caguirofie

哲学いろいろ

             第一部 人間の誕生

もくじ→2005-06-20 - caguirofie050620

第十一章 オキナガ氏とタケシウチノスクネとによる河内ワケ政権の蠢動

――自分自身のチカラによってカミを観想しカミに密接に結合されるほど 浄められ得ると思っている人びとがある――
タケシウチノスクネに先導されてやって来た応神ホムダワケが 敦賀のケヒノオホカミと その名を交換したと記したあと 古事記は こう伝えている。母親が労をねぎらった。

ここに〔二人が倭(やまと)に〕還り上りましし時 その御祖(みおや)オキナガタラシヒメノミコト(息長帯日売命) 待ち酒を醸(か)みて献(たてまつら)しめき。ここにその御祖 御歌よみしたまひしく

この御酒(みき)は 我が御酒ならず
酒(くし)の司(かみ) 常世(とこよ)に坐(いま)す
石(いは)立たす スクナミカミ(少名御神)の
神寿(かむほ)き 寿き狂ほし
豊寿(とよほ)き 寿き廻(もとほ)し
献(まつ)り来し御酒ぞ
残(あ)さず食(を)せ ささ

とうたひたまひき。かく歌ひて大御酒を献りたまひき。ここにタケシウチノスクネノミコト 御子(ホムダワケ)のために答へて歌ひけらく

この御酒を 醸みけむ人は
その鼓 臼に立てて
歌ひつつ 醸みけれかも
舞ひつつ 醸みけれかも
この御酒の 御酒の
あやにうた楽し ささ

とうたひき。こは酒楽(さかくら)の歌なり。
古事記―付現代語訳・語句索引・歌謡各句索引 (角川ソフィア文庫 (SP1)) 仲哀天皇の段)

じっさい問題として ここでは 根子たちの《まつり来し御酒》をもって かれらアマガケル日子たちの《まつりごと》がはじまった。つまり まつり(神との共食)が このように まつる者とまつられる人とに分離して 人間どうしのあいだで――善悪の木によれば これが 新しい歴史知性の形態なのだと唱えられたのである―― おこなわれるようになったことを明らかにしている。
これが うたの構造の基本的な形態なのであり 歴史知性のそういう構造的となった一つの動態(または 停滞)なのである。まつり来る根子たちとまつり来られるもっぱらの日子たちとの 永遠の現在のもとにおける階層分化した状態での共食。

  • 入鹿魚を差し出したところが 最後の晩餐であった。
  • 階級分化は その基礎であろうが また基礎として 当然すでに発達しているであろうけれども 抽象的な――反省的意識のもとでの分析知解による――要因を言い当てているものと思われる。
  • また この基礎がはじまるときにも もっぱらの日子のアマガケル単独分立という歴史知性じょうの内的な動き(その曲がり・倒錯)が 起こったであろう。わたしの時間が生起しているときには すでに むさぼりは――ここから階級形成がはじまるが―― 相即的であろうけれども 生命の木(信仰)によってむさぼりに対処していることと 善悪の木(そういう科学・法律・道徳)によって むさぼるなと唱えつつ 自己を第一日子へとアマガケリさせる動きとは 別であると考えられる。
  • 後者の動きは むさぼりをむしろ――むろん確かにそれの共同自治とともにだが―― 制度的に確立させていくのである。これが 階級分化の実態であると思われる。
  • なお 言葉としては 《常世(とこよ)》が 永遠の現在のことである。

このマツリゴトなる罪の共同自治方式の根拠は そのかれらの言い分は 善悪の木のオキテにすべてもとづいているという――すなわち よくも悪くも 法治社会だという――ものである。
うたの中で 《すくなみかみ》というのは スクナヒコナノカミのことで 《おほたたねこ》が スサノヲノミコトと呼ばれるようになる前に――つまり実際の記述にさからってでも 順序を変えてとらえるなら スサノヲノミコトと規定される前に―― 《おほくにぬしのみこと(大国主命)》と呼ばれたと考えられるのだが このオホクニヌシとそしてスクナヒコナとが一緒に 国作りをしたとされているのであるから オホタタネコのいまひとつ別の前身のことである。

  • オホクニヌシは 一つに オホモノヌシノカミと密接に関連し もう一つに オホナムチ(大地貴)と呼ばれるのであるから この《ナムチ(地(な)-貴(むち)=国‐主)》という訳語は じっさい《ネコノミコト(根子尊)》といった内容でなければならない。
  • ゆえに ここで オホクニヌシをもって オホタタネコに当てはめるとするなら その歴史知性の確立するまでの前身を スクナヒコナノカミと捉えうる。日子と神とが名に同時に入っている。

表2 オホタタネコ歴史知性の系譜
少名毘古那神→
大国主命
→〔《根子日子》歴史知性→〕
→意富多多泥古 / 御真木入日子印恵命→
須佐之男命→
→〔柿本人麻呂ら〕→・・・

  • もっぱらの日子の善悪の木によるアマガケリが 制度的にも確定していくと 善悪の木によって建てられたところの生命の木が アマテラスオホミカミと名づけられ そして このアマテラスが すべての歴史のはじめに・つまり神代の巻に あたかも神学的な総論を用意してのように 登場するから このとき スサノヲノミコトも すでに一緒に登場することになった。このとき 須佐之男命は 大国主命の祖であると想定されている。
  • スクナヒコナノカミと言って カミがつけられているのは――だから より旧い時代の歴史知性だと考えられ―― 縄文人の段階を残しており ただし 狩猟採集の時代ではなく 稲の渡来の前の粟などの農耕の段階に比されている。
  • 越などの日本海側のくにぐにの歴史知性が このスクナヒコナというオホタタネコの前身の像において 上に掲げた歌では 捉えられているのであろう。もちろん このイザサワケノオホカミの時代に 稲の耕作が導入されていなかったことを意味するのではない。河内ワケ政権が そのアマガケル日子の善悪の木によって 感化すべき対象の人びとだとうたっているのである。

要するに このスクナミカミの段階の歴史知性の人びとを――と言っても 繰り返すなら その想定は 河内政権の側からするのであるが―― その河内ホムダワケ政権は この酒楽の歌をもって 支配下におさめたとうたったのである。

  • オキナガタラシヒメの《たらし(帯)》は そういう時のアマガケリによる精神=律法主義的な《連帯=和》であるように見えてくる。後述。

この越などの地域に アマガケル日子たちの善悪の木による《感化》が行き渡ったとするのは この河内《ワケ》政権がまず オキナガ氏の抱きこみに成功したことによって始まると考えられた。おそらくわたしは アマガケル日子らに抱き込まれ その《ウチ》に入って《タケ》くなったというタケシウチノスクネノミコトが オキナガ氏のことにほかならないと推測される。抱き込みに 婚姻関係の成立を見てもよいであろうから 河内政権の第一日子の母親を このオキナガ氏に当てた(または 実際そうであった)のだという見方である。
そうして この母オキナガタラシヒメノミコトは 上のように歌を歌わせたとするなら かのじょ・またはオキナガ氏は この時すでに 《アマガケル日子》のうたの構造(その宗教)を じゅうぶんに自分のものとしていたと考えられる。
このあとは アマガケル宗教としての歴史知性(河内ワケ政権)と オホタタネコ原点の歴史知性(三輪イリ政権)との 《うたの構造》のうえでの言わば照り競い合いが 展開されていくであろう。いま 武力的な衝突を不問に付すならば それが 基本的な流れを形成したであろう。
《善悪を知る木》を押し立てる河内ワケ政権は すでにこのオキテ(善悪の律法)に もと(悖)って《征服》するということにはならなかったのである。表面的には。建て前においては。また それゆえに 三輪の《イリ日子》政権とその支持者たちは このアマガケル宗教を この地上での罪の共同自治としては 衣を着るように やがて かぶらなければならず したがって ひとつの自然的必然事のごとく その河内政権のほうの第一日子を たしかにやがて 統一的な第一日子として 道を譲るようにして迎えなければならなかった。

  • 三輪イリ政権の側に立って 一言で言えば 悪貨が良貨を駆逐した。
  • まず おそらく 社会階級関係としての 社会全体の資本形成の問題 その経済的な側面における流れが うたの構造を後押ししたと思われる。後期古墳時代からは 馬具など・だからその金属製品なども 増える。
  • 《良貨》とて わたしのむさぼりへと窓を開けている時間的=罪的な存在であったことに変わりはない。クニユヅリがおこなわれていく。スーパー歴史知性たる《日の御子》が誕生しつつある。

単なる《わたし》のむさぼりの合法化であっても 善悪の木じたいは 人間の日子の能力として 普遍でもある。つまり 国譲りをしないとすると 鎖国政策しかありえない。武力抗争は 最終的なウタの構造の確立へはみちびかないであろう。
学問的研究の内容をかたちづくるかどうかわからないが 基本的にこれが ことの真相だと考えている。もちろん この第二の死につながるところの歴史知性のアマガケリの動きを われわれは 現代人としても 警戒し回避しまた克服しなければならない。三輪イリ政権は やがて 近江や越のくにぐにを従えて接触をはかって来た河内ワケ政権に対して そのオホタタネコ原点(それは 動態)において かれらの隣人とならねばならず 須く佐くべしというスサノヲノミコトなる歴史知性の歴史的展開をひらいたのである。
そういうふうに オホタタネコ市民は 弱い。また この弱い歴史知性の同一に なおもとどまりつつ アマガケル勢力の《強さ》に強くならねばならない。オホタタネコ歴史知性の共同相続人が増えることは 大地の健やかさを示す。
前章の末尾で タケシウチノスクネノミコトの登場の主題は ひとつに 第一日子に忠誠を尽くす《内つ臣》であることであり 第二に 縄文人の呪術から一たん解放されたところの高度に精神主義的な《マツリゴト》をつかさどる人であることであり 第三に《長寿の人》であることに求められるとの説を省みた。だが 言ってみれば これら三つの主題の内容は すべて《アマガケル日子》の宗教ということに要約される。入信して熱心な信徒となること つまり 永遠の現在を 想像において 法律・共同観念の規範として 生きることに要約される。すなわち 《息長(オキナガ)》つまり長寿・永遠の今であることに求められると言っても 間違いないであろう。また 邪馬台国卑弥呼の時代に 不老長寿を映すものとしての新しい《鏡》が受け容れられ これもマツリゴト(その前身)の一環に採用されたということに そのみなもとを求むべきであるかも知れない。オキナガ氏の台頭は このような淵源とともに 起こったと言えるかも知れない。

ウタの構造として ワケまたはタラシヒメ歴史知性へ

実際 古事記に従う限り オキナガ氏の系譜は ミマキイリヒコ崇神の前代である開化ワカヤマトネコヒコオホビビノミコトにさかのぼる。また タケシウチノスクネも さらに もう一代前の孝元オホヤマトネコヒコクニクルノミコトの系図から発している。タケシウチノスクネの子の一人であるハタノヤシロノスクネが 《淡海臣の祖》であると書かれているが この近江の一氏族が オキナガ氏とつながるかどうかを別として もしタケシウチノスクネが一人の人物として実在しており オキナガ氏とは別であるとするなら このタケシウチノスクネの子孫または思想(ウタの構造)的な子孫の中から オキナガ氏がその筆頭の一人として台頭してきたと言えるかも知れない。

  • タケシウチノスクネの子孫は 非常に多い。実在の人物でなくとも それだけの《ウタの構造》じょうの広がりを重視しうる。

また そのような情況の中で 孝元天皇の直前の時代であると考えられる卑弥呼邪馬台国と ウタの構造の関係じょう つながると言いうるかも知れない。諸国の連合うんぬんの問題などである。
いま 河内ワケ政権のアマガケル日子の宗教と タケシウチノスクネおよびオキナガ氏との関係は おおまかに言って――ウタの照り輝きの歴史的展開として基本的に だから 史実の比定では必ずしもないかたちで―― 以上のようだと考えたい。
したがって このようだとすると――つまりいまは 《人間の誕生》という主題で その限りで 推理・推測の議論になるが―― あのアマガケル歴史知性 その《永遠の現在》宗教のもとの第一日子のウタは すでに オホタタネコ原点つまりミマキイリヒコの時代の前後をつうじて 起こりつつあったと捉えなければならない。
外から来たもの(騎馬民族)であれ 内から起こったものであれ 河内政権のもっぱらの日子は この新たなマツリゴトの第一日子の座に みづから進んで 各地の日子政権を集めてのように その中で 立候補したのである。これは 成功したのである。

  • 成功したところで むなしくされたと われわれは見ている。一段落としての収拾をつけたのは 天武体制だったと。

ホムダワケノミコトの河内政権は 一氏族として 《ワケ(分・別・若)》の名でその同一性を確認できるが この《ワケ》政権の台頭の前に アマガケル歴史知性がすでに生起していたとするなら その流れを追って見なければならない。今度は ホムダワケの母とされる神功皇后の名前 《オキナガタラシヒメノミコト》の中の《タラシ日子 / タラシ日女》の語に注目して この課題を次章で追求することにしたい。
ワケ / ワカについては 歴史知性の内容(つまり ウタの構造)として 必ずしも明確なかたちで捉えがたい。イリ日子 / イリ日女に対しては タラシ日子 / タラシ日女の類型に注意しうる。むろん現実は これらが おおきく社会的なモノゴト関係の中で 互いに錯綜し入り組むということである。

表3 崇神ミマキイリヒコと応神ホムダワケの系譜  
○====開化ワカヤマトネコヒコオホビビ======○
     |                       |
     ○                 崇神ミマキイリヒコ
     |                       |
     ○                 垂仁イクメイリビコイサチ
     |                       |
     ○                 景行オホタラシヒコオシロワケ
     |                       |
   オキナガスクネ             ヤマトタケル(オウス)
     |                       |
   神功オキナガタラシヒメ===仲哀タラシナカツヒコ====○
     |                                |
   応神ホムダワケ                         ○

  • 三輪イリ政権の中で イリ日子とタラシ日子とが混ざっているので その点は のちに検討してみたいと考えている。
  • 表4:四世紀の日子の系譜(仮定)→2005-07-03 - caguirofie050703;表6:四・五世紀の日子の系譜(想定)→2005-07-05 - caguirofie050705←表7:ワケ・タラシの日子の系譜