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哲学いろいろ

ユングと信仰

ユング:三位一体の教義にたいする心理学的解釈の試み
〃  :ヨブへの答え
・・・《ユング・コレクション3・心理学と宗教》1989人文書院 所収
類書:
心理学と宗教(ユング・コレクション3)
心理学的類型〈1〉 (ユング・コレクション)
心理学的類型2 ユング・コレクション (2)

  • 超経験の神と経験領域の人間とのまじわりが 信仰であるが その同じまじわり領域を 精神分析(心理学)という経験科学のもとに 経験合理性で判断しうる事柄として――どうもそれが 無意識であるらしい――論じている。
  • 三位一体の神に 第四格として悪をくわえ 四位一体として捉えようとしている。これは あくまで経験領域において 善もあれば悪と呼ぶべき事態もあるという極めて普通のことがらを 捉えて言ってまでである。なんの意味もない。誰もが知っていることである。
  • ヨブについての議論で 《心理学的解釈》をこう述べている。

不正を加えられ サタンに誘惑された被造物(=ヨブ)を寛大に許すよりはむしろ息子(=キリスト・イエス)を虐殺する方を選ぶヤハウェとは一体 いかなる父親なのであろうか。
(上記書 p.381)

  • 超経験なる《父親》に対して何か言って なんとかなると思っているのだろうか。
  • 神と話ができると思っているのだろうか。――できるか・できないかが わからないという大前提を逸脱することはできない。人間として 文句を言うのなら わかるが。
  • たとえば聖書について 自由に議論しうるのは 人間の特権である。神については これまた自由に発言しうるということと 神と互いに自由に話し合えるということとは 別のことである。
  • 神を心理学的にこうだと見立てたあと その神の像を自由にいじくっているのみ。あほらしい。
  1. 仮りに心理学者ユングが一人の人間として その信仰のなかで 《神は 四位一体である》という教義を提出したのだという場合:これに対しては それでは 善も悪も一体だというからには 善=悪 悪=善だと言ったことになる。
  2. そうではなく どこまでも経験科学の範囲におさめるべき問題だというのなら 上にも記したように 世の中には 善もあれば悪というべき事態も見られると観察したまでである。

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