caguirofie

哲学いろいろ

              第一部 第三の種類の誤謬について

もくじ→2005-05-13 - caguirofie050513

付録一 共同主観者にとっての夢

22 註:聖三位一体について

われらが主と仰ぐ存在(それは《自由》)は 真実で一なる神であるのに 父なる神(創造主)と子なる神(救い主キリスト・イエス)と聖霊なる神(父と子との神の愛・その保証金)という三つのペルソナ(三位格)が存在するというのは どういうことか。それについて わたしに与えられた力の範囲で(当然だ) 前節への註解として 述べておきたいと思う。
まず簡単なたとえとして 次のように考える。
光には 光源と光そのことと明るさ・暖かさとの三つがあり 三者は一体である。光源から光輝が生まれ 光線が送られる。光源からと同時に光そのことから――従って 両者のつながりから――光明が発出する。あたかも 光源は父に 光輝は子に 光明は聖霊に それぞれ喩えられる。

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