caguirofie

哲学いろいろ

#90

もくじ→2005-05-13 - caguirofie050513

第二部 唯物史観への批判

第七章 理論としてのキリスト史観(3――前提をさらに理論化したものを さらに愛する 言いかえると 愛からの理論)

第六節a まとめ――蝶はもはや蛹の時代を思わなくなるであろう――

理論を愛する・ないし愛からの理論として 以上はわれわれのそれです。
第一部・第二部の全体を閉ぢるにあたって 概観します。
まづ繰り返して述べれば キリスト史観は 不在なものの現在として 主観の内に存在し そしてそのとき 明確な知解行為・理論となっていなくともよい。キリストを生きるという人間・史観が そのすべてである。要するに それは 目に見えるかたちで存在しないであろう。

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