caguirofie

哲学いろいろ

#26

――源氏物語に寄せて または 観念の資本について――
もくじ→2006-07-08 - caguirofie060708

章三 《光源氏藤壺》なる対関係――《観念の資本》の動態的過程――

公的二項の対立関係を見ると言っても ここでは そのいづれも 桐壺帝という一項からそれぞれ同じく発するものである。そこで この桐壺帝像について 触れておくべきであろう。次のごとくである。
ところで 最初のデート→懐妊→試楽とつづいた年のあくる年 その《二月(きさらぎ)の十余日の程に 男御子生まれ給ひぬ》るのであるが この《いと あさましう珍らかなるまで 〔源氏の顔を〕うつしとり給へるさま 〔源氏の子に〕まがふべくも》ない男子を この帝が みづからの手で抱いて 源氏に示し見せるくだりが語られる。まず このとき この場面について把握しておこう。

源氏は・・・父帝ももしや すべてを承知の上で と思う。・・・しかし地の文をそのとおり読んでいくかぎり 父帝はやはりこの秘事を知らない。この帝王像に人の好さや性格の単純さを読むべきでなく 源氏を帝位に即けえなかった生涯の痛恨事に ようやく代償を得た喜びと安堵感をみるべきだという。
後藤祥子・鈴木日出男)

といった見解(これは 通説である)が示されている。いま これとともに 原文に就くことは 無駄ではないだろう。少し長くなるが 全体を引用してみよう。もともとは 光源氏を後継ぎとしたかった。《若宮》が その新生児である。

四月(うづき)に 内裏(うち)へ 〔若宮は〕まゐり給ふ。程よりは大きにおよずけ給ひて やうやう 起きかへりなどし給ふ。あさましきまで 〔源氏に〕まぎれ所なき御顔つきを 〔秘密を〕おぼしよらぬことにしあれば 《また 〔美しさの〕ならびなきどちは げに 通ひ給へるにこそは》と 〔帝は〕おもほしけり。
帝は〕いみじう 〔若宮を〕おもほしかしづくこと 限りなし。〔帝は〕源氏の君を 限りなき物に思し召しながら 世の人の ゆるし聞こゆまじかりしによりて 〔春宮の〕坊にも え据ゑたてまつらずなりにしを 飽かずに口惜しう 〔源氏が〕ただ人(うど)にて かたじけなき御有様・かたちに ねびもておはするを 〔帝が〕御覧ずるままに 〔源氏に対し〕心ぐるしく思し召すを かう 〔藤壺〕やむごとなき御腹に 〔源氏と〕おなじ光にて 〔若宮が〕さし出で給へれば 《疵なき玉》と 〔帝が〕おもほしかしづくに 〔藤壺〕宮は いかなるにつけても 胸のひまなく やすからず 物を思ほす。
例の 〔源氏=〕中将の君 〔藤壺の方=〕こなたにて 御遊びなどし給ふに 〔帝が若宮を〕いだきいでたてまつらせ給ひて
――御子たちあまたあれど 〔源氏=〕そこをのみなむ かかる程より 〔顔を〕あけくれ見し。されば 〔源氏の顔が〕思ひわたさるるにやあらん 〔若宮は〕いとよくこそ 〔源氏に〕おぼえたれ。いと 小さき程は みな かくのみあるわざにやあらん。
とて 《〔若宮は〕いみじく美し》と 〔帝は〕思ひ聞こえさせ給へり。〔源氏=〕中将の君 面(おもて) 色かはる心地して 〔罪は〕恐ろしうも 〔父帝には〕かたじけなくも 〔我が子の美は〕うれしくも あはれにも 〔感情が〕かたがた移ろふ心地して 涙落ちぬべし。〔若宮が〕物語などして うち笑み給へるが いと ゆゆしう美しきに 〔源氏は〕わが身ながら 〔若宮=〕これに似たらむは いみじう 〔自身を〕いたはしう思え給ふぞ あながちなるや。〔藤壺〕宮は わりなく かたはらいたきに 汗も流れてぞおはしける。〔源氏=〕中将は なかなかなる心地の かき乱るやうなれば 〔内裏より〕まかで給ひぬ。
(紅葉賀――藤壺の若宮(のちの冷泉帝)参内のくだり)

《顔色が変わり かたじけなくも思っている》源氏と 《汗まで流していた》藤壺とである。
しかしなおもこの後 例によって 互いの密教圏の存続を うたのやり取りによって確認しあわなかったとは言えない。のだが そのことを別にしても 当面 課題に入って この密教の一つのあやしい流れをも――無意識ながらにしても――包みこんで 現在の顕教圏に立つこの桐壺帝なる人物は いかに描かれているか いかにわれわれは捉えるべきか これは ひとつの論点をなすと思われる。
ただ しかしながら 初めに言って おそらくは この論点に対して明確な回答を寄せることは 難しい。先に引用しておいた通説の示すとおり 帝は ただ 桐壺更衣の男子である源氏を 《世の人の ゆるし聞こゆまじかりしによりて 坊にも え据ゑたてまつらずなりにし》ことの《心苦し》さが 晴れたのだといった字面のまま 読むしかないのかも知れない。
だから そこで 《世の人の ゆるし聞こゆまじかりし》こと――だから その源泉は楊貴妃玄宗皇帝との例にも比されるべき帝の桐壺更衣への寵愛ぶりのことだが――に対する 帝の態度をのみ 散見しうるというだけのことなのかも知れない。この帝の態度は 一種 スサノヲ振りだと言えよう。
だから 顕教の社会科学主体・桐壺帝じしんの うたの構造の大いさ・動態的要因の問題であるのかも知れない。だから 事は 内なる新しい生産力としての密教的要因の問題となるのかもしれない。だから 共同主観的には それを内部分析的に 最大多数者(生産力)の最大幸福というふうに 幾何学的なうたの構造を 描くであるのかも知れない。
だから やはり共同観念的には それが モラトリアムなるうた構造の象徴としてのアマテラス圏を抱くものであれ その実質的な機関としての一つの市民政府を抱くものであれ いづれも 一社会形態をトータルに捉えるところから 出発するものであるのかも知れない。出発とは 《桐壺帝》の像の想定へのそれである。だから 結局においては 桐壺帝の像は あいまいであってよいのであり 実際――アマテラス性という条件の不動性は措くとしても――あいまいであるのかも知れない。
かれは 少なくとも紫式部市民社会学にとって――むろん 自然人としての一個の個体であることは当然ながら―― この社会形態のすべてを顕わす存在であって 市民社会次元からはそれ自体の彼岸としてのむしろ形態であると言うべきなのかも知れない。この視点は 特別新しいものではなく たとえば その延長線上では 市民社会にとって 市民政府が一政治機関であるとするなら 桐壺帝も むろん 一政治機関であるよりほかないといった天皇機関説にまで到る。
問題は どの形態の政治機関が 市民社会密教的な動態性をよりよく運営することができるか または 歴史継承的には なおアマテラス性 Amatérasité とアマテラス主体 Amatérasu との連関はどうかといったことにもなろうが ここでは 源氏類型を主題とするからには そうではなく こう問うことにしよう。
すなわち アマテラスなる出世間の観念的な成就主体は そもそも他力(自然史過程)を離れた罪の実存であった。そのとき問題は 罪の主体(王権)が ほんとうに 機関としてそうであるのか あるいは 人間の存在としてそうであるのか この問いによってである。

  • 観念による出世間(悟り)の成就が なぜ 罪の実存であるか。悟りを得て 社会的に責任のある地位に立つ人々は そのように 人間的に・ますます人間的になると同時に その人間的となったその知性観念によって 自分の到らなさに気づかされるからである。自然史過程に逆らった分 罪としての実存(罪を治めるうたの構造としての自己の生)において生きるからである。

これが そのままわれわれの最初に提示した《世間(此岸・仏)‐出世間(彼岸・王権)》連関というひとつの構図である。また すでに その一つの回答としても それに対する紫式部の視点として 主人公・源氏の その存在じたいが 本質的に 罪であるといった市民(かつ公民)の像が 引き出されると見たのではあった。
このあらかじめの仮説を敷衍しようとするかぎり 結論は おそらく 機関としての王権・彼岸・罪の主体説には ないであろう。 
それを敷衍するかぎり 機関としての王権説に立てば その罪は 一時代(そういう生産行為様式)の枠内にとどまって再生産されるであろうといった極めて復古的な視点へと 連れ戻されないとは限らない。だから われわれとしては やや座標を変えて 機関としての彼岸主体説には 直接 触れずに こう述べざるを得ない。
単なる彼岸主体理論によるのではなく アマテラス圏じたいが 《此岸‐彼岸》構造主体としてあるという理論である。すでに 構造的だという見方である。
ここでは(この時の段階的な一過程においては) 源氏〔≒のちの冷泉帝〕が 《此岸‐彼岸》構造主体の理論を表わし 桐壺帝〔≒朱雀帝〕が 単なる彼岸主体の理論を代表するという視点である。その上で 紫式部の歴史理論は 桐壺帝→朱雀帝→冷泉帝(源氏)というふうに らせん状の発展をたどるということにあると。
さらにはまた 源氏・冷泉帝の時代も やがて滅び ふたたび新たな別の桐壺帝を得て 新たに同じこの進展過程を経緯するのであると。
そこで 要約するに われわれは 一市民についても 《世間‐出世間》構造連関を捉えるとともに 社会科学主体についても 《此岸‐彼岸》構造性を捉えるというにあって この構造が どんな共同主観の理念を盛り込んでいることができるか これが 問題となるのだと。
さらに 現代においては 必ずしも 共同主観の新たなトータルな理念といったことは 求めがたいとすれば その理念(生産力)は 個別的な此岸的状況(市民社会のそれぞれの局面)に応じて 現われ認識され それが 密教ないしは部分的顕教を形成するものと思われる。ともあれ ここでは 桐壺帝〔→朱雀帝〕→冷泉帝(源氏)の系譜を 一つの基軸とすることによって 当時の現代の顕教政治学主体である桐壺帝は あいまいながら ポジティヴな意味あいにおいて 捉えうると見られる。そのように 源氏〔‐藤壺〕類型に かかわっているのだと まずは考えられるようである。
要は 桐壺帝像は スサノヲ圏・源氏の問題であって しかも その同じ意味で(つまり 日本的な社会の縦断的階級関係の展開という観点から) 桐壺帝じしんの問題であると 考えたい。

  • ここでは まだ生産様式の新たな展開には進まないから 桐壺帝は 冷泉帝とその後見役・源氏のほうに みづから組みしていたと考えられる。

(つづく→2006-08-04 - caguirofie060804)