caguirofie

哲学いろいろ

#11

――ボエティウスの時代――
もくじ→2006-02-26 - caguirofie060226

青春

huit

闇がほぼ地面にまで落ちようというほどになっていた。
テオドリックは 依然として 今は かろうじて部屋の構成がわかる程度の明るさの中にたっぷりと浸ったままでいた。
とかく行動の人が 無為に陥ると やっかいである。挫折からであれ 強制的な監禁によるものであれ その無気力・無感動はきわめて深く滲みこんでいく。ただ そんなとき むしろ放心の状態というものは なすすべもない無為に耐えようとするひとつの積極的な対処法であると言えるのかも知れない。
行動の人とは 何がどうあっても 最後まで行動しつづけて終わる人を言うのだと言われれば それまでだろうが 来るべき日を期してじっと 無行動に耐える行動の人がいるとするなら その場合には 仮性の症状を呈するほどに振る舞うことによってさえ その空位期間のあいだ じっと待つということも考えられる。
いわゆる何かに 憑くのである。言いかえると 外からの憑きものに対して 放心のうちにこれを捕らえて むしろ 行動している。当面の 自分が自分で在り難い情況を 意志のちからを持って 精神的に・あるいは 半・反精神的に みづからにはたらきかけている。自己にさからってでも そうすることによって 自分の意志のちからを恃んでいるというのではない という問題なのかも知れない。これによって 打開の道をはかっている。
憑くというばあいには そして放心というばあいにも それは 夢であり 幻想である。テオドリックは この闇の中で 当然のように 故郷のこと 祖先のことを あたまの中にえがいていた。
無為と休息とが 懐郷の念を駆り立たせるのは きわめて自然である。そう思われる。それは 蛮族にとっては 祖先を通じて はるかに始原の神々へとみづからが つらなるという思いによって そこに その神々のなかに潜む脅威が しばしば 心のなかに さそわれて起こるのを知るからである。神々とは 人間のことであり この放心の状態での思いは むしろ自己のことがらなのであり そこでは人は 自己の冪(べき=連乗積)をかたちづくっている。
テオドリックのばあい 祖国を想うということは まず北欧の祖地トゥーレを離れて 大陸にわたり 琥珀の道に沿って降りてきてスキティアに大帝国をきずき 二百年ののちフン族にやぶれ 八十年間そのフン族に仕えながら放浪を余儀なくされ やっとパンノニアに土地を得たという数百年の歴史におよぶことになる。ここで人は 自己に自己を掛けて その連乗積をつくる。
実際のこととしても テオドリックは物ごころがついたときにはすでに 戦勝の祝宴にしろ 敗戦のもたらす悲惨さにしろ それらの中に身も心も浸っていたのであるし さらにまた 炉のそばで 女たちが話し聞かせようとしてきりがなかったことは 祖父から一代づつ遡っての 一族の一人ひとりの勇者についてのものがたりであった。
スキティアの帝国は二世紀もつづいたのであるが ひとことで言って ゴートの歴史は いまも 厳しいものではあっても決して楽ではなく つづく長い放浪のつまり戦いの 旅の歴史である。そんな安息と栄光を見ようとするなら それは やはり広大であったスキティアの領土での生活である。そしてフン族に敗れたのではあるが エルマナリックという最後の王へのなつかしみ とそして再びそのエルマナリックの眠るスキティアの土地 これが かれらの心の帰るべきひとつの場所ではある。
その点 テオドリックのエウセビアとの駆け落ちがあるとするなら その行き先は このスキティアであった。
スキティアと宮廷とは 黒海がへだてるのみである。距離はあるが 水路をつらぬいて近いといえば近い。そしてその海におもいを馳せれば ちょうど海峡を吹きぬけて風の音が聞こえてくる。この ヒュルッ ヒュルッという言ってみれば風のうたは まるで何者かの訪れをおもわせるようである。
現代において つぎのような音楽がある。つまり それを聞くと まるで 戦さの乙女たちが 風のように舞い来たって 闘いのなかで主神ウォータンにいのちを捧げて逝った戦士たちを運び去っていくそんな光景を おもい描こうというような曲である。すがたかたちは さだかではないが かぜのように美しい手をさしのべて 天の国ワルハラへ みちびいていくというこの女神たちの伴をすることをこそ むしろ 本望だと信じて 戦いに生きた勇士たちの群れが そこには思い浮かばれるというのである。ほかでもない《ワルキリーの騎来》であり その旋律は高い音調をもって このウォータンの民である蛮族の戦いの日々を伝えるのであるが テオドリックは このとき 祖先を思いやってそんな光景をえがくことを ならわしとしていた。
男たちは 牛や羊の群れをしたがえて
赤児や幼児をともなった女たちとともに
種族が ながい沈黙の一団となって
山を越え 川をわたり
また山を越えてきた
大移動のことども――テオドリックが 母や祖母から聞いた 果てしのない《旅》のはなし。そうして かれは 祖国を思いやって 勇猛な戦士たちは この世の終わりと言われる神々の黄昏の訪れるまで いまも 馬にまたがり 野を駆け たたかいをつづけているというのである。
この夢は夢であり そして 大戦闘の日々 大放浪の日々のよみがえろうとするとき テオドリックは あまりにもの沈潜をおそれて もはやと その思いを――憑きものの部分を――断ち切ろうとしたはずである。ひとりいるのを嫌い 人を呼ぶための手元の鈴を取って鳴らした。
それにこたえてやって来たのは エウセビアである。――


――今夜は 妙に蒸すようだ。エウセビア 暑さ凌ぎに話し相手になってくれまいか。
テオドリックは――もの思いでやや熱気を帯びたように――拙いギリシャ語で こう言った。これからは ふたりの奇妙な会話がはじまるのだった。
エウセビアは 入ると同時に 部屋の闇を叱り 油に火を入れながら こたえた。
――あら テオドリックさま 先ほどからボスポロスを吹き抜けるかぜが 乾きを癒してくれますのに どうしたのでしょう?
エウセビアの物言いは いつも この調子である。
――エウセビア 《旅》の風は かえって熱気を呼び起こすものだ。
――・・・。
――ぼくにとっては この西風も年々 涼をはこぶのに厭きてしまったように思われる。
――あら いつものテオドリックさまには似合わない元気のないおことば!
――・・・そうじゃない。エウセビア。だが 八年は ながい。こうしてここに あと何年 いることか。
押し問答のように このふたりのあいだでは やりとりがつづこうとする。例によってである。
エウセビアが入ってきても まだほとんど両手を頭の下に組んで 物おもう天井を見上げたまま テオドリックは ぼそぼそと語っていた。こうつぶやくと 視線を寝かせて かれは ローマ帝国に仕えるこの女官を しばらく言問いげにながめた。したしい間柄のようでもあり 反面 よそよそしい感覚のあるひとつの対関係幻想。
エウセビアは いくぶんかわいそうな眉を寄せながら ちかづき 脇の椅子に腰掛けながら この人質の主人をたしなめるように言う。いわゆる禅問答のように ふたりしてその中から何ものかを探し求めようとするかのように。
――テオドリックさま まだまだあなたは おわかいじゃありませんか。元気をおとされては 困ります。なにより明日は あなたのお国から 夏の使節が到着すると聞きました。王子さまがそんな元気のないご様子では何にもならないじゃありませんか。
テオドリックは いくぶん眉をしかめて 《いつものエウセビアが返ってきた》と思う。
ただ 翌日の夏の使節の到着は それがやってきても 自分の帰還についてはあまり期待できないものだと さとろうとしていた。
しかし《かのじょが知らないのも無理はない》とテオドリックは思った。
――エウセビア いま 饗宴の席で陛下に会って話してきたところだ。・・・しかし陛下は やはりまだぼくを放してくれそうにない。もちろん 国の使節も交渉してくれるとは思うが 今度は ぼくの拘束の身と引き換えに 軍資金だけを持って帰ることになりそうなのだ。
エウセビアはそのまま小さくうなづいた。
そうしてテオドリックは さらにつぎの使節の到来まで また半年 ここにこうして優雅に暮らすことを思う。
宴会は アフリカ遠征からもどった軍隊のためのものだった。そこでは その指揮官であったバシリスクスの話で持ちきりであった。しかし いづれにしても この遠征は アフリカを占領したヴァンダル族のガイゼリックにさんざん敗れたのだから テオドリックらのゴート族に 逆に 北の辺境をしっかり守れという要求が よけい強くなるだけである。テオドリック自身の戦略は こういうときこそ 自身の解放を ねだっておくべきだというものであった。
いわば その反面に 直接には関係ないところのエウセビア問題が からまっていた。そう考えていた。
――ああ 軍資金の身代わりに ぼくはまた半年 ここにこうして籠の鳥だ ハハハ。
テオドリック
古代のビザンティウム・すなわち新都コンスタンティノポリスが その街全体が 最強で難攻不落の要塞であることは すでに述べた。そして テオドリックは それを承知したことからも 自身の逃亡 そしてゴートとローマとの戦争は むしろ避けようという選択にかたむいていた。もし攻めるとすれば 帝国を挙げて 千数艘から成る艦隊をアフリカに向けて遣り みごと その大半をカルタゴの海で失った今 この今が 絶好の機会であると思われたのだが しかしそれも 十五歳の人質であるテオドリックには かなわない。とすでに諦めた。
このような戦術じょうの条件からくる問題は 外から来てテオドリックのあたまの中を よぎるのである。外からとは 宮廷内の情勢としてという意味である。
自重の道をとらざるを得ないと考えた――そしてこの考えも むしろ外から来て よぎるのである――テオドリックは ふたたび そばのギリシャ女性に 《旅》に疲れたというような目を 横柄にも やった。
――・・・。
エウセビアは なにもこたえず ただ 現代からおもえば一段と隷従的であると思われる女性に見られるところの優しいが無力をあらわす目を――しかし しりぞいたわけではなく―― かえしてくる。そして このような時のエウセビアの眼差しは たしなめるというより 当然のように むしろ冷淡さをあらわそうとしているのだった。
テオドリックは 少なくとも七歳のとき人質に出されるまでは その民族のならわしにたがわず 幼いときから 労働と困苦をもとめるようにして生きてきたので これといったなぐさめを求めたわけではなかった。ただ この異国での無為にひとつのうるおいを与えてくれるものとしてはやはり このエウセビアがそばにいることであって かれ自身 じっさい――このときは――そう思っていた。
そしてエウセビアが こう添えた。
――王子さま たとえ王子さまがまだお国に帰れなくとも あなたがここに こうしていらっしゃるだけで――たとえそれが捕らわれの身であっても それだけで―― あなたのお国の人びとが無事に暮らすことができるというものではありませんか。
これは もはや 母の位をうばった湿っぽい言葉というよりは 明らかに エウセビアの怒りをあらわしていた。そういうことになる。
それは テオドリックが このように灰色に濁ったような憂いの中にいても 反面ではどこか自信を全身にみなぎらせずにはおかないといった気概の人であることを エウセビア自身が 知っていたことからである。ふたりのあいだに そのような あるいは それゆえに 馴れ馴れしさが 決してなくはなかった。
――いくら王子でも 人質王子じゃ何にもならない。こんなところで何もしないで暮らすのなら まだ歩兵の息子として戦いに出て死んだほうが ましというものだ。そうだろう エウセビア?
テオドリックは 自分の恋の相手だと思っているエウセビアに対しては そのように放心気味に言い放つ。それは ひとつの甘えであるが また テオドリックにとって これまでに 成長するにつれてギリシャの青年らに交じって かれ自身に弓を習わせ鹿を追わせてきたこと それらの支えとしての存在の感覚とも いまは通じているものと思われた。
そうして テオドリックは 先ほどからの憂鬱が いくらか静まっていくのを覚えていた。奇妙なる対関係幻想。――
(つづく→2006-03-09 - caguirofie060309)

Vandal was a Germanic people belonging to the family of East Germans. The term “Vandilii” is used by Tacitus in his Germania. They settled between the Elbe and Vistula. At the time of the Marcomannic War (166-81 AD) they lived in what is now Silesia. During the 3rd century when the Roman Empire was in crisis with many powerful enemies at their borders, the Vandals and their ally Sarmatians did invade the Roman territory along upper Rhine river in AD 270. About AD 271 AD the Roman Emperor Aurelian was obliged to protect the middle course of the Danube against them. In AD 330 they were granted lands in Pannonia on the right bank of the Danube by Constantine the Great.
Vandals accepted Arian Christianity during the reign of Emperor Valens in the AD 360’s. Before this, there is mention of two branches of the Vandal Confederacy: the Siling Vandals in the northwest and the Asding Vandals in the south.