caguirofie

哲学いろいろ

#5

――遠藤周作論ノート――
もくじ→2005-11-03 - caguirofie051103
§8 《わたしが棄てた女 (講談社文庫)

わたしは 自分に与えられた神の恵みによって 熟練した建築家のように土台を据えました。そして 他の人がその上に家を建てています。ただ おのおの どのように建てるかに注意すべきです。イエス・キリストというすでに据えられている土台を無視して だれもほかの土台を据えることは出来ません。この土台の上に だれかが 金 銀 宝石 木 革 わらで家を建てる場合 おのおのの仕事は明るみに出されます。《あのさばきの日》にそれは明らかにされるのです。なぜなら《あのさばきの日》が火とともに現われ その火はおのおのの仕事がどんなものであるかを吟味するからです。だれかがその土台の上に建てた家が燃えずに残れば その人は報いを受けますが 燃え尽きてしまえば 損害を受けます。ただ その人は 火の中をくぐり抜けて来た者のように すくわれるでしょう。
パウロコリント人への第一の手紙 (聖書の使信 私訳・注釈・説教) 3:10−15)

このような言葉によってわたしは これまで遠藤の議論やランボーの詩を検討してまいりました。

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