caguirofie

哲学いろいろ

M.クンデラ

存在の耐えられない軽さ

存在の耐えられない軽さ

  • 全〓部のうち 第〓部まで読んだ。まるっきり意味がわからない。
  • はじめ トマーシュとテレザの二人が主人公かと思っていたら かれらと三角関係にあったサビナのほうが 主要な登場人物であるようになってきた。かのじょの生き方について 《存在の耐えられない軽さ》ということが言われているのだとわかった。(初めには わけのわからないトマーシュについて 言われているのかと考えられた。)
  • で 作者は なにを言おうとしているのか。ある種の《悪女》論か。それだとすれば ありふれた話である。
  • まだ途中である。この本のよさをおしえて欲しい。

読了後に

  • 第〓部では トマーシュとテレザが死んだというのだから 主人公が サビナに交代したのかと思った。そうではなく その死を伝えたあとも ふたたび以前に遡って 二人のことが語られる。つまり あくまで 二人が 主人公であった。
  • 日本語訳に限っての話であるが この作品の出だしと 最後の第〓部(歳はまだ取っていないが 晩年の時期)とでは その文章から受ける印象は まるっきり違う。初めは なんて読みづらいものかと感じた。あたかも 作者は 一文ごとに 作品を終えようとして書いているのではないかとの印象である。一文を書いたら そこで物語りは終わりとするかたちである。ともかく そういう感じを与えている。
  • それに比べると 最後の部分は なんとも なめらかな文章の運びだ。それこそ川の流れるように トマーシュとテレザとの田舎の生活が描かれている。うって変わって心地よい。
  • (わたくしは 自身が悪文だが 理解すれば なるほどと納得してもらえる文章だと思っている。このクンデラの 最初の部分の文章は そのまま 本を放り投げてくれと言っているかのようである。かつ 文章を理解しても たいした内容はない。)
  • トマーシュは 浮気症というよりは セックス依存症である。作者に言わせれば 強いのだそうだ。だが そんなことを書いても なんにも成らない。一人の妻と毎日 何十年にもわたって 睦みあうという強さを書いても つまらない。それと同じだ。
  • トマーシュとテレザは 結局は おおまかに言って 似合いの夫婦であるかのように 事態が進展した。それも けっこうという受け取りである。そのような結末に至るまでの二人の人生を描いたといえば そうなのだろうが あまり 印象深くはならない。
  • 全体主義の社会 管理され監視を受けた生活 これが 背景にあるのだが もしこのようなチェコの国の問題をあつかうというのなら もっと そこに焦点をあてて しっかりと書けと言いたくなる。その描写では 理屈が先行していると思う。
  • 哲学だそうだが それなら 今度は 論文として しっかりと書いて欲しい。論文を書いたら その人間は セックスをしていないというわけではない。そんなことは わかっているのだから テーマとその焦点を どっちかに しっかり決めて 書いて欲しい。
  • 結局は どうなんだ?ところどころに 考えさせる文章をはさんでいるということではないだろうか。

#9

――ボエティウスの時代・第二部――
もくじ→2006-05-04 - caguirofie060504

§1 豹変――または国家の問題―― (9)

以下 この章への補論として述べたい。
ここでの議論は じつは 本文で 補注のようにして述べてきたところの 階級闘争史観とわれわれとのかかわりあいが その焦点であるとも考えられる。もう一つこの補論の必要となる理由は ここで キリスト教思想が その一つの基調となっていることにある。これら二点にかんして。――
キリスト教思想とのかかわりについて まず述べることから入るなら それは 具体的には ここで世界の自治様式といったものを 或る一つの発展ないし移行において捉え そのように 発展の前後にわたる二つの局面として 限るようにして 論じた点にかかわると思われる。

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