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哲学いろいろ

自己欺瞞(la mauvaise foi)

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J.-P.サルトルの《存在と無》の中に 次の一節があった。

嘘をつく人の理想は 自分では真実を肯定しながら 自分のことばにおいてはそれを否定し さらに自分自身に対してはこの否定を否定する そういうシニックな意識であるといえよう。
(第一部 無の問題 第二章 自己欺瞞 Ⅰ 自己欺瞞と虚偽。松浪信三郎訳)

 サルトル自身の議論は 別に考えるとして いま この文章だけを取り出してみると それはそれで 面白い議論ができると思われた。日本人の世間とのお付き合いの形式が この文章をとおして 浮かび上がってくるように思われる。あたかも 次のようである。

人付き合いがよく 人望の厚いひとというのは 自分では真実ではないと否定しながらも 〔どこかに少しでもそうでない部分を探し出し〕 自分のことばにおいてはそれを肯定し さらに自分自身に対してはこの肯定を否定する〔ことによって 自分の初めの認識に還える〕 そういう和の精神の持ち主であると言えよう。

 ちなみにサルトル自身の議論では この例は 《自己欺瞞 la mauvaise foi 》のことを言っている。原語は 《悪しき信仰》という意味である。
 さて 議論は いかなる方向へ向かうのか。どんなものであろうか。果たして 実際 そういうことなのであろうか。あるいは 論理的に言えば そういうことであろうが 実際の社会生活では そんな見方をすることのほうが シニックであるというべきだろうか。どうだろうか。
(つづく かも分からぬ。)