caguirofie

哲学いろいろ

#5

――ボエティウスの時代――
もくじ→2006-02-26 - caguirofie060226

幼年

trois( a )

シオ川は まもなくドナウに合流する。中流付近でおおきく階段状に折れ 南北に走るあたりである。河は 対岸がそれほど遠くなく とりたてて広大というほどでもない。支流のシオ川とは あきらかにちがって 悠々と流れる河である。
パンノニアを発った翌日からあたらしい朝がおとずれ はじめて見る土地や船の旅に気をまぎらわせていたものの テオドリックは意気があがらなかった。休息へと沈むような毎日に倦んできた。もともと情況から設定されてくる役割をすなおに担うことのもっとも難しい男であった。そんな自己をおもって 《おれは いわゆる平和に抗しきれない人間なのだろうか》と思いつめたりすることが 後のちのかれの憂鬱であった。
東ゴートの人びとは 相対的に見たばあい 少なくともこのテウデミルと次のテオドリックの時代には 一般的に平和を愛好する種族であった。ただ 平和を愛好する者のなかにも 平和を脅かされ絶対的な窮乏に直面させられるときには いわゆる愛の崇高な弱さ(la souplesse )をどこまでも貫いてそれに甘んじる者と 他方 いったんそのような事態にあえば 傲然として残虐狂暴な手段をも辞さない者とがかんがえられる。ゴートが後者であるとするなら ローマの側から ゴートを含めたゲルマーニア民族が 《蛮族》と称されることもあたっているように思われる。《市民化する》という意味での 文明によって 大人しくなることを 結局はまだ拒んでいたであろうから。宮廷からの使節らは 国王に《テオドリックギリシャの方式で成人させてみせる》と言ったとき この文明ということばを頻発していた。ゴートは 定住への道をあゆみながら 遊牧生活にまだ飽き足らなかった。
そんなかれらの弱点は 休息・無為・平和のときに訪れる。休息のなかでかれらは 闘争における強靭な精神が解きほどかれると 難なく懐郷の念に襲われる。そのときは 故郷を慕ってどんどんと自己の時代を超え 祖を伝って いく世代もの昔へ遡っていってしまう。テオドリックは はやくからこの念(おもい)の餌食になってしまいがちであった。


陽が沈み 夜が明け また夜が明けて おなじ河のうえにいた。
船のなかで 通訳がこれからのためにと少しづつ 言葉をおしえてくれることになった。これは 若いテオドリックの好奇心を満たすにじゅうぶんなことであった。だが これも少し覚えるとある程度は慣れてしまい テオドリックはまたこんなことをおもって気を紛らわさねばならなかった。つまり 習えば習うほど ギリシャの言葉は 妙に間延びのしたことばだと思ったりした。母というとき ゴートでは モゼルと言えばいいものを メァーテァールと言い 父というとき ファダルを パテァールと言わなければならなかった。
熟慮なく行動することを信条とする人は むしろ行動を離れたときたとえば放心にあるときでも 頭のうちを運動させているものである。テオドリックは 舞台のうえに上らせられ上ぼっての放任自由という意味で 放心に接していく。これは ひとつには そこから解かれるのを待てばよいのだが いづれにしてもローマのふたりとしては 活気をうしなったまま沈んだ少年を前にして ほうっておくわけにいかなかった。
――テオドリック
使節は呼びかけた。
――テオドリック。ひとつ注意せねばならないことがある。この河から南はすべてローマの領土だ。各属州には 国境守備隊も守っている。しかし この一歩 北へ入れば いま 荒々しいゲピデ族がひかえている。すきを見てわれわれを襲って来ないとも限らぬ。・・・そのときは船を右岸につけて 逃げるのだ。いいか しっかり言うとおりにするのだぞ。
テオドリックは ゲピデ族の存在については 聞いて知っていた。そしてこの長い旅に何が起こるかと自分に問うてみるとき 自分が全くの未知のなかにいることを いやというほど知ったのであり そんなとき人は 最悪を怖れ勝ちなのであるが 考えられるすべてのことが 起こりそうだとも思ってみる。そしてこのとき 使節の訓令を聞いて 実際としてその言葉に従うつもりでいるのだが たとえば 自分はそのように狙われるべき登場人物なのだろうかなどと疑ってみる。心のなかで さまざまな思いが ただ激しく飛び交っていて この役割をになうことへの本能的な嫌悪が どこかで根強くはたらいていた。おさない者の頑固さといったように。
――いいか テオドリック いつもその用心をしていなくちゃいけない。
使節は念を押してみた。だが この少年は自己防衛することすら知らないのではないかと疑えば疑うほど この疑いの非現実を むしろ思い知らされた。《わかっておる》とでも言いたげな顔付きをして こちらを見つめてくる。使節らは あきれたり またどこか怖れたりするのであった。


三日目の夜をむかえようとしていた。ドナウはその後 南北の流れを急激に横に寝かせて ふたたび東への長い直線の進路をたどろうとしていた。
やがて シンギドゥウヌム(ベオグラード)の町にさしかかった。この夜は船を止めてこの街に泊まると使節テオドリックに伝えた。街は ドナウに右手から一支流が合流してくる岐点にあった。
船をみなとに着けて 久し振りに土を踏んだ。まだ 船のうえにあって遠くその街が見えたときには 家並みは 凹凸の輪郭をしたシルエットをなしていた。街に入ってみると これが驚くほどの廃墟である。石造りの建物はほとんどあちこち壊されており 火をつけられた跡とわかるように黒ずんでいた。
瓦礫が散らかり ひっそりとして人影もなかった。残った建物も風雨にさらされたまま 口を開けている。ただ 家並みはどこまでも続いており 盛時の姿はどんなだったろうと想像されるほどではある。廃墟ながらテオドリックには 初めて見る都会であった。
――コンスタンティノポリスの街も こんなにたくさんの家が立ち並ぶのか。
テオドリックは訊いてみた。
――比べ物にならん。もっとおおきな街だ。
とこたえが返ってきた。
テオドリックは とにかく驚然としている自分に気づいた。同時に その荒廃ぶりのすさまじさにも驚かなければならなかった。よく見ると ときに野ざらしになった骸骨さえ散らばっており 小さいときから目を蔽いたくなるような負傷者の生傷を見慣れているものの それとはちがった奇妙な感情に捕らわれそうになる。テオドリックは どうしてこんな廃墟に来たのかと 不思議におもいながら 暗い通りを歩いて附いて行った。
どのくらい歩いたろうか ようやく街はずれが見えかかってくるあたりに 二つ三つ灯がみえてきた。そしてテオドリックは思わずほっとしている自分に気づいた。
(つづく→2006-03-03 - caguirofie060303)