caguirofie

哲学いろいろ

#4

――ボエティウスの時代――
もくじ→2006-02-26 - caguirofie060226

幼年

deux( b )

やがて 空には月が出て 外は明るいといえば明るい。娯楽をもたない集落にとって 夜は長い。ゴートの幼年は 不必要に夜を更かすことは ゆるされていない。テオドリックは 眠い。そしていまテオドリックにとって 舞台からはみ出そうとしてうごめく反撥の感覚より この・昼は身体をうごかして日が暮れれば眠るという習慣のほうが さらに強い。どこを向いても 夜空がひろがる ひなびた草原のなかで しずかに真夜中になるのを待ちながら 宵を過ごすのは 長いものである。テオドリックは しばらく仮眠をとることになった。そして テオドリックを除いて なおそのまま 両国の交歓はつづいていった。
ローマの軍人である使節は まだ必ずしもローマにとっての蛮族という諸種族に対する優越感から 完全には抜けていなかった。かれは 意地悪くこう話を切り出していた。
――アジアのアッティラの勢いも消え去ったのだから ゲルマーニアのみなさんも もう移動などしなくても いいでしょうな。
――そうです。おかげでフンの力に圧されることも それに付き従うことも なくなりました。ただ われわれが これからどこへ行くのか それはまだ われわれにも わかりません。
――・・・。
――われわれは とうとう こうしてスキティアから パンノニアまで来てしまった。西ゴートはすでに ローマ帝国イスパニアまで そしてヴァンダルはさらにアフリカまで それぞれ渡ったと聞いております。・・われわれは もういちど 祖国のあったスキティアに戻れればとおもうのだが じっさいには もうわれわれの中の誰れひとりとして スキティアの土地を知らない。
――なるほど。そう言えば ゴートは スキティアに移住するさらに前には北の果ての大層おもしろそうな土地に住んでおられたとか・・・。
――トゥーレですか。
――ああ そのトゥーレ。なんでも 夏には 一日中 太陽が出ていて 冬には反対に闇の中に日々がつづくとか。
――われわれも実際には知らないのだが。そう言い伝えてきております。トゥーレの島に大いなる冬が訪れると 高い山にわれわれは見張りを立てる。そして 太陽がふたたび顔をあらわしたという知らせを受け取るまで 人びとは闇とたたかわねばならないと。
――でも 陽の光がふたたび現われれば わたしたちは花を飾っておおきな祭りを催すのです。とエレリエヴァ
――あなたがたは まさにわれわれがよぶ北風のかなたからの人びとなのですな。・・・どうでしょう。あなたがたゲルマーニアの人たちとわれわれローマの者と おたがい仲良くやってゆけるでしょうかな。
――ことばが互いにちがうけれども だいじょうぶでしょう。われわれは ローマの人びとを尊敬しているのです。すでにコンスタンティノポリスの宮廷には われわれと同じゲルマーニアのアラン族の者が 高官となって皇帝につかえていると聞いておる。そのようにわれわれを受け容れてもらえることを 光栄におもっておるわけです。
――アラン族は われわれゴートがあのスキティアにいた頃 となりどうしだった人たちであり 必ずしも遠い存在ではないわけです。と叔父ウィディメル。
――使節どの かれらは アスパル将軍のことを言っているようです。とギリシャ語だけで 通訳。
《わかっておる》と 使節
ゲルマーニアからの人びとが ローマに多かれ少なかれ浸透していたことは すでに大きな事実である。コンスタンティノポリスだけではなく むしろ西のローマでは特に ゲルマーニアのいづれかの種族の者が要職を占めていて 軍の・そして帝国じたいの指揮にあたっており さらにその軍隊を構成するのは 無視できない部分をやはり ゲルマーニアの傭兵が 担っていた。
――テウデミル国王 だが 戦さがなくなれば われわれ軍人は 干上がってしまうというものです。
使節は 言い 通訳の訳し終わるあいだを待って からからと笑いとばした。
座は すいぶんとなごやかになったようだった。東ローマ側は すなおに アッティラがいかに脅威であったかをあらためて回想し ローマ帝国はもちろんゴートら異民族のあいだにも この時までにかなり浸透していたキリストの信仰のありがたさをいくらか交じえながら そのアッティラの急逝に触れた。
ゴート側は その後のフン族との戦闘の模様を 手柄話を交じえつつ 語り返した。そこへ 東ローマ側の通訳が つられて 自分はアッティラの居城へも 一随行員であったが こうやってドナウをのぼってやってきたのだということを さも貴重な体験のように話し出した。
さらに 酒が酌み交わされ こんなやり取りのうちに テウデミルには この使節も通訳も信頼するに足る人物であるとおもわれた。もはや託したわけでもある。民族相互のあいだ(インタナショナル)の関係は つねに流動的で いつ何が起こるかはわからないということではある。がゴート側にひとつの目途が見られたとおもわれた。


テオドリックが起こされたのは 月が上天にかかり かれも目の覚めるべきときのことであった。そのことを待っていたというかのように。――そしてすでに 親族らも皆 送別の道をつくる用意ができていた。
やがて 出発の時刻がやってくると それからゴートとの最後の別れまでは あっけなくすすんでいった。テオドリックは 月明かりを受けた草原の一隅で ゴートの者たちの並ぶあいだを 一人ひとりと口づけを交わし 皆から しっかりやってくるようにと励まされながら進みゆき 母とも叔父とも みじかく言葉を交わし 父は無言のまま 手を差し出しており テオドリックは 黙ってその目をみつめながらその大きな手と一度だけ握手して離れ そしてさらにバラトン湖の船着き場まで 皆が見送ってくれ ローマのふたりとともに 用意された船に乗り込めば まったくの日常の所作のように 船は岸を離れていった。テオドリックは無言のまま 手を振り やがて岸と船とは たがいに見えなくなったのである。それが 故郷との別れのすべてであった。


その後 沈黙がやぶれたのは 船のうえで使節が なにかぼそぼそとギリシャ語でしゃべったときであった。通訳がつたえてくれることには 眠いだろうから眠るがよいとのことであった。それを聞いてテオドリックは すなおに横になることにした。
身体をごつごつとした船体のうえに横たえると 月がくっきり浮かんでみえる。あっけなく済んだ別れのなかで テオドリックはただひとつ 気になっていたことがあった。それは 父王テウデミルの無言の見送りであった。テオドリックも しっかりと見つめ返したが そうしたものの たとえば自分のこころの中のことがすべて見透かされているといった時に味わうようないささか不気味な気持ちを覚えていた。浮かぬ顔をして かれは そうして 生まれて初めて心のなかで後ずさりをするのだった。だが テオドリックにとって今の自分のこころの中は いづれにしても わけのわからないものであった。


夜があけて テオドリックが冷気を感じて目が醒めたときは 船はすでにバラトン湖を去って小さなシオ川をはしっていた。テオドリックは この朝からは ちがう朝だという感じが浮かび じっさいそう思わずにいられなかった。昨夜はじめて経験した心のなかの後ずさりが そう思わせていたのであろう。そうして朝の冷気にぴりっと感じるものがあった。もっとも 極端に言えばコツジキへの道を用意するといったような持て余す情念が 完全に去ったわけではなかった。朝を ほとんどまだ見知らぬローマの二人とのみ迎えることになって どこか赤面する気持ちがうごいていなくはなかったから。
使節が 用意した朝食をすすめた。そこにはテオドリックには好物のチーズがあった。まだ朝のあいさつを交わすこともなく そのまま いっしょに食事に就いた。自分ながら どこか食物をとる手が ぎこちないと感じながらたべていると
――テオドリック 寒くはないか。
使節が 声をかけた。チーズも燻製の羊肉も うまかったのであり テオドリックは ぎこちないながらも がつがつとさえ 食べていた。たべながら
――さむい。
とこたえた。はにかむように 使節のほうを見やり すぐに視線をもどした。
――すぐに陽がのぼる。たくさん食べて元気を出すのだ。
使節
――・・・。
食事はうまかった。けれども テオドリックは なぜかふと 食事がのどを通らなくなったように 手を休めた。そこへ波しぶきが 顔にはねかかった。テオドリックは 自分に似合わないとおもいながらも こころが沈みがちになった。
――テオドリック さびしいか。
使節がさらに尋ねる。
――さみしくない。
テオドリックがこたえると 使節らは わらった。テオドリックは これをすぐさま侮辱と見て この日はじめて涙ぐんだこともすぐさま忘れて 三人しかいない船のうえで 怒りをおぼえていた。 
(つづく→2006-03-02 - caguirofie060302)

sur les Huns――Citation du romain Amiens MARCELUN :

Les Huns dépassent en férocité et en barbarie tout ce qu'on peut imaginer. lls labourent de cicatrices les joues de leurs enfants pour empêcher la barbe de pousser, lls ont le corps trapu, les membres robustes, la nuque épaisse; leurs carrures les rendent effrayants. On dirait des animaux bipèdes ou de ces figures mal dégrossies en forme de troncs qui bordent les parapets des ponts...

Les Huns ne cuisent ni n'assaisonnent ce qu'ils mangent; ils ne se nourrissent que de racines sauvages ou de la chair crue du premier animal venu qu'ils réchauffent quelque temps, sur le dos de leur cheval, entre leurs cuisses. Ils n'ont pas d'abri... On les dirait cloués sur leurs chevaux qui sont laids mais vigoureux. C'est sur leur dos que les Huns vaquent à toute espèce de soin, assis quelquefois à la manière des femmes. A cheval jour et nuit, c'est de là qu'ils négocient les achats et les ventes. Ils ne mettent pied à terre ni pour manger ni pour boire; ils dorment inclinés sur le maigre cou de leur monture, où ils rêvent tout à leur aise... .