caguirofie

哲学いろいろ

#8

もくじ→2006-08-13 - caguirofie060813

《霞霏微》(その二)

われわれは したがって次に 《子》や《妻》の語が織り込まれた他の歌に逃れねばならない。

等我手乎巻〔向山〕
今朝去而明日者来牟等云子鹿旦〔山〕
等名丹関之宜朝〔之片山〕

《子らが手を巻き‐子等我手乎巻》には 当然のことながらまず 《なづみ来めやも‐名積米八方》の主題が考えられるが 《妻》にも同じこの生活・家庭をとおした主題が語られているのだろうか。
《今朝帰って行って 明日はまた来ようと言った人の妻》(大系)あるいは 《少女の名に 懸けて呼ぶのにふさわしい朝妻》(大系)とは何か。何も言い表わすことはないのか。つまり この初期万葉の時代にもすでに その原義はほとんど薄れて ただ序詞として 次の句の趣旨を言い出すためにのみ用いられたものなのだろうか。

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