アウグスティヌスから
《どうして教会は キリストの洗礼によって洗った足をキリストのもとに辿り着く間に汚すことを恐れるのか という問題》
そこで 教会はこのように言うのである。
眠っていても わたしの心は目覚めていました。聞きなさい わたしの恋しい人の声があって戸を叩いている。
と。そこで 戸を叩いている人は言う。
わたしの妹よ わたしの隣人よ わたしの鳩よ わたしの清らかな乙女よ わたしのために開けておくれ。わたしの頭は露でぬれ わたしの髪の毛は夜露でぬれてしまっている。
と。そこでまた教会は答えて言うのである。
わたしはすでに着物を脱いでしまったのにどうしてまた着られましょう。わたしはすでに足を洗ってしまったのに どうしてまた汚せましょうか。
(雅歌 5:2−3)と。おお 何という驚くべき秘蹟(サクラメントゥム)!おお 何という大いなる奥義(ミステリウム)であろうか!教会は ご自分の弟子たちの足を洗ったかた(キリスト)のところにいくために その足を汚すのを恐れているのであろうか。たしかに教会はそのことを恐れている。なぜなら 主は地上におけるご自分の〔宣教の〕計画をお捨てになっていないので 教会はいまだ地上にいたもう主のもとへと地上を通って行かなければならないから〔教会は足を汚すことを恐れているの〕である。
(《アウグスティヌス著作集》25=アウグスティヌス著作集 (第25巻) ヨハネによる福音書講解説教3 日本語対訳 ギリシア語新約聖書〈4〉 ヨハネによる福音書13:6−10についての第57説教〔2〕)
よくわからない。検討のため掲げておく。