#6
――ポール・ヴァレリの方法への序説――
もくじ→2006-07-07 - caguirofie060707
δ‐2
次にふたたび 大岡のあとを継いで 新しい文章をここに登場させ それについて触れこの章は終わることにしたい。
それは 大岡が 情感の中から感性において一つの立脚点を見出したとするなら それに対して 《心理・身体的見地からいえば 私には性的経験が乏しかった。・・・そういうことに興味がなかったからではなく 無精であったからだろう》などという加藤周一のばあいである。
かれは 自ら《私は〈経験〉をもたず いくつかの〈観念〉をもって 戦後の社会へ出発しようとしていた》というが ただし この《観念》が 必ずしも 西欧人のばあいの《意識》にそのまま重なるというのでもなく やはり日本人としての情感という精神の中の《観念》的領域であるようには思われる。まずこのことは次のような文章によく表わされている。その点から入りたい。
認識論的には 私は懐疑主義者であり しかし実際にはその懐疑主義に忠実ではなかった。
すなわち よほど暇なときでなければ 眼のまえのシナそばが 実在するかどうか いかにして私が五感を通してそれを知り得るか というようなことを考えもしなかった。考えたかぎりでは 主体的な私の意識から出発してシナそばの客観性に到達することは困難であり シナそばの客観的世界から出発して認識の主体の超越性に到達することは困難であろうと感じ それ以上先へは進まなかった。
従って たとえば 史的唯物論も一つの選択であり 全く同等の資格で もう一つの選択である主観的立場に対立する と結論するほかなかった。
(加藤周一:羊の歌―わが回想 (岩波新書 青版 689))
という《信条》と題する章のもとの一箇所である。ここには これまで述べてきたぼくたちの問題点が 加藤独自の言葉で同じく表現されているのを見る。しかしそこには同じく 端的に言って その危機的状況といったような地点から ぼくたちに固有の方向を持って《時間》を出発させようという積極的な営みは 必ずしも見出せない。かれは むしろそこからは 出発しないことを 出発とするかのようである。
ただし ひるがえって そこに 当然 出発がなくはなく それはまた 《観念》の領域の方を向いていたとしても ヴァレリのように垂直に上昇する意識もしくは ここに引用した言葉で 《認識の主体の超越性》の立ち場でもない。それはやはり日本人として 情感の共同性を帯びた観念の運動であろうとまず考えられる。たとえば
・・・彼女はルーマニア系のユダヤ人であった。・・・結婚していたが 夫が何をしていたのかを私は知らない。
――そんなことは あなたには関係ないでしょう。
――よく日曜日に家を空けることができるね。
と私はいった。
――できるから 出て来たのです。そんなことをあなたが心配する必要はない・・・。
彼女自身は学校の教師をいていた。そして熱烈にスターリンを崇拝していた。
――あなたはピカソの肖像画をどう思うか。
それはフランス共産党がその肖像画を スターリンの権威を冒涜するとして 激しく批判していたときのことである。私はピカソ自身の言葉を想い出していた。
――資本主義社会だろうと 社会主義社会だろうと 靴屋の釘の打ち方に相違のあるわけがない。
――誰の肖像画をつくっても 同じことであるとすれば と彼女は論じた。なにもスターリン像とする必要はなかった。スターリンは 私たちにとって 特別の意味をもっています。故意にその意味を冒涜することは・・・。
しかしピカソについてほど スターリンについて あるいは少なくともソヴィエット権力について 私の意見が彼女の意見から遠かったわけではない。・・・
(加藤周一:羊の歌―わが回想 (岩波新書 青版 689) 《二人の女》の章)
加藤周一のばあいの《時間》の内部の運動については この文章じたいに語らせるに留めよう。またかれ自身についても語り尽くしていない感はおおくあるが いまはおよそこれだけに留めておこう。
あとは若干それに添えるならば それは かれのこの・時に隠微に思われるような《時間》は 日本人として 必ずしも例外ではなく また このように表現しうる例においては しかも その隠微である領域においてこそのように 西欧人の《時間》とむしろ或る意味で 通底するかのような方向へと出発しているかも知れないという問題であって その点 それとして 重要だと考えられる。
また大岡のばあいにおいて その感性の立ち場を最重要視するなら そのような大岡とそしてここでの加藤とは 日本人の時間として 一対の対照をなすと考えるのも あながち見当違いでもなかろうと思われる。(どちらが 感性の立ち場かは 表と裏とでは 逆であるかも知れないが・・・。)
なお最後に 加藤は たとえば次のように・やはり それを平面的に普遍化するかたちで 観念を展開するとき――そしてその例は 一つの特殊なばあいではなく おおよそつねにそうであると思われるのだが―― そこに その固有の時間が 確かに流れているように ぼくたちは感じるのである。それはたとえば
《余は如何にして基督信徒となりしか》は 内村鑑三個人の問題であった。《余は如何にして基督信徒とならざりしか》は 日本の国民と文化の問題である。
一人の日本人が キリスト教徒となった場合には 自他に対してその理由を説明する必要があるだろう。キリスト信徒とならなかった場合には その理由を強いて説明する必要がない。これほど日本人にとってあたりまえのことはないからである。・・・
(加藤周一:《余は如何にして基督信徒とならざりしか》)
というふうに切り出して展開される批評文のたぐいである。何故なら ここで《キリスト教徒となる》ということは ぼくたちの意識の流れとしては おおきく言って あの第四の意識の徒となるということと それほどかけ離れたことでなく そしてその事情が いまでは 《自他に対してその理由を説明する必要が》なくなったにしても その情況の構造としては この加藤のここでの指摘がいまだ 旧くなったとも思えないものだからである。
以上の点に留意するなら この章においても 従って 問題点は 必ずしも拡散しない。依然 一つの中心点を持って ぼくたちはある。そこでさらにいろいろな角度から この中心点つまりあの第四の意識とぼくたちの実存との縁組如何に迫ってみることにしたい。
(註)
この章に引用した大岡の《稲妻の火は大空へ》の作品については――詩作品は本来そうであると思われるが―― 他に別の解釈が成り立つと思われる。その点について触れておきたい。
すぐ上に触れていた《キリスト教徒うんぬん》ではないが 大岡はこの作品で かれの中の・もしくはかれに対立する或る神学との共存ないし均衡を 表現しようとしているかのようである。従って その点に関連する箇所・つまり全10節のうちのその半ば以降の部分を 次に引用しておく。そこでは 《言葉 または 言語 あるいは 父親 そして 子 その他 迫害・十二人の弟たち》などの語に注意して読まれたい。(むろん いまの課題としている中心点の問題である。)
5
きみを街で拾ふやうにさらつてきた日
ぼくはきみのからだの中の言葉をむさぼりむさぼつた
斧と炎を予感して言語を絶したきみのからだに
迫害の 消しも枉(ま)げもならない言葉が霜降り肉を作つてゐたから
6
桃を賦すにはまだ稚ない十二人の弟たちに
柔らかい肉 硬い歯を与へるために
父親は死んで柘榴となり 荒地に立った
きみは曠野で御しがたい牝馬となり 喃語を唾棄した。
7
子よ 子よ これだけは知つておけよ
樹をつくるものはなになにか
根・皮・幹・葉・果実・種子・無数の管・穴・太陽と雨
どれひとつ人間と変りはしない 根を除いては
8
アリウベキ至高最深ノ言葉ヨ
ソナタハ神ノ水カ 見エナイ艶アル夜ノ石カ
タチスクムワタシノ背骨ヲタチ割ツテ
稲妻ノ火ガ大空ヘ還ル日ダケハ 囁キカケテオクレネ セメテ
(大岡信:稲妻の火は大空へ)
すなわちもちろん ここでうたわれているように いわゆる神学との均衡――つまりその排斥ではなく均衡・つまり 依然として 第四の意識との対峙として――は ぼくたち一般の日本人にとっても その《時間》をいわばプリズムを通して見たとき そこにやはり確かにのぞかれうる一つの色彩であるだろう。この点 重要となるはずだ。
(つづく→2006-06-30 - caguirofie060630)