caguirofie

哲学いろいろ

(第二章・中1)

もくじ→[小説]夏安居#1(第一章・上) - caguirofie041017
[小説]夏安居#3(第二章・上) - caguirofie041022よりの続きです。)
 船の中には バラモンからシュードラまであらゆる階級の人間が いた。〔と以下すべて ナラシンハの語ったことがらである。〕しかし 食事が バラモンの料理したものでなければ 皆が食べるのに具合いが悪いことなどを除けば  《その人》の考えに従って 海の上では みな 自由に振る舞っていた。(もっとも それが 特に海の上だけの単なる習慣としてそうしていると思われる節は あった。その使い分けについて だれも 特に詮索することもなかった。)
 ほかに同じように気のよい異国人 ペルシャ人がひとり 乗っていた。かれは 祖国のペルシャが 近年 非常な勢いを得て かつてのソロモン王の宮殿のエルサレムまでを征服し さらに《紅い海》あたりまで その領土を伸ばしていたので 鼻が高いのであった。《その人》の取引のよき案内人であり またメソポタミアからガンガー流域のインドの言葉にまで広く通じていた人物である。
 《その人》は 《海へ》と言ったときに 生まれ(ジャーティ)も 業(カルマン)も棄てて海へと言っていたのだが しかし だからと言って 信仰を排斥したわけではなかった。
 海の上の日没の光景には ひときわ敬虔な心を芽生えさせる時間がある。放蕩の輩にも 心の奥深くに沈もうという時間が 来る。人は 人里をたとえようもなく離れたときこそ もっとも人に近いというのは 真実である。そんな思いを抱かせる船の上の夕べの勤行のなかに 列なるのだ。
 祈りをもって神に呼びかけるのは バラモン(博打打ちの老いた男であった)の役目であった。

・・・
われより罪を 帯紐のごとく 解き弛めよ。
われら願わくは ヴァルナよ なが天則(リタ)の泉を 助長せんことを。
思想を織るわが糸の断たるることなかれ。
工匠の規矩の 時 満つる前に 毀たるることなかれ。
・・・      (リグ・ヴェーダ讃歌 (岩波文庫))

ソパーラの港を発って 季節風に乗って 数日と数夜を経れば もはや一隻の船の生死は ソパーラの町の知ったことではない。けれども 実は そんな思いに対しても 船の上の者たちはおれ自身を含めて どこか喜びに似た気持ちを 確認していることがわかった。おれたちが ほんとうに海の男であるのか必ずしもはっきりしないが  まさに倣岸ではあった。祈りが続いた。

・・・
われより 恐怖を隔離せよ ヴァルナよ。
天則を保持する大王よ われに擁護をたれよ。
子牛より綱を解くごとく われより 困厄を解き離せ。
汝を離れて げにわれは まばたきすることすら なしえず。
・・・      (リグ・ヴェーダ讃歌 (岩波文庫))

夕刻の祈りは 長く続いた。そして時に 《その人》は おれたちに語るともなく その思いを詩にして 口ずさんでいる。おれたちは ひそかに覚えて暗証した。

何とて われ驕らむ
甲斐なき命を
家満ちて われ空し
きみ いまさずば
わが日日の業 沈み行く
己が底無しに
黄昏の勤行
徒ならざれ
ひれ伏さしめよ われを きみの
足許に
・・・
わが頭 垂れさせたまへ きみが
み足の塵のもと
わが高慢(たかぶり)は 残りなく
沈めよ 涙に
わが身を もし誇りなば
わが身を ただ卑しくす
おのれを ただ包み隠して
惑ひて 止まず
沈めよ 涙に
・・・     (Thakur

タゴール詩集―ギーターンジャリ (岩波文庫)

タゴール詩集―ギーターンジャリ (岩波文庫)

        *

 しかし 船の中でもっとも敬虔なのは 異国人のペルシャ野郎だった。一日五回の決まった祈りのほかに かれは たとえば排便のときにも わざわざ佩剣と帯とをはずし 聖衣に着替えて 祈りを捧げている。はじめは かれがそんな儀式を 楽しんでいるのかと いぶかってみたが そうではなく 毎回かれは 意志によって おこなっていた。かれは 火の神をもっとも崇めていたが 契約の神ミトラなど おれたちのバラモンが伝えたのと同じ神々をも讃えていた。そんなふうだったが かれは 信仰の面において船の上で ひとりでひとつの社会を形成していた。おれは実際 その強靭な敬虔さに打たれたのであった。
 ただおれたちの願いは おれの自我(アートマン)を 神々のもとに還えすことではなかった。しかも 自我には 実体などないのだというのが おれたち 《その人》の考えの影響を受けた者の気持ちだった。

     *

 おれが 山を降りてそんな人生に入ったあと ある年 季節風が 海のほうへ西のほうへ向きを変えて吹き始めるころ ある日 《その人》のもとへ 貿易仲間の伝をつたって 遠国から ある商人が訪ねて来た。そして《その人》は すぐさま その商人の伴をして ペルシャまで旅に出るから準備をせよと言い そうしておれにとっては 都合 七度目の航海がはじまったのであるが この遠国のシュラーヴァスティからやって来た商人が たまたま《その人》に かの地方の《ある沙門》のことを話しに 紹介したのであった。

     *
(つづく→[小説]夏安居#5(第二章・中2) - caguirofie

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