caguirofie

哲学いろいろ

Le golgotha ou calvaire

est une colline à l'extérieur de Jérusalem sur laquelle les romains crucifiaient les condamnés. Golgotha est la forme grecque pour le mot araméen "gulgota" signifiant crâne. Son nom vient surement de la présence d'ossements et de crânes. On lui donne d'autres noms tel que Calvaire [(Calvarium) en latin] ou Kraniou Topos [(Κρανιου Τοπος) en grec].

イスカリオテのユダ小考(つづき・その4)

2006-12-06 - caguirofie061206よりのつづきです。

ユダは裏切ったのかという問い返しから

いや 断じて ユダは ほかのペテロらのような腰抜けの弟子ではなく 信念の人でもあり それどころか イエスによって ただ一人 その真意を理解する者として遇されていたという方向が現われたものと推し測ることができる。この推測は 不自然でも 無理やりのものでもないであろう。

intermezzo

ここまで来て まだ前提事項に言い残しがあった。
というと 本論に値打ちをもたすために引き伸ばしているようだが 逆に ここは もったいぶってみよう。というのは これら前提事項をしっかりおさえておくなら もう本論は あまり必要ないほどであるかも知れない。じっさい 今の段階では 本論の成案があるわけでさえないので そう告白しておいて さらに 幕間のお話をさせていただく。


二つのことがらが 気にかかっている。そのことに 気づいた。

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#12

もくじ→2006-11-26 - caguirofie061126

価格の決定への一つの見方b

人は 労働の売り買いをしているわけでなく ましてや 労働力を自己を 売り渡したわけではない。そういう一面を 文学的に強調して 表現することはできるとしても。
経済学は たしかに文学を一つの基軸とするとはいえ 同じ行き方ではないし 同じ行き方においてのみ科学的に深く分析・解剖してみせればよいのでもない。《はじめ》では その基本的な側面では 人間の存在としての労働力ないしその労働行為を 社会的な協働の場へ 投入したというにすぎない。だれもがわかっていることなのであるが はっきりとさせて この出発点に立たなければいけない。価格の決定は それからである。もちろん 同時進行である。

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