caguirofie

哲学いろいろ

#5

――源氏物語に寄せて――
もくじ→2006-07-08 - caguirofie060708

序・補 対関係としての光源氏類型 (5)

――市民社会学の基軸概念として――

源氏は その対関係の場にあって その相手の意向に逆らってでも あるいは それを見守る人びとやそれに立ち会う大方の人たちの期待を裏切ってでも その場の女性に対して やさしい言葉をかけることや その女性の心を包むような語りかけを なさなかった。どうしても できなかった。
(その意味で 《寅さん》ではなかった。)

この点は この小論全体の課題ともなる論点であるが さしづめ 問題の箇所・帚木冒頭の部分に限って 論じておくべきである。
まず 以上のような解釈またその視点に立って この一節全体を いま任意に訳出してみたい。

光源氏と言っても 〔この青年になろうとする頃はまだ それは〕名前だけのことで その光も消されてしまうような短所も多いのでした。その上なお かれは このような好きごとなどは 《のちの人びとの語り草にでもなるほど 軽薄なことをしていられぬ・・・》などとの思いから とりあえず うちに忍んだまま おいででした。
けれども 〔短所は短所でありますし〕 心の中の隠し事というのも やはりおおかた露見してしまうもののようで 人びとは よきにつけ悪しきにつけ あらぬ噂までも立て また そのように かれに結びつけて ひそひそと伝えあったものでした。
しかしそうではあるものの かと言って 源氏が 今度は 世を憚って とかくまじめで慎ましくしているというようなことがあれば それにつけても そんな振る舞いは どうやら はた目には それ以上なまめいてしかもおかしいといったことは ないようなのでした。
〔ほんとうに この頃はまだ 源氏も はた目に ピエロを 知らず演じているようにしか見えず〕 もしあの交野の少将が いまに生きていたとしましたら さぞ こんな源氏の様子を 笑われたことでしょう。

まだ 中将でいらした頃には かれは 宮中だけが居心地のよいところであったようでしたが 実家に帰ることは きれぎれといった程度なのでした。ですから 義父である左大臣のまわりでは 《どこかに しのぶの乱れでも出来たのでは・・・》と 当然のごとく お疑いになりました。そして 源氏というお方は そんなふうに 不実で世間によくある 出来心からのひたぶるな恋といったことは 一向 性にあわないたちであられたようです。まれに そのようなやはりエロスに発するそんな考えが 心に浮かぶときには むしろそのときにも かたくなに 相手のひとや 立ちあった人びとの期待に反してでも この心づくしなることを ただ心の中に押しとどめてしまうといった癖が 幸か不幸か おありでした。
〔エロスを まだ忍んでおいでだったということは 精々 文を交わす程度のことにとどまっておられたといった方が早いかも知れません。〕ですから こんなお振る舞いは みな かれにとっても また 相手のひとにとっても あるまじきおこないであったと 明言すべきかと思います。

このように考えられる。もしこの解釈を採るとするなら それは 前後の脈絡においても 一つの新しい事実関係を 必然的に 示すことになる。
すなわち この一文の前史(巻一)においては 源氏の愛情の関係は 元服を終えた少年として 一方で 妻・葵の上との現実的なそれ および他方で 思慕の対象としての父の妻・藤壺との〔いまはまだ〕超現実的なそれ これらを経験している。またその後史においては――すなわち 雨夜の品定め以降においては―― 夕顔とのそれを除けば 空蝉との反現実的なそれ および かのじょの継子にあたる軒端萩との現実的なそれを それぞれ経験するといった事実関係のことである。
われわれの推測は 源氏にとって 《うちつけのすきずきしさ》は この後史において 初めて現われたと見ることになる。そういう立ち場である。また ここで重要なことは――のちに 本論でも述べるように―― この空蝉らへの浮気が 行動に現われるようになってからも この短い前口上の部分に表わされたような光源氏像(その対関係形式)は やはり 事の現実性として 保たれたと言うにある。この点については あながち積極的に擁護しようとするものではないが また ここでは詳しく触れることもしないが 要は 次につづく雨夜の品定めのくだりで 頭の中将あるいは左馬の頭もしくは藤式部丞のそれぞれの女性観を聞くときの源氏は――あからさまにいって―― うぶであったということにあり やや誇張して言えば ここでの推測の骨子は それだということにある。

  • 市民社会の日常性における発見は 新しい発見では必ずしもないだろう。スサノヲ圏の日常性の基軸を一つひとつおさえていくことが 当面の課題であり はじめの対関係の原形式が その後どのような軌跡を描くかが――共同体関係とのかかわりを伴なって―― 市民とその社会の動態的な過程であるにほかならない。

もっとも 一つの原点 つまりここでは《うちつけのすきずきしさの流れに抗したもう一つのすきずきしさ》とでも言うべきそれ これを提出することに さしたる意義はない。序を補足し 序論一般をしめくくる意味でも 以下のように このことを敷衍しておきたい。


すでに――序において――述べた事柄としては 源氏の対関係形式は 古事記に見られるオホクニヌシのそれと比べてみた場合 一般に このオホクニヌシによる対関係形成の類型およびそれを基体としたそのときの共同観念 これらから 自由であるということ これが 特徴であった。まず第一に このような認識事項または論点は ここでちょうど重なってくると言ってよい。それは 次のような情況を指摘しうるゆえにである。
突拍子もないような言い方をするけれども それは この一節の中で 里に下がらず――妻・葵の上のもとに帰らず(つまり 妻問い婚が 当時の慣習であったことは言うまでもない)―― 内裏にばかりとどまっている源氏に対して 周囲のものが 《しのぶの乱れにや》と《うたがふ(歌交ふ?)》というひとつの共同観念の世界は 類型的に言って オホクニヌシの対関係形成の世界と同致することができると思うからである。こちらの側面とは 同次元にあると思われるからである。なぜなら 単純に オホクニヌシの世界は――対関係に限るなら―― おおむね言葉を《歌》にしてやり取りするひとつの共同観念の情況であるから。
オホクニヌシが 相手に対してうたのやり取りをする形式は 源氏が 直截にうたを詠み贈ることとにではなく かれ(源氏)の周囲の者たちが 推測を逞しくして その思いを直截に しかし 間接的に予想として語り合うという様式に 類型的に通じるものがあると考えられるからである。この仮説の意味するところは 次のごとくである。
はじめに 古事記から オホクニヌシの対関係類型を 引き出して 確認しよう。この類型は 古事記によれば おおきく 二つまたは三つに分けられる。
スセリヒメ(嫡妻)とのおよびヌナカワヒメとのそれぞれ関係 および三つ目に挙げるとすれば かのじょら以前に最も初めにちぎりを交わしていたヤガミヒメとのそれ これら三つである。
第三の形式つまりヤガミヒメに対する関係は 特異な過程である。すなわち そもそも初めに 

汝(いまし)命(みこと) 〔ヤガミヒメを〕獲(え)たまはむ。

との・あのイナバの素兎(しろうさぎ)の予言を受けたことは別にしても オホクニヌシは かれが 根の堅洲国(ねのかたすくに)に行ってそこから スセリヒメを奪って引き返したのち このヤガミヒメとの婚姻関係を結ぶ。しかし

ヤガミヒメは〕嫡妻(むかひめ)スセリヒメを畏(かしこ)みて その生める子をば 木の俣に刺し挟みて返りき。

という過程である。特異である。
このことは ヤガミヒメにしてみれば 夫・オホクニヌシの浮気もしくは 自分との関係が浮気であるのを嫌って 離婚したというのであるから 必ずしも その点では 特異ではない。ただ 当時(?)の情況に身を置いて考えるなら この《オホクニヌシ‐ヤガミヒメ》なる対関係は 源氏とあの空蝉との不成立の対関係を連想してよいかも知れない。いづれにしても そういった第三の形式である。

  • そしていくらか 乱暴に言ってしまうなら そのような不成立ないし離婚といったかたちが現われるのは むしろ 国家の成立のあと それとして 共同観念が安定している情況において 対関係が自由に形成されるというかたちに対応しているのかも知れない。要するに ヤガミヒメの場合はごく普通に 対関係なる愛の過程であるように見られる。離縁になったとしても 基調がそうだというのである。

そこで オホクニヌシの他の二つの主要な形式は こうである。いまは 源氏の話にかかわって 国家成立以前の社会情況における対関係の形式が まだ あたかも母斑としてのように 残っている場合というのを考えるのである。――周囲の人びとの期待もしくは予想を引きたがえるというときの 期待ないし予想としての共同観念 これが――当然のごとく すでに国家の時代にあるにもかかわらず―― まだ 国家成立の以前の段階にあるかのごとき情況であり その情況に応じた対関係形式のことである。それは 市民社会以前だという意味である。この仮説を検討するため オホクニヌシの物語りを いささか詳しく見てみよう。

  • もっと毒舌をいうなら このような市民以前の段階の共同観念が横行するときには 源氏は ひとまず うぶでいる以外にないといった情況 これが いま問題である。

これら二例は――すでに述べたように―― 歌のやり取りをもって その対関係の過程が 語られ展開する。先に ヌナカワヒメを取り上げてみよう。
まず オホクニヌシは スセリヒメとの婚姻を かのじょの父によって最終的に承認されて 市長である。その父というのは 実は その時には 根の堅洲国の王となっていたスサノヲなのだが 承認の言葉どおりに・すなわち

宇迦の山の山本に
底つ岩根に宮柱 太(ふと)領(し)り
高天の原に氷椽(ひぎ)高しりて

共同自治の態勢を敷いている。そこでかれは ある日突然 《高志(こし)の国のヌナカワヒメを婚(よば)はむとして 幸行(い)でま》すことになる。古事記では ただちに 求婚の歌のやり取りに移る。
そこで この歌については いくらか冗長になるきらいはあるが 全編を引いて掲げようと思う。何故なら 後に見るように このような表現ないし表現をなすという形式じたいが 源氏の文章の中の 周囲の人びとの《うたがふ(歌交ふ?》》という行為と 必ずしもかけ離れたことではないように思われるからである。

ヤチホコノカミ(=おほくにぬし)・・・ヌナカワヒメの家に到りて 歌ひたまひしく

八千矛(ヤチホコ)の 神の命(みこと)は
八島国 妻枕(ま)きかねて
遠遠(とほとほ)し 高志の国に
賢し女(め)を ありと聞かして
麗(くは)し女(め)を ありと聞こして
さ婚(よば)ひに あり立たし
婚ひに あり通(かよ)はせ
太刀(たち)が緒(を)も いまだ解かずて
襲(おすひ)をも いまだ解かねば
嬢子(おとめ)の 寝(な)すや板戸を
押そぶらひ 我が立たせれば
引こづらひ 我が立たせれば
青山に 鵼(ぬえ)は鳴きぬ
さ野つ鳥 雉(きぎし)はとよむ
庭つ鳥 鶏(かけ)は鳴く
心(うら)痛くも 鳴くなる鳥か
この鳥も 打ち止(や)めこせね
いしたふや 天馳せ使ひ
事の語り言も 是をば

古事記 倉野憲司校訂)

すなわち まずちなみに ヨバヒとは 呼ばひ・呼びあひであり のちに夜這いとなるが これも 歌の問題という見方ができるかもしれない。
さて 使いを遣って語らせて言うには 遠くからやってきて そのままの恰好でお宅の板戸を押しゆすぶり いま立っております しかし嘆かわしくも 鳥どもが鳴くばかりです どうかこの鳥も鳴くのをやめて欲しいものだと。
これに対して

ヌナカワヒメ 未だ戸を開かずして 内より歌ひけらく

八千矛の 神の命
ぬえ草の 女にしあれば
我が心 浦渚(うらす)の鳥ぞ
今こそは 我鳥(わどり)にあらめ
後(のち)は 汝鳥(などり)にあらむを
命(いのち)は な殺(し)せたまひそ
いしたふや 天馳せ使ひ
事の語り言も 是をば


青山に 日が隠らば
ぬばたまの 夜は出でなむ
朝日の 笑み栄え来て
栲綱(たくづの)の 白き腕(ただむき)
沫雪の 若やる胸を
そだたき たたきまながり
真玉手 玉手さし枕き
百長に 寝(い)は寝(な)さむを
あやにな恋ひ聞こし
八千矛の 神の命
事の語り言も 是をば

このヌナカワヒメの歌の内容は 古事記の次につづく本文・《その夜は合はずて 明日(くるひ)の夜 御合(みあひ)したまひき》というその締めくくりの言葉によって 明らかであろう。古事記の叙述は これがすべてであって この《オホクニヌシ‐ヌナカワヒメ》形式は したがって 一面では 愛の関係とは全く別個に 互いの自治態勢(イヅモとコシ)を守るという政治的な意志の問題だとも考えられる。また ヌナカワ姫の側から 命乞いをしているようであるからには 支配・被支配の関係といった側面があるとするなら オホクニヌシの側は そのような政治的な優位の位置にあったのであろうし その優位な側が 《歌をうたった》という点 これが 確認すべき事項であると思われる。
このとき もしそこに 一つの対関係が成立したのだとするならば ここでは 二つの見方から指摘すべき事柄がある。一つには このヌナカワヒメとの対関係形成については あのアベラールとエロイーズの愛つまり対なる幻想といった要素が 初発において・そしてそのものとしては はたらいていないということが 特徴的である。同じように シャクンタラー姫とドゥフシャンタ王の愛の過程つまり 一たん否定(別離)を受けたのち大団円へと到るそれ このような過程からも自由である。オホクニヌシの物語りで 一日の猶予があったのは 一たんの否定とさらにその否定としての肯定といった過程とは 別であろう。対関係としては 別であろう。
そしてもう一つに――この点が重要だと思われるのであるが―― 《うた》じたいは 次にみるように 直截の行為でありながら それをやり取りし伝えるための一種の水路としては あいだに使いを介するということによっている。そういう形式である。そしてそれ以上に このオホクニヌシに関する外延的な噂もしくは それが共同に観念されているという心理状態を通して 互いの意思疎通がはかられるという体のものとなっている。
言いかえれば 《大方の予想》が 政治的な力関係にも基づくその大きな《雰囲気》のほうから 個体(一個人)に 期待の気持ちやその表現としての歌を促すような形である。このことが 源氏の対関係形式と つまり 大きく社会情況としての市民の自由とは違う。段差を伴なってのように ちがっている。その対比が重要だと思われる。しかも源氏個人とは違うが 源氏の周囲の人たちはと言えば いま 乱暴に言ってしまえば この市民社会以前の 《歌交ひ》の情況を引きずっているとも考えられるのである。自己の自由な意志の発現としてよりは 周りの共同の観念 ここから 期待や予想や自己の心理が現われ この《空気》にあたかも支配されて うたがひ(疑い また うわさ)を口に出すに到っているかに捉えられる。

  • 言ってみれば これは 人間の存在にとって ゆゆしき問題である。右へならえという号令がまったくないままに 右へならえしているという事態に発展する。


《歌をうたう》という表現・行為の一形式は 
(つづく→2006-07-14 - caguirofie060714)