caguirofie

哲学いろいろ

#36

――やしろ資本のおもろ――
もくじ→2006-09-17 - caguirofie060917

第四章 ゑけ あがる三日月や

第七のおもろ 後史はよみがえり

御嶽は かつて葬所であった。また 葬所に利用された海岸洞窟の底を通って死者や神は ニライと現世を往来すると仲松弥秀氏はいう(〈神の住所〉《神と村》)。この海岸洞窟と御嶽のつながりは氏の説からはあきらかではない。・・・とはいえテラとよばれる洞窟の拝所を擁する御嶽 また大地の根を表象する岩石を神の憑り所とする御嶽も少なくない。
ニライ(時に空間的なおぼつ――引用者)から迎える神あるいは ミセセル(託宣詞)にうたわれるニライセヂの 御嶽へ至る通路 祭の際 御嶽内でのおこもり 聖泉での潔めを経て神として示現し また御嶽にもどっていく神女 さらに御嶽を経由して神となった女の話などを考え合わせれば 御嶽内に他界への入り口があり 女がそこを通って他界と現実界を往来していたという神話的回路を描くことができるように思う。・・・
記紀における地下の世界 根の国の構造をあきらかにした西郷信綱氏の次のような指摘は 琉球の御嶽を考えるさい示唆的である。

古代人のコスモロジー(宇宙観)において  洞窟はあの世への入り口であると共に この世への新たな誕生がなされる聖所でもあった。
西郷信綱:〈黄泉の国と根の国〉《古代人と夢 (平凡社ライブラリー)》)

(倉塚曄子:〈《古事記》――神話研究展望〉《岩波講座 文学》10)

前節・第六のおもろに述べたところで タカマノハラのヒトコトヌシは 神であり しかもその形態化・しるし・文字は殺し 同じヒトコトヌシとしてのオホモノヌシなるセヂが 生かすと考えた。つまり 人間オホタタネコにこのセヂが宿ると考えたが――それらはすべて 人間がヤシロ資本の主体であるというほどの意に還元されて差し支えないが――  問題はやはり 前史から後史へ変えられるという動態にある。

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