caguirofie

哲学いろいろ

第一部 人間の誕生

もくじ→2005-06-20 - caguirofie050620

第八章 第四原則:いまの永遠にはとどまりえないこと

――復活したゆえに 第二の死へおもむく人びとがいる――
いま――第四章あたりから――オホタタネコ原点なる歴史知性の ミマキイリヒコ視点として社会の科学の考え方を模索している。それは 古事記の――古事記全体の――原点となると思われる。経験的な歴史を離れようとは思わないが 他方で 古代人の思惟との通底性を見る上で 《かみ》を 基本的には表現じょうの問題として立て 全体として史観の問題のもとに 考えようとしている。これは 思弁的になる。形而上学的な原則を いま尋究している。

《いまが すくいの日である》その時を想像において保つことはない。

余談風に言うと 《永遠の今》ということば・考え方は 少なくともレトリックとして大きな効果を持っているように思われる。
しかしながら 《今が すくいの日である》ことは この《永遠の今》にとどまる――ようにして 自己の同一を保持する――ことではない。《永遠》が 宇宙の原理すなわちカミの法則であるとすると それは まさしく 表現じょうの・レトリックとしての問題であるという大前提が ここでは ひときわ強くつらぬかれていなくてはならない。これが 第四原則である。
《今が すくいの日である》と第三原則で言って これをとおして カミ・永遠を観想したとしても われわれ時間的存在は この永遠ないし永遠の今に とどまることをなしえない。これが 第四原則。――第一原則が ほぼはじめの人間の誕生をとらえていたように この原則の第四は その第三に対して付け加えるためわざわざ 触れる必要もないかとまず思われる。ただ 言われるように日本社会では 《今の永遠》が 歴史知性たる自己の連乗積をつくってのように 少なからず信奉されている。人びとは 無自覚にも これを信奉していると思われるとき 一項目として論議しておこうと思う。
とりあえず ここまでの四つの原則をもって オホタタネコ原点(それは 動態)の内容=形式であると考えたいと思う。
四つの原則は いちいち番号順にそれぞれの内容が並べられるということではない。第一原則の《時間(または わたし)の生起》に対して 《時間への勝利 / 世界原理のなかでの〈わたし〉の位置付け》という第二を言っていたように 《いまが すくいの日である》という第三に対しては――第二原則が 《社会が動く》であったのと同じく―― 《オホタタネコ(この歴史知性なる人間)は 時間的・歴史的に生きる》が 当たり前のごとく 第四原則として含まれていなくてはならない。
第三の原則は 《永遠の今――もしくは 通俗的な 今の永遠――》を言っているのではないということ。あるいは 事をややこしくするかも知れないが 第三原則の《今》を 《永遠の今》として 表現することはありうるということ。このことを アマガケリから自由に観想しなければならない。この観想は われわれの日子の能力(精神)によっておこなうのであるが この精神によってのみ実現するというのではない。言いかえると 経験的な善悪の木の体系世界――観念世界として共有された現実――にもとづいてのみ実現させるというのではない。《今》をアマガケリさせてはならない。あたかも 生命の木のように 十字架の木なるこの世から去るという仕方で 想像において保っていてはならない。かれが去ったのは われわれが 去る必要なくこの地で 《いまが すくいの日である》動態をすでに享受しうるように そのためにである。

  • ちなみに キリスト・イエスは われわれを 高めるために(泥古の母斑を背負いつつ根子であり 比古の世界に生きつつ入り日子でありうるように) 降りてきた。言ってみれば 支配者たらんとするもっぱらアマガケル・スーパー日子は われわれを降りさせようとして 上へアガル。
  • このような幻想の歴史知性に対しては 入り日子らはクニユヅリをしなければならなかった。同じ入り日子の歴史知性である本性は変わらないのであるから 須く佐くべしと人びとの間でささやかれたのである。
  • 一たん国家形態が実現し 比古らのアマガケリが完成すると かれら自身 投げ落とされ虚しくされた。そこで国家の制度は残された。舞台を変えて 再始動がおこなわれていった。

オホタタネコは あの歴史知性に立って 自己の同一にとどまるがゆえに 時間的・社会経験的にそのようにして 歴史的に生きる。言いかえると 《永遠の今》を 日子の能力において 想像しない。われわれは  《天》なる領域のことを この地上にあって(根子として)は 詮索しない。つまり 日子の能力をとおして 謎において かつ 鏡(社会・歴史)をとおして いうならば《永遠》たる世界原理を 観想するかも知れない。けれども《永遠の今》を そこにとどまりうると言ってのように 日子の能力(精神)《において》=想像《において》 保持することはありえない。
それは もっぱらの日子のアマガケリである。つまり 生命の木もしくは モノの木の中に・モノの木をとおしてはたらく推進力たる生命の木 これと そして人間の善悪の木とが 人間によって 転倒させられてあることである。これは 人間の中間性を中心性として アマガケリすることである。それは 《永遠の今》――わかりやすく言うと 《一期一会》などとして表象されるときの・時に見られる危うさの部分――によるスーパーアマテラス宗教であると考えられる。
この転倒した観念論が じつは 現実経験的なのでもあるが オホタタネコ歴史知性は ここに寄留し これらアマガケル歴史知性とふつうの歴史知性の両者は この地上の社会で 混同しあって入り組んでいる。
だれが 愛の・資本の推進力を見ることができるであろうか。そのハタラキ・その智恵そのものを 見ることができるだろうか。モノが じつは コトであり このコト(コトガラ)をとおして われわれは 理性的に 予感するのである。事後的に 観想しつつ おそらくなおこの《事》の将来にわれわれも見ることができるであろうから 予感するということだと思われる。これら全体のコトとして われわれは 表現じょうこのカミを立てると言っていた。
カミをことさら言う必要はないであろうが このときのわれわれ歴史知性の動態的な・だから過程的ないわば構造は カミを立てる場合も 近代科学的に立てない場合も 同じだと言ってきた。だから われわれは 永遠の今にとどまりえない。もしくは これを予感しうるという意味で 永遠の今という表現をとることは ありうる。しかし アマガケル歴史知性は 自分では予感せずに もしくはむしろたとい小部分でも予感し 自己自身に一たん到来したがゆえに なおかつ ここを去って この《永遠の今》を 人びとの顔覆いとしてのように 説こうとする。
これは まぎれもなく 古事記の精神を先取りしあたかも盗んで 入り日子歴史知性の真実を悟ったがゆえに これを 人びと共同の観念として掲げ 権威にものを言わせて宗教とする。この共同の観念が 日子の光り輝く規範となってのように 罪の共同自治の方式とするのであるから またこの宗教(まつりごと)が そのままやはり共同自治=政治であって 国家なる社会形態を要請したのであるから 言ってみれば 問題は オホタタネコ歴史知性としての原点を 人びとは 自由に智恵をしぼって 吟味し現実の社会のなかに実現させていかなければならない。
ただし国家はそれが確立されてからの再始動の段階では 社会形態や制度としては 残った。アマガケル歴史知性は いちど崩壊した。明らかに死んだ。なおかつこのあたらしい舞台にあって この死をふたたび追い求めてのように アマガケリ アマアガル人びとがいる。そうして その死が死なないようになるのだ。これは 第二の死と呼ばれる。
余計なお節介かも知れないが 議論してみたい。

四つの原則のまとめ

第二段階の国家の時代と これが新しい次の形態へ歴史的に移行することとを 区別するのは 基本的に人間たる歴史知性のあり方なのであって またこの基本しかありえない。歴史知性は かれの所属する社会階級に 泥古・比古としては 母斑をつけてのように制約されつつ しかも 根子・日子としては これから自由でありうる。このゆえであり また 上の基本のゆえに この自由が現実であるのだと考える。舞台は変わるが オホタタネコ原点は 不変である。
われわれも アマガケル歴史知性がそうするように 想像し観想しないわけではないから ことは微妙なのであるが 謎において・鏡をとおして 想像するがゆえに この《今》は動いている。つまり人は 時間的・経験的な存在であり そうでしかない。ゆえに 永遠の現在にとどまりえないし これを 精神主義的に表象し詮索することからも無縁である。
とりあえず この第四原則までが 古事記において――オホタタネコとミマキイリヒコ関連記事とその他の全体において―― 言われていると考える。
四つの原則をいま あらためて表現してみよう。
人は 時間的存在である。この歴史知性は 時間もしくは《わたし》の生起とともに 生じたものである。しかるに 歴史知性たる時間的存在が はじめの世界原理ではない。はじめの世界原理は すでに ここに生じた時間のわたしによる所有・その生きられそのものにおいて 時間の必然に勝利するというチカラ・ハタラキを見出させている。わたしが この原理を分有している。という時間がわれわれに(個人個人に)到来した。

  • じつは すべての思想は このことを前提しているのである。この原理の分有者である人間は 不変の原理そのものではなく それを分有するも なお時間的存在つまり死すべきヒトである。
  • このゆえに ヒトは自己の智恵の同一にとどまる。そのとき 社会が動くであろう。つまり 社会はただちに動かないゆえに 自己の同一から去って行かないなら・すなわち人間の中間性たる善悪の木に頼んで世界原理を転倒させないなら 社会はただちに動かないゆえに 自己の歴史知性の同一にとどまるとき かれにあって 社会が動くと表現する。これは レトリックでもあるが いかなる思想も このレトリックから出発しているであろう。

そして これらすべて いま わたしの中に起こっているのである。起こっているのであるが この 《いま》は 永遠の現在などというものではない。と言うことによって 永遠の現在という表現が 生きる。別様にではない。
永遠の今というのは これも 人間の想像過程ではなく 人間の想像の固定的・原始心性的な産物である。善悪の木のひとつの別様の形態である。歴史知性は 世界原理を想像(観想)するというとき 想像するがゆえに その行為(生)は 時間的・経験的である。つまり 日から日へ変わりゆく。つまり ヒトがじっさい社会的に動く。動いている。
わかりやすく言うと 世界原理そのもの(オホモノヌシ・ヒトコトヌシまた キリスト・イエス)――このチカラ・ハタラキ・智恵・配剤・推進力・時に《歴史の狡知》――を 人は想像しうるも 見ることが出来ない。歴史の狡知として見たものは それは 経験過程をとおしての部分的なモノである。また そのコトである。その意味で 具体的な個々の観想は まだ人間の想像の所産(思想)である。だれが 推進力の智恵とそのハタラキそのものを 心の内なる眼によってしても 見たであろうか。個々のコトをとおして 部分的に知るのである。あるいは予感するのである。

  • 部分的に知って これをとおして 全体たるカミを知ったと表現しうるが わたしが こうだと観想し表現するのであって 《永遠の現在》が わたししているのではない。カミが わたししているとも 言えない。
  • わたしは わたししている そして カミを表象しようとする。それだけである。
  • むしろ 現代でも カミまたは推進力と言ったほうが 説明が分かりやすいときがある。人は 時として世界原理を観想しえたと思うときがあるから そのようにカミあるいは永遠の現在といったことばで 自己の動態を表現しようとする。
  • ただこれは 永遠の現在にとどまりえた・つまり世界をそのように悟ったと思っているときにではなく 日から日へわれわれが動いて 社会的に・歴史的に生きているゆえにであり 生きているときになのである。

以上が 四つの原則のまとめである。

死が死ななくなるという第二の死を避けよ。

ところで問題は ここでも 《日子の能力》の過大視 これへの幻想錯視的な過信ということにある。そのような三つの《木》の互いの位置の転倒にある。言いかえると 《モノの木》と《モノ(モノゴト)の規範たる善悪の木(その理解)》とそして《生命の木》とのあいだの順序(秩序)の倒錯だと思われる。
あたかもこの世の《泥古》たちの闇に あたかも宇宙のブラック・ホールに吸い込まれるかのように 引き寄せられてのごとく 日子の能力(人間の理性の光り)は 曲がってしまいうる。いや時にしばしば 曲げようとすることがあるかもしれない。これの確定は――これが あたかも確定し固定することは―― じつに人間の第二の死であると言われる。
《確定》というのは この人間の曲がった光りによる生である死 しかもこの死が死ななくなることを言う。《第二の死》というのは 人は じっさいあのオホタタネコ原点(いま四つの原則)において いちど《泥古》の母斑の世界から復活し誕生したゆえにのことである。復活したというのなら その前には死んでいたのだから。それが 第一の死であった。
われわれは この第二の死を恐れなければならない。と聞かれた。これが特に 第四原則として 論議せられる。

もっぱら日子の能力によって膨れ上がる《永遠の現在》主義

《永遠の今》の想像裡における確定 つまりもっぱらの日子による精神主義的な確定 それによる停滞 このような第二の死は その向きをわれわれは オホタタネコ原点にあって 変えうる。《永遠の》というのは そう言う人たちが すでに一度 復活したからでないなら なぜであろうか。《今》を永遠視するのは ふたたび死へおもむくことを嫌いこれを避けようとして 永遠をみづからの人間の光りによって求めるというのでないなら なんと言うべきか。
けれども それが ふたたび死へおもむくことになるのだと気づかないとすれば なんとすべきか。これは あの善悪の木を また観念の古墳を共有する日子の光りを カミとしてあやまって信じることでないなら どんな現実であるか。
その日子は 特別のスーパー歴史知性であって 血筋からしてアマガケリゆき輝く天使のようであるとする先祖崇拝およびさらには民族としての自惚れでないなら どんな現実であろう。この過信・肥大を抑えうる歴史知性を持ち合わせているのであれば 少しはその民族性を誇ってもよいかも知れないが。けれども オホタタネコ原点にとどまるというその・現実のスーパー歴史知性のアマガケリに対してからっきし弱いその弱さを誇れとわれわれは 聞いた。 
ミマキイリヒコの社会が 国家という一つの社会形態へ あたかもアマガケルように挙げられていくのは この《永遠の現在》主義なる宗教というチカラによっていると考えられる。これが 《根子‐日子》連関者であるヒトつまりその限りでのミコトから スメラミコトなる人間の像を持ち 抱き 描き(スメラとは 頂点といった意である) しかもこのスメラミコトを――つまりまだ ミコト・人間であるのを―― アマテラスオホミカミとする観念の共同化が 続いた。罪の共同自治のためには ここまでの権威 あらたな観念の古墳が必要であったと主張したい人びとである。そのためには ヒトをカミとした。
これは はじめのオホタタネコ原点が オホモノヌシの神に対する個人の信仰であったとすれば そうではなく その原点からはるかに遠く進んで スーパー歴史知性をアマテラスオホミカミとする・つまり人を神とする幻想とこれを社会的に共同の観念とする幻想のちからを内容として まさに宗教となっている。
《永遠の現在》主義が アマテラス宗教の内容であると思われる。罪の共同自治のために そこまでは必要だという人びとの群れである。
わたしには これは 人間の第二の死へつながっていくように考えられる。天武体制で 一たん みづからを解放し その後なおかつ 制度として国家形態は残され あるいは中央集権体制としては強化されたとするなら その国家アマテラス宗教の噴出する余地は残されていたと考えられる。
天武体制は むしろ救急措置としてでも イリヒコ歴史知性への復帰によって かつこれを目指して 起き上がったものと思われる。その地点で 古事記として それまでのアマガケリの歴史過程を総括し そこに人間の誕生の歴史を 基本的に捉えることに努め これを実現したのではないか。成立の事情である。

河内政権によるアマテラス宗教への動きとその台頭

その後の・あるいはその前の段階の・このようなアマテラス宗教への転化の動きは あの巨大古墳をきづいた河内の政治勢力からもたらされたと考える。ミマキイリヒコの社会の――あるいはいま唐突であるが 神話としてはオホクニヌシの社会の――《国譲り》とは このすぐれて肥大する人間の歴史知性国家へのクニユヅリであったと考えて間違いでないであろう。オホタタネコ原点のこれに対する考え方(共同主観つまり常識)は スサノヲノミコト(かれは オホクニヌシの祖である)として自己の智恵の同一にとどまるということであった。
幻想の日子の能力の膨れ上がりによって あたかも目が見えなくなっているそのアマガケリに対して その人びとの存在じたい(つまり《根子‐日子》連関の主体であること)はこれを愛し その欠陥はこれを憎み かれらをすべからくたすけるべしと 自分と同じような程度には他人を愛した。屈辱にも甘んじ スサノヲらは 人びとを分け隔てなく 愛しつくした。クニユヅリし 須佐之男にとどまり 待つことを待った。
このことは 《永遠の今》という観念的な停滞と この停滞を知らないふつうの歴史知性との関係的な動態である。両者は この世で 錯綜し 入り組んでいる。
つまり みながすでに いちど復活していたのである。復活したゆえに なお第二の死へおもむく勢力がある。

  • これはモノ=有が じっさい 無から創られたゆえにであると説かれることがある。わたしには 残念ながら まだよくわからない。なぜいちど復活しているのに ふたたび第二の死へおもむくのかが。

ミマキイリヒコの社会が――これは 大和の三輪地方にあったと考えられている。また当時 各地にこのオホタタネコ原点なる歴史知性が確立し輩出したと考えられるのだが―― 河内のワケ政権によって 征服され滅ぼされたか あるいは少なくとも のちの歴史の過程に見られるように主導権を奪われたかというのが その具体的なクニユヅリだったと考えられる。

  • 三輪のオホタタネコの信仰(生活)が存続していると見られる限りで クニユヅリをしたという形だと捉えられる。

これを経て 聖徳太子天智天皇のときの国家形成の計画へと そしてまた 天武天皇のときの中央集権的な国家体制の確立の時代へと推移した。いま上に触れた征服というのは――征服の場合に限るけれど 征服は―― 高句麗を建てたのと同じ騎馬民族(トゥングース族)の侵入と 何世代かの同化(土着化)の過程を経たのちの 政権奪取であり国家統一であるという説が出されており 争われている。
この河内政権による征服は その端緒は 五世紀のはじめ(ないし四世紀の終わり)の出来事であると考えられている。その後の流れの基軸としては まず 五世紀の終わりに この河内政権の血筋は絶えたと 仮説として捉らえられる。そのときには したがって 六世紀のはじめの継体天皇(むろんまだ天皇ではなかったが)の擁立による社会形態の確立の歴史が――そしてその性格の規定が―― 争われなければならない。
いまこれをそのままにして措くなら 六百年前後の聖徳太子による中央集権的な国家の構想とその性格 および 七世紀後半の天武天皇による中央集権的な国家体制の確立 これらにかんして 《人間の誕生》の視点から あらたに議論を始めなければならない。
焦点と問題点は これらの歴史的経過の点検のなかで その作業じたいにおいて あの第二の死への動きを摘出すること だからこれの方向を いま  《わたくし》の中で転換すること(そう欲すること) これにあると考えられる。これが いうならば日本人にとっての実質的な人間の誕生の課題であると あらかじめながら 思われる。
この第一部では 形而上学的な議論を交えつつ 追及していきたい。四つの原則を見たとするなら そこから引き出される上のような課題が われわれのものである。これを扱うにあたってのかんたんな見取り図としては 次の表1を掲げたい。いま考察する歴史の範囲としては 弥生時代古墳時代つまり 紀元前三百年から紀元七百年までの千年間 そして形而上学的には 歴史知性の誕生とその社会構造的な具体展開 これになると思われる。

表1 歴史知性の誕生と拡大再回転(構造的な増殖)

縄文時代 | ・呪術的歴史知性
       ↓ ・(原始心性。ヒルコ・ヒルメ / カムロキ・カムロミ)
      300BC
       | ・歴史知性の生起(時間・《わたくし》・社会)
弥生時代 | [クニグニ]   (ネコ・ヒコ・ミコト)
       | [邪馬台国・狗奴国](ヒメノミコト・ヒコノミコト)
       ↓ [葛城]     (ネコヒコ〔ノミコト〕)
      300AD
       | [三輪政権]
       | ・歴史知性の確立
       | ・(オホタタネコ原点・ミマキイリヒコ視点)
古墳時代 ↓  
       |[河内政権] (国家概念)
    400| ・アマガケル歴史知性(もっぱらの日子)
       | ・歴史知性のアマアガリ(スメラミコト)
    500| [継体政権]
       | ・スーパー歴史知性(アマテラスオホミカミ)
    600| [聖徳太子] (中央集権国家の構想)
       | ・アマテラス歴史知性
       | ・(観念の新墳〔アメヒコ・アメヒメ〕)
       | ・オホタタネコ歴史知性はスサノヲノミコトを打ち出す
       | [天武天皇] (中央集権的国家体制の実現)
       | ・柿本人麻呂
       ↓ ・(オホタタネコ原点=ミマキイリヒコ視点の人)*   
・・・・・・・700

  • * ここで統一アマアガリした歴史知性は はじめのアマガケリを成就した。
  • 成就したところで オホタタネコ原点の回復への道を開いた。
  • 人麻呂がこれを受け継いだ。ウタに遺した。

(年代など概括的なものであり また仮説によっている。)

    
(つづく)