caguirofie

哲学いろいろ

第二部 歴史の誕生

もくじ→2005-06-20 - caguirofie050620

第二十二章 余談ふうに――吉野の鮎――

わたしの父は税理士が職業であったが 氏姓名の構造で言うと あたかも ナニノ・ゼイリシ・ナニゾウということになる。士というからには 真ん中の姓は 《日子》であるかも知れない。皮肉および自嘲のごとくいえば あたかも日本国株式会社自由業種税理士部の所属というかのようである。古代日本の部の民の《部》ではないであろうが。
あるいは 若いときには 横浜正金銀行に勤めていたから 銀行部に属するベノタミであったかも知れない。この銀行を指揮する頭取は ギンコウベノミコトという社会的性格を持つと考えられるかもわからない。
これが 取りあえず われわれの言っているウタの構造――つまり勿論 モノの資本関係=コトの資本過程をその基盤としている だから ウタとしてなら 観念の資本構造と言いなおすこともできる――であった。
単純に過ぎるというなかれ。
もっとも コトは単純であって 同時に その歴史知性の歴史的進展の結果は あたかも無効の現実を容れてのように――無効のウタと普通のウタとが入り組み錯綜してのように あるいは 無効が実効性を持って 有力となってのように―― 国譲りをしながら シンライカンケイを保ちつつ 社会を支えてきたというものであった。誰が どちらが 無効のウタであるかは かんたんには分からないから どちらも 普通のイリヒコ歴史知性であると自認して 互いに クニユヅリし合っていると考えている。

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