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哲学いろいろ

St Arailles

Pays d'Astarac - Gers: cet ancien castelnau du XIVe siècle est aujourd'hui un charmant village agricole et résidentiel perché sur un petit promontoire en coque de vaisseau renversé, conservant de nombreux vestiges de sa splendeur d'antan, notamment des restes des anciens remparts, avec deux portes, une tour, l'église à clocher pignon, avec porche adossé à la façade, datant du XIXe siècle, et la chapelle du cimetière, le tout constituant un ensemble cohérent et pittoresque. On admirera les petites maisons serrées le long d'une rue centrale allant de porte à porte et menant à l'église.

ダ・ヴィンチ・コード

『ダ・ヴィンチ・コード』 (4) - 死海文書とマグダラのマリア : 世に倦む日日より引用します。ダヴィンチ・コードの評論の中で論じられたものです。

  • 『民族の世界史(8)ヨーロッパの原型』、この本の中の谷泰の『キリスト教とヨーロッパ精神−とりわけ女性的性をめぐって』より引用された箇所です。

ところでこのようなキリスト教正統派成立期に、ひとしくイエスについて語ったある文書のうちに、次のようなものがあるということを知るとき、われわれはひとつの驚きを禁じえない。

シモン・ペテロが彼ら(イエスの弟子たち)にいった。「マリハム(マグダラのマリア)は私どものところから去った方がよい。女は命に値しないのだから」。イエスがいった。「見よ、私は彼女を連れてゆく。私が彼女を男性にするために。彼女もまたお前たち男性と同じ霊になるために。なぜなら、どの女も、自分を男性にするならば、天国に入るのだから」(『トマスによる福音書』語録番号114)

もちろんこれは、聖書の正典のなかに含まれているものではなく、いわゆる聖典外典、非正統なものとして除外されている『トマスによる福音書』のイエスの語録の一文である。この福音書は、三世紀の教父たち(中略)によってその存在が語られつつも、その具体的内容が、二十世紀中葉まで明らかにならなかったのだが、エジプトのナグ・ハマディで発見されたいわゆるコプト語グノーシス文書のなかに、この『トマスによる福音書』も含まれていたために、陽の目をみることになったものである。(中略)

ところで同じくナグ・ハマディ文書のなかには、他の外典福音書といえる『ピリポによる福音書』というものがある。(中略)しかも『ピリポによる福音書』のイエスの言行について語った他の部分には、およそ正典の福音書では想像できない、イエスの行状が語られている。

三人(の婦人)がいつも主(イエス)とともに歩いていた。彼の母マリアと彼女の姉妹と人びとが彼の伴侶と呼ぶマグダラ(のマリア)である。なぜなら(マグダラの)マリアは、彼の姉妹で彼の母で彼の伴侶だからである。
(『ピリポによる福音書』福音32)

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#20

――ボエティウスの時代・第二部――
もくじ→2006-05-04 - caguirofie060504

§2 バルカン放浪 * ――または 孤独―― (20)

これは ややこしい議論である。・・・


議論を中断したかたちで 角度を変えて論じておこう。
愛欲の複岸性に 基軸を置いた形での孤独関係の中にあるテオドリックでさえ その道を突き進もうとしたところの――その外的な展開としての―― 一元的な企業論すなわち皇帝論と かんれんさせて。――

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