーパーヤシロ連関)として 登場し確認されたのは もっぱらA者であろうとする人々の主導によるものであるにせよ 人びとの知恵によるその社会形成の所産であった。これを継承しそれを再編成することによらないでは 倒立して滞留する共同観念を――その幻想心理の共同相聞歌のメロディを―― 動かすことはできない相談です。このように考えます。

同じく譬喩歌

万葉の相聞歌が 前インタスサノヲイスムから ナシオナリスムへの上昇の過程においてうたわれてあり その移行後のナシオナリスムが 現代では一つの大前提であることによって すべて 他愛の無い・すでにわれわれの通り過ぎて来た歌ばかりであるのではない。相聞歌が ナシオナリスムの相聞歌であった(ありえた)ことによって 共同主観のうたを表現しえたと考えられるわけですから。さらに例を挙げるとしても 次の三首は 共同観念を動かす・少なくとも共同観念からの自由な観念の資本主体であろうとするうたを披瀝したものだと考えられます。人麻呂が これをその歌集におさめたことにわれわれは 首肯できるはずです。

  • 海に寄す
1308 大海をまもる水門に事しあらば何方ゆ君が吾を率(ゐ)凌がむ
大海 候水門 事有 従何方君 吾率凌
1309 風吹けば 海こそ荒るれ 明日と言はば久しかるべし 君がまにまに
風吹 海荒 明日言 応久 公随
1310 雲隠る小島の神のかしこけば 目こそ隔てれ心隔てや
雲隠 小島神之 恐者 目間 心間哉

《何か事が起こったら どうなさいます?(1308)明日というのでは遅すぎます。あなたのよろしいように。(1309)雲に隠れて見えない小島の神が恐ろしいので 目こそ合わせませんけれど 何で心に隔てがあるものですか。(1310)》
ここには うたが アマテラス語として貨幣となってしまうべき世界を拒絶するうたがある。と言うべきであるでしょう。われわれの第七命題があると思われます。われわれは このスサノヲイスムを滞留させるべきです。と考えるのです。
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1307 この川ゆ船は行くべくありといへど 渡り瀬ごとに守る人有り
従此川 船可行 雖在 渡瀬別 守人有
舟はこの川を行くことができると言うが 渡る瀬ごとに見守っている人(妨げるもの)がある。(大系)

われわれは この弱さを 実は 積極的に自己の中に滞留させるべきであるのではないでしょうか。ここにおいて生きるべきです。ここにおいて死ぬことができると言われます。ここにおいて生きることができる。と言われるべきでありましょう。この弱さとは たとえば

見よ わたしはシオンに
つまづきの石 さまたげの岩を置く。
それに寄り頼む者は 失望に終わることがない。
イザヤ書 28:16 8:14)

と書いてあるとおりである。
(ローマ人へのパウロの手紙 9:33)

とわれわれが信ずるときにはということになります。
第七命題の発展は ここでは扱いません。
命題の第八は 《八雲立つ出雲八重垣 つまり 主観共同》を作るべく なおスサノヲイスムの滞留を見守る地点にあると考えます。それは 方法の方法 その方法そしてまた方法と 無限に 知と思惟を繰り拡げることにあると。これを措いて 《ひかり‐やみ》連関は確立できないと思います。

(《はじめに》のおわり。つづく→2006-08-15 - caguirofie