caguirofie

哲学いろいろ

人間が変わる。〜甘え

もくじ→2005-03-13 - caguirofie050313
三月十九日の同じ主題の記事のあと これを書く。高倉輝《印度童話集》のなかの話を大岡信の本から 引用しておく。

誰が鬼に食われたのか
ある旅人が道に行き暮れて 原のなかの寂しい空き家で一夜を明かしました。
夜半過ぎに誰だか外からその空き家へはひって来るものがあります。見ると それは一匹の鬼で 肩には人間の死骸を担いでをります。はひって来ると どしんとその死骸を床の上へおろしました。すると その後からすぐまた一匹の鬼が追っ駆けて来ました。
《その死骸はおれのだ。なんだってお前持って来たんだ。》
《ばかをいへ。これはおれのだ。》
たちまち二匹の鬼は取っ組みあって大喧嘩を始めましたが ふと先に来た鬼が
《待て待て かうして二人で喧嘩をしたって始まらない。それより この人に聞いた方がよいぢゃないか。》
といって そして 旅人の方を向きながら
《この死骸を担いで来たのはどっちだ。おれか それともこいつか。》
と 聞きました。
旅人は弱ってしまひました。前の鬼だといへば 後から来た鬼が怒って殺すに相違ない。どっちにしても殺されるくらゐなら 正直にいった方が好いと思ひまして
《それはこの前に来た鬼が担いで来たんです。》
と いひました。
すると 果して後から来た鬼が大いに怒って 旅人の手を掴まへて体から引き抜いて床の上へ投げつけました。それを見た前の鬼は すぐに死骸の手を持って来て 代りに旅人の体にくっつけてくれました。さういうふうにして 後の鬼が旅人の脚から胴から残らず引き抜きますと すぐに前の鬼が一々死骸の脚や胴や頭を持って来てつぎ足してくれました。さうして旅人の体と死骸とがすっかり入れ代ってしまひますと 二匹の鬼ももう争ふのを止めて 半分づつその死骸を食って口を拭いて行ってしまひました。
驚いたのは旅人です。自分の体は残らず鬼に食はれてしまったのです。今の自分の体は実はどこの誰ともわからない人の死骸なのです。今かうして生きてゐる自分がいったいほんたうの自分であるやらないやら更にわけがわかりません。やっと夜が明けて来ましたので 狂気のやうに走って行くと 向ふに一軒のお寺が見えました。さっそくその中へ飛び込んで 息せき切って そこの坊さんに聞きました。
《私の体はいったいあるのかないのか どうか早く教へて下さい。》
坊さんの方がかへって驚いてをりましたが やっと昨夜の話を聞いて合点が行きました。そこで 坊さんが申しました。
《あなたの体がなくなったのは 何も今に始まったことではないのです。いったい 人間のこの〈われ〉といふものは いろいろの要素が集まって仮にこの世に出来上っただけのもので 愚な人達はその〈われ〉に捉へられていろいろの苦しみをしますが 一度この〈われ〉といふものが ほんたうはどういふものかといふことがわかって見れば さういふ苦しみは一度になくなってしまふものです。》