caguirofie

哲学いろいろ

#22

――源氏物語に寄せて または 観念の資本について――
もくじ→2006-07-08 - caguirofie060708

章二補 《観念の資本》小論Ⅱ ――夕顔の系譜としての浮舟論――

これに対して 共同主観の優位な社会では どのように考えるか その点から入って次に継ごう。
いま 対関係における選択(したがって 約定)の自由は つねに市民社会の生産行為関係が 何らかのかたちで
解消されたとき初めて 現実のものとなると見るのは 唯一神体系にもとづく共同主観の立ち場である。それは 対関係を基軸に据える市民社会学とは違って 総体としての社会科学の立場でもある。また 生産行為の関係とは 各社会階級という狭義のナシオナリテの 経済的側面の 複合性を指して言っている。

したがって 婚姻貞潔の完全な自由な 資本主義的生産とこれによってつくりだされた所有関係とが除去されて いまでもなお配偶者の選択にきわめて強い影響をおよぼしているすべての副次的な経済的配慮がそれによってとり除かれたときにこそ はじめて一般的に達成できるのである。
そのときには 相互の愛情以外に もはやどんな動機も残らないのである。
エンゲルス家族・私有財産・国家の起源―ルイス・H・モーガンの研究に関連して (岩波文庫 白 128-8) 第二章)

われわれは さらに進んで 巻五十四・夢浮橋の最後に到る。

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