caguirofie

哲学いろいろ

#6

もくじ→2008-04-22 - caguirofie080422

第一章 《生産》としての政治行為

7 《神》のいないもとでの政治行為(その三)

スサノヲの側において 従って それと対立する関係にあるという意味では アマテラスの側においても その両者の関係が―― 一段落としてではあろうが―― それぞれの広義の生産行為(その関係)として確立して安定するのは すでに触れたように スサノヲが 別の地方に定住することができたということによってであった。という一面をも見ることは 上に見た価値自由的な もしくは 歴史自由的な 社会の生産行為としての完結は じつは ある意味で 一面的なものであって その両者の実存的・経済的な対立は 案外 根が深いと言わなければならないかも知れない。
このことは 重要であり ここであらためて取り上げたいと思うのであるが ただ 前言を翻すべき事実であるとも 思われない。なぜなら 種としての社会の(つまり個人としてでもなく全体の類としてでもなく 部分的な単位体としての社会の) 生産行為にかんする完結は やはり そのつど成っていると言うべきであって しかもその種としての完結=揚棄は 《種として》でることによって その反面で つねに――つまり その乗った手の平から 羊がふたたび一匹二匹とこぼれ落ちるかのように―― やはり種としての矛盾が 生起しているというものであるだろう。

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