caguirofie

哲学いろいろ

#74

もくじ→2005-05-13 - caguirofie050513

第二部 唯物史観への批判

第六章 理論としてのキリスト史観(2――前提をさらに理論化する)

第一節c 理論としてのキリスト史観は つねに工事中である

史観が 自己の主観形成として つねに過程であるとするなら 理論がそれとして工事中であるというのは 当然のことである。過程であるというのは ただし 均衡状態であるとか循環する過程であるとか あるいは一般に共同観念に唱和する無常観ないし停滞的な過程であるというものではなかった。ここに寄留し滞留すると捉えた。

続きを読む