caguirofie

哲学いろいろ

#21

もくじ→2005-12-23 - caguirofie051223

§30(ルウソの自己)

この会議の宣言は 《ただの労働者》(ドイツ・イデオロギー 新編輯版 (岩波文庫) cf.§13) ひとりの《自由な労働者》(資本論 1 (岩波文庫 白 125-1) cf.§14)が持ったのである。明示的に知解していなかったとしても これを直観し それは 先行する基本意志であるゆえに その基本関係たる愛においてすでに 会議であった。ひとりの何ものからも自由な(つまり 何ものをも剥奪された)人間の自立において この会議が成立した。この一個の市民のことを おのぞみなら プロレタリアートとよんでもよい。
少しマルクスの文章を借用して確認しておこう。

ヨーロッパのすべての国において 封建的生産は 能うかぎり多数の封臣のあいだに土地を分割することを 特徴としている。封建領主の権力は すべての君主のそれと同様に 彼の地代帳の長さにではなく その臣下( Untertanen )の数に基づいていたのである。臣下の数は また自営農民の数に依存していた。・・・

  • 日本もそうであったと マルクスは註で言っている。

資本主義的生産様式の基礎を創出した変革の序曲は 十五世紀の最後の三分の一期と十六世紀の最初の数十年間に起こった。サー・ジェイムズ・スチュアートが適切に言っているように 《到るところで 徒に家や屋敷を充たしていた》封建家臣団の解体によって 一団の無保護なプロレタリアが 労働市場に投げ出された。それ自身ブルジョア的発展の一産物だった王権は その絶対的主権の追求で この家臣団の解体を強行的に促進したとはいえ 決して その唯一の原因ではなかった。むしろ王権と議会にもっと頑強に対抗しつつ 大封建領主が 彼自身と同様に農民も同じ封建的権利を有していた土地から 農民を暴力的に駆逐することによって また農民の共同地を横領することによって 比較にならないほど 大きなプロレタリアートをつくり出したのである。これに直接の原動力を与えたものは イギリスでは とくにフランドルの羊毛工場手工業( Manufaktur )の勃興と それに対応する羊毛価格の騰貴とだった。・・・
資本論 1 (岩波文庫 白 125-1) Ⅰ・7・24・2〔農村住民からの土地の収奪〕)

日本でも きっかけと推移過程をたがえて同じように 《自由な労働者》が生まれたことであるだろう。或る意味で《おしん》の世界である。日本人のおしんが どんな会議をもったか? 会議は たとえ歴史相対的な観点に立たなければならないとしても 人間に普遍的なものであるから 同じ一つの会議に立ったとも言えるし 逆に日本では 明示的な宣言内容を持つようになるのも はじめは 会議(思想)の輸入 または 資本志向および資本主義志向との入り混じったヨーロッパの社会経済的な発展の具体的な成果の輸入としてであったとも考えなければならないときには あらためて この出発点が のちの各発展段階においてと同じく いまの段階においても 確認されすぎるということは ない。それは 自己の問題であるから。
《自由な労働者》の自己の問題という会議の問題は べつのところでマルクス

人間的存在は かれの内面的な富(――先行するものの能力――)を自分の外に生みだすためには このような絶対的な貧困にまで還元されなければならなかったのである。
経済学・哲学草稿 (岩波文庫 白 124-2) 3・2)

とも解説している。人間的な論法からいえば だれもがつねに

もし完全になりたいのなら 家に帰って持ち物を売り払い 貧しい人々にあげなさい。そうすれば 天に富を積むことになる。それから わたしについて来なさい。
日本語対訳 ギリシア語新約聖書〈1〉 マタイによる福音書 19:21)

といわれるときの《全財産の処分と施与》を おこなわなければならないのではない。《もし完全になりたいのなら》という条件 そして《天に富を積むこと》《わたしについて来なさい》という目的 これらは アウグスティヌスの言っていたように 《身体の光によって僅かな人間が金を所有するようにではなく すべての人間が天を所有するのである》(§18)といった会議の宣言内容として・つまり歴史経験的な一つの生活態度として――ということは それをとおして―― 受け取ることを 排除しようとしたものではない。人間的な論法で言うとすればである。つまり 《全財産の処分と施与》をおこなうかどうかも 自由である。《自分が想起しないこと また全く知らないこと》としては だれも そのような施しをおこなわないであろう。
ということは ここでの議論は 《より高級な動機は別とする》。
《自由な労働者》としてこの世に投げ出された市民の 自己の問題 これを ルウソは つぎのように述べた。

わたしはこの世でただの一人きりになっている。もはやわたし自身のほかには兄弟も 隣人も 友達もなく 付き合う人もないからだ。およそ人間のうちでも人一倍交際好きで 誰よりもやさしい人間が みんなの一致した申し合わせで仲間はずれにされてしまったのだ。
人々は憎悪の限りを尽くして感じやすいわたしの心にどんな責苦が最もひどくこたえるだろうかと探し求め そのあげくわたしをかれらに結びつけていた絆のすべてを むりやり断ち切ってしまったのだ。わたしは人々からどんなにされようともかれらを愛していたであろう。かれらは人間であることをやめない限り このわたしの愛情から逃れようはなかったのだ。してみると かれらが わたしにとって異邦人(よそもの)になり 見知らぬ人になり つまりは無になったというのも 自ら望んだからのことなのだ。ではこのわたし かれらから切り離され そしてありとあらゆるものから切り離されてしまったこのわたしというものは そもそも何物なのだろうか。これこそこれから探求すべくわたしに残されている問題なのだ。
孤独な散歩者の夢想 (ワイド版 岩波文庫) 〈第一の散歩〉の冒頭)

これは ルウソが晩年近くに書いているもので 《これから探求すべく残されている問題》であっては ちょっとまずい――ただし むろん それまでに この自己の問題にじゅうぶん たずさわってきている――が またまったくこの時 《友だちもなく》なってしまっていたのでもなく さりとて 《エミール〈上〉 (岩波文庫)》の出版では 宗教界その他から 迫害される(書物は焼かれ 逮捕令も出る)目にあって その迫害の強迫観念が この《夢想》には 影を落としているとも うわさされるしするのだが これは 会議に立つときの社会経験的な一つの情況を 確認(また《自由な労働》の追体験)しようとしているという方向も 見のがせない。
われわれの考えでは 社会的にどんな立ち場にあろうとも 先行するものの領域では だから 孤独な情況にわざわざ追い込まれなくとも 自己の問題は 普遍的であって そこに 会議は成立すると見る。ただし一般に 人間は ひとりであって 孤独である。そうではないと言って 会議をひらくのは まやかしに近いと考えられるし しかも会議は――会議にとって 孤独の特に心理は きっかけにしかすぎないものだから―― 孤独を売り物にするのでもない。ルウソのばあい よほど自然を強調したかったからか かれが自分の教育をあたえる生徒エミルは 孤児であったし 自分自身の五人の子どもを一人残らず 孤児院(養育院)に入れるというおまけまで ついてしまった。
もし 資本志向および資本主義志向の市民社会の発展が イギリスで ほかのどの国よりも進み したがってルウソのフランス等ではまだまだ 経験現実的にいって 会議の自覚と普及が 遅れていたゆえに かれルウソは 自分の人生の行動としても思想の表現としても 奔放自由で矛盾したものを持っていたとは 言わないとしたら そのときには 一般にもヨーロッパ人の思想表現においては 矛盾――というのは わざわざ 人間にとって社会状態の以前の自然状態の時代を設定するとか あるいは 逆にこの社会状態の開始にあたって 社会契約といった一種の原初的な会議を想定して こんども同じくそうとうの重みを持たせるところの人間の理性の力を設定するとかというそのような奔放自由のことだが この種の矛盾――を 一つの土台として 思考や行動がすすめられていく一面を持っていると考えられる。
ルウソの 叙述の中での飛躍 あるいは 自分の人生に対比したときの叙述の飛躍は そういったヨーロッパ人の文章表現にかなり一般に見られる性格の一面に その原因があると わたしは考えたいのであるが そしてなかでもルウソは きわだっているのではないかというのが わたしの見かたなのであるが 《孤独な散歩者》としてはその《夢想》を きわめて 弁解がましく――おとなしく――書きつづっていると思う。

この世への愛着という愛着がきれいに奪い去られてしまっている今 まだ告白せねばならない何があろうか。
孤独な散歩者の夢想 (ワイド版 岩波文庫) 〈第一の散歩〉)

調子は それでも べつであるようだが だがしかし 会議の問題に引き当てて このルウソをとらえようとするなら 一つの歴史的な例証にしてよいように思う。

  • ちなみに このわれわれの想定する会議を われわれは ことばの問題で争おうとは思わないから 仮りに《社会契約》とよんでも一向にさしつかえない。詰まりそれは ルウソひとりに限らないから そうよんでかまわないと思うが これは きわめて単純な歴史の一視点であって その視点をもって 社会をどうにかしようといったその意味での《強い》思想ではない。

《ありとあらゆるものから切り離されてしまったこのわたしというものは そも何物なのだろうか》という自己の問題 これは じゅうぶん 会議の原点ないし出発点あるいはその問い求めないしすでにその場である。その点を さらにかれの文章から引き出して 第二の例証としよう。

自分自身のなかへ帰るという習慣は ついにはわたしの不幸感やその想い出までをほとんど拭い去ってくれ こうしてわたしは親しくなめた経験によって 真の幸福の源泉はわれわれのうちにあることを そして幸福でありたいと欲することのできる人を 実際みじめにしてしまうのは他人のせいではないということを学んだ。・・・この瞬間 わたしは生へ生まれつつあったのだ。
(同上:〈第二の散歩〉)

  • 先行するものの領域で 人間学=自己学として 語っているのである。

このような境地におかれてひとはいったい何を楽しむのか。自己の外なる何物でもなく 自分自身と自分自身の存在性( existence )を除く何物でもない。
(<第五の散歩>)
要するにわたしはあまりにも自分自身を愛しているので 誰であれひとを憎むことができないのだ。ひとを憎めばわたしの存在は狭められ 縮められることになろう。ところがわたしはむしろそれを全宇宙に拡げたいと思うのだ。
(〈第六の散歩〉)

  • 最後の一文は 少なくとも言い方が 概してヨーロッパ人のものである。ところが たとえば日本人も 同じ内容のことを思ってみないわけではなく 志向としては普段でも 絵や俳句や日常のいろんな小世界に 表現しよう・読み取ろうとする。
  • ただし その会議は 社会的にも あいまいな表現のほうがよい はっきり言い切ってはいけないと考えられている。なぜ わざわざ こんなことを持ち出すかというと むろん この出発点にかかわるものにおいて 経済学がからんでくるからである。端的にいえば マルクスは言い過ぎだということになるたぐいの問題。つまり逆に マルクスやスミスにそのまま乗っかるという場合も。この出発点に触れないことには 社会科学がすすまない。

それにこの世でなおわたしのなすべきことといえば 自分をまったく受動的な(――その意味で 情念が生じる――)存在とみなすことだけなのだから いたずらに運命(――後行する経験社会の領域・偶然――)に逆らって 折角それに耐えるべく残されている力を磨り減らしてしまうべきではないこと などがわかった。これがわたしのひとりで考えていたことなのだ。理性も心情もそれには承知していたが にもかかわらず心情の方はなおもぶつぶつこぼしているように感ぜられた。どこからこのつぶやきが出てきたのか。わたしはそれを探って 見つけだした。自我愛(うぬぼれ)( amour-propre =自尊心)から来ていたのだ。自我愛は他人(ひと)に向かって憤慨しつくしたあとでも 理性に対してはまだむかむかしていたのだった。
(〈第八の散歩〉)

これらは ルウソが自己弁明として言っているとして読むと 単なる心構えであり それでも これをとおして 会議の歴史経験的な成立の例証となるであろう。《自由な労働者》や一般に会議に立った人も その主観動態の過程で じっさいの経過としては こういった夢想をまったくとおりすぎないのではない。
《うぬぼれ・自尊心》は ここでもルウソは むしろ外から入って来ていると言っているのである。《利己心》として すでに経済学の実践として しかも《自己愛》(つまりたとえばルウソがここに見いだした・そしてそこに到来した基本主体たる自己という同感)にもとづくものとして これをみとめ 会議の出発点たる生活態度あるいは社会生活の展開を とらえていったのは スミスである。《あれこれつぶやき むかむかしている心理》は 会議に立って 会議にとって どうでもよいと はっきりさせた。むやみにそれを押さえつけることもないのだと。会議の宣言内容の進展。
つづく→2006-01-14 - caguirofie060114