人間と社会の基礎理論――基礎(構造)――
スサノヲとアマテラスの物語 もくじ
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人間と社会の基礎理論 もくじ
- 《スサノヲ(S)−アマテラス(A)》連関
- 共同主観と共同観念
- 記憶・知解・意志(愛)
- 概念・用語の整理
- スサノヲイズム・インタスサノヲイズムおよびインタムライズムへ向けて
1 《スサノヲ(S)−アマテラス(A)》連関
人間は 《スサノヲーアマテラス》連関主体であると思います。
《スサノヲ(S)》とは 《市民》を言い 《わたくし》の領域です。
《アマテラス(A)》は 《公民》《おほやけ》の領域です。
強いて分ければ S者(S領域)は 《精神》なるA者(A領域)に対して 《身体》です。S者なるわたくしの身体の運動は 一般に社会的な生活の中で 自己のA者なる精神によって 記憶され知解(了解・意識)されまた 記憶にもとづき 知解されたものごとを 人はこの身体の運動とともに 意志する。
いまここまでにおいて 《S−A》連関は 《身体ー精神》および《市民ー公民》のそれぞれ連関構造となります。
わたしたち一人ひとりが 市民であることにおいて 公民の領域を兼ね 公民としての役割を普通に果たすのですが 社会のなかで 外形的に・職務として 公民の役割を担う者も 制度として 存在します。いわゆる公務員として《もっぱらのA者》でありこれは 《アマテラス社会科学主体》のことです。
これに対する概念は 《スサノヲ社会主体》です。一般の市民としてのスサノヲ社会主体は むろんそのままA者・公民でもあります。ここで 差し支えない限り 一般の市民を 単にスサノヲと言ったり 従って もっぱらの公民のことを アマテラスと簡略に呼ぶこともあろうかと思います。
次に初めに帰って S者が 身体の運動をその基礎とし A者が特には S者に対するかたちで 精神を表わすとすると このA者は S者〔のさまざまな運動過程つまり一般に社会生活〕のなかから抽象されて ある種の普遍的な概念をかたちづくるものと見られます。これを わたしたちは アマテラス概念 A概念・A語・A語客観などと呼ぶことができ これに対する意味では S者は 主観であり 人間語です。
主観というとき すでに 身体は精神と連動し わたくしは精神を伴っているとは思います。十全な意味での主観ないし主体とは やはり《S者ーA者連関》なる一個の存在です。
- すでにここで 客観は 主観に対立すべきものではなく 主観の中にあって主観により把握されたものであり 主観から表現(=外化=疎外)されたときにも それを主観・主体が 用いるべき概念だということに注目しておくことができます。なお のちに述べるように このA語客観が 自己からまさに疎外されたかたちの概念は ことに観念であると見ます。ないしは それが初めに一応 客観であったことより 共同の観念であると です。
- 主体的な生きたA語客観は 主観として殊に 共同主観(common sense=常識)と考えます。より正確には この常識=共同主観は 生活ないし行為そのものを言うほうがふさわしく これをA語客観でとらえたものは その何らかの思想的な形態または理論というほどの意味です。
主観が 社会的に共同化されて 共同主観となるばあいには このように S者がA者(A語・A概念)をとおして 生活の共同性を見ている・きづいているということであり この共同性が 協働性を含むことは 言うまでもありません。
2 共同主観と共同観念
さらに――いま このように ここで用いる概念の整理をなしているのですが―― このA者(A語・A概念・A語客観)は それだけが取り出されるときには 精神をちょうど言葉によってのみ捉えたというように すでに触れたように単なる観念ないし観念的な現実というまでのものになりえます。たとえば 《和(やわらか)》とは まず肉眼でとらえられうる・そして感性で理解されうるモノ(質料)あるいは身体(質料より成る)のそのような一つの属性である。しかるに 《和を以って貴しと為す》というときの《和》は これを言葉(そしてある種のおきて)じたいとして取り上げるなら 観念であり共同観念であります。それは S者・身体の運動から切り離しても 語られたり論じられたりするから。つまり 抽象的でもあります。
したがって 初めに 素朴にあたかもムラ(村)イスムなる共同の生活において この《和》が 主体的に・つまり《S者ーA者連関存在》の行為をとおして 過程的・現実的に見られるとき それは すでに言った共同主観であり また これが ある種の仕方でこれらの現実から切り離されて 掟・道徳・律法などとして 論じられ規範的にも訴えられるとき それは 共同の観念 観念の共同性 つまり 共同観念をつくりあげることが 可能です。この別種の《常識》は あたかも第二次的な・仮象的な共同主観であり たとえば《ムライスム》と名づけられる以前に存在する常識が 感性的で・かつ主体的な共同主観であったとするなら このムライスムと名づけられた語・概念・客観じたいが 共同観念ということになるでしょう。
共同主観は より一層 S者市民的であり これに対して共同観念は A語客観的であることによって ムライスム(《和》)あるいは ナシオナリスム(《大和=やまと》)といった次元で 社会的しかも 必ずしも感性的でないことによって 観念的そして時に幻想的となりえます。観念的・幻想的な共同性が 感性的でないと言っても あたかも慣性の法則によってのように 情緒的・情念的となりえないとは言えないのですが。もともとは S者・スサノヲ語に発しているのですから。もっとも 第一次的な・生活日常的なスサノヲ者の寄り集まるムラ〔イスム〕の次元での 感性的なつながりと そして 第二次的でより多く非日常性の機会に接するナシオン(ナシオナリスム)の次元でのそれとは 基本的に異なる。つまり 後者での感性的なつながり(たとえば愛国心)は むしろ スサノヲ者の感性とは 一旦 基本的に切れているから そのナシオナリスムといった共同の観念が すでに外から・または上から 一人ひとりのスサノヲ者に おおいかぶさっているというようなしろものです。また 第一次の共同主観を その第二次的なものである共同の観念の中で 理念的に――つまり A語客観精神においてということですが――保ち これを表現したものが 憲法をはじめとする法律であるかとも思います。これは 共同観念である限り やはりおおいかぶさって来るものにちがいないのですが 理性的に――つまり精神的にということですが――スサノヲ者の内面において ほぼそのまま 見出されるそれであるということになるでしょうか。
3 記憶・知解・意志(愛)*1
身体の運動・S者に対する A者・精神のうちの《記憶〔行為〕》は 言わばわれわれの精神の秩序 存在の内なる組織であります。同じく《知解行為》は 記憶に基づいてのように ものごとを知解する すなわちそれはそのまま 労働・生産行為へとつながってゆくものと思います。社会的な生活のなかで これらが働くとまず初めに見たのですから。何を・どのように生産するかそして生活するかは 同じく第三の行為能力である《意志》に基づくでしょう。精神の秩序たる記憶行為に基づいて 意志はまず 自己の愛ないし他者の愛(愛とは 自治・共同自治がそれ)であり 労働・協働の場においては それぞれの《自己の愛》の共同意志というほどに 経営行為につながるでしょう。また《記憶》の共同性は この生産・経営の態勢(会社)における組織行為にかかわります。
記憶し知解し意志する《S−A連関主体》は――もし経済活動が 現実の生活の土台であるという限りでは―― このように《組織−生産−経営》の共同(協働)性の場で 先の共同主観を形成しつつ また 第二次的に〔あたかも この初発の共同主観の古くなったものの残像 その社会なる鏡に映ったA語概念たる古い掟といったように〕共同観念(いわゆる前例・先例)を ある種 不可避的に持ちつつ 従って言い換えると 新しい共同主観と旧い共同観念との葛藤のなかで 生きることになります。
新しい共同主観は 一般に S者・市民の中から生起します。共同観念を保守しようとするのは 一般に公民たるA者です。なぜなら そのようにそれぞれ生活しているのが S者であり A者であるから。そこで この区別のかぎりでは 社会形態は S者の共同体である市民社会と A者の共存圏である狭義の社会形態とから成り立ち それぞれ S圏(スサノヲシャフト)とA圏(アマテラストゥーム)というふうに呼ぶことにしたいと思っております。
そうしていま《スサノヲ−アマテラス連関主体》たる人間について考えるとき これらの分析用語は その種々の相において 次のような概念的な構図を持ったと見うるでしょう。
4 概念・用語の整理
概念整理 1
- 《スサノヲ−−−−−−−−アマテラス》 連関主体
- Susanowo(Susanoh)−−−−Amaterasu
- S者・S語(人間語)−−−−A者・A語・A語概念
- 身体・感性−−−−−−−−精神(記憶−知解−意志)
- 《わたくし》−−−−−−−−《おほやけ》
- 市民(homme/bourgeois)−−公民(citoyen)
- 社会主体−−−−−−−−−社会科学主体
- 政治経済主体−−−−−−−政治経済学主体
- 象徴としての国王・元首はアマテラシテAmatérasité
概念整理 2
- 《 スサノヲ−−−−−−−−アマテラス 》連関形態
- 国家:イエ・ナシオナルihé national ; 社会形態:キュリアコンkuriakon(church)
概念整理 3
スサノヲ( S )・・・・・・・・・・・・・・・・アマテラス( A )
身体(感性)〔の運動〕・・・・・・・・・・精神・概念(記憶・・・・知解・・・・・意志 )
《S−A》連関の主体・形態
5 スサノヲイスム・インタスサノヲイスムおよびインタムライスムへ向けて
- スサノヲイスム:自治(個体の自己経営・愛)およびそれを基礎とする社会
- S圏主導(民主主義)による《S圏−A圏》連関の社会
- インタスサノヲイスム:愛
- インタムライスム:国境を超えたスサノヲイスト市民社会連合
(未完)
(photo=出雲大社)
*1:アウグスティヌス:アウグスティヌス三位一体論において 《記憶・知解・意志》は 人間なる一つのペルソナのうちに一体となってはたらく三行為能力であり これは 父・子・聖霊なる三つのペルソナが一体であり一つの神であるという三位一体に いくらかは似ていると説かれる。