caguirofie

哲学いろいろ

DA VINCI CODE etc.

la fémininité & Augustin

アウグスティヌスも 男女の区別はしている模様である。

しかし 使徒(=パウロ)が 女ではなく男が神の似像である(コリント人への第一の手紙 (聖書の使信 私訳・注釈・説教) 11:7)と言うのは 《創世記》で

神は人間を創られた。神の似像によって人間を創られた。彼らを男と女に創られ そして彼らを祝福された。
旧約聖書 創世記 (岩波文庫)1:27)

と書かれていることに どうして矛盾しないのか 見なければならない。たしかに《創世記》は神の似像によって人間の本性そのものが造られたと語っている。この本性は両性の中に完全に存在しており したがって神の似像について理解すべきとき女を分離していない。聖書は神は人間を神の似像によって創られたと語った後で 《神は 人間を男と女に創られた》と付加する。あるいは別の区別によって 《神は彼らを男と女に創られた》と語る。それでは 使徒をとおして 男は神の似像であるから頭に蔽いを被るのを禁じられ 女は神の似像ではなく したがって頭に蔽いを被るように命じられている(コリント人への第一の手紙 (聖書の使信 私訳・注釈・説教)11:7-10)と聞くのはどうしてであろうか。

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#21

――ボエティウスの時代・第二部――
もくじ→2006-05-04 - caguirofie060504

§3 バルカン放浪 ** ――家族論―― (21)

本章は 前章につづいて《バルカン放浪》と題した。ここでは テオドリックが 種族ごと あらためてマケドニアの地に定住してからの後の バルカン放浪の期間をあつかう。
この放浪がやむのは テオドリックがようやく ついに意を決して 〔西〕ローマの支配者オドアケルの征討を目的として イタリアに かれの人生における第三の旅を敢行するときである。従って この第二のバルカン放浪期は そのあいだの時代 つまり テオドリックがゴートの王として立った二十二歳の時から三十五歳になるまで 四七四年から四八七年までの十三年間である。
この放浪の期間は 充分にながいと思われるが テオドリックは いったい何をしていたのであろうか。

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